「男子部」カテゴリーアーカイブ

自己紹介④ 梶田絢人

こんにちは。初めての投稿になります。男子部一年、理科二類の梶田絢人(かじた けんと)です。今回は入部挨拶と自己紹介ということでブログを書かせていただきます。

ポジションはセッターで、身長は182cmです。出身は東京の私立芝高校です。バレーボールは中学一年生から始めました。小学生の時は野球をやっていましたが、中学に入り、丸刈りにするのに抵抗があったので、「丸刈りにしなくていい、球技」を探した結果バレーボールに行きつきました。

高校時代の自慢は、高39月の大会に出場した際に『月刊バレーボール』に(小さくですが)載ったことです。続けていればいいことがあるなと感じた瞬間でした。

中高6年間はずっとライトスパイカーでしたが、同じバレーを続けるにしても新しいことにチャレンジしたいと思い、東大バレー部入部を機にセッターに転向しました。経験年数がものをいうセッターにこのタイミングで転向することについてはとても悩みましたが、今は能丸先輩をはじめ、セッターの先輩方に基礎から教えていただいており、いつか先輩を越えるぞという気持ちで練習しています。

今の部活においての自分の目標は、身長と左利きというアドバンテージを生かし、トスワークを磨いていくことです。今はまだセッター歴半年未満と未熟者ですが、地道に練習に励みたいと思います。

拙い文章ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

1 21 梶田


自己紹介③鈴木幹二

こんにちは。

(この文章は2分で読めます)
新入部員の鈴木幹二です。今回は、自己紹介ブログを書こうと思います。量も質も無い文章ですが読んでやってください。

出身は静岡の静岡高校で、中高6年間バレーボール部でサイド・ミドル・リベロを経験しました。身長は177cmと微妙な高さですが大学ではレフトを務めさせて頂いてます。HUNTER×HUNTERのレイザーに憧れてバレーを始めた僕でしたが、大学ではバレーから離れて他の部活も考えていた時「レギュラーになれるかもよ」と唆されて、それを信じてバレー部への入部を決めました。(実際にレギュラーになれるかは今後の行い次第なので気を引き締めます)相手コートに叩きつけるようなスパイクが得意だと言いたいところですが、僕はブロックアウトが得意です。あのブロッカーの悔しがる顔とリベロの諦める顔は病みつきです。

大学の部活では、先輩方と同期に負けないように技術を磨き更にバレーを楽しめるようになりたいと思います。また、レフトは苦しい球でも決めなくてはならないポジションであるため仲間の繋いだボールに対する責任感を持ち、適切な状況判断をしてチームに貢献できる選手になりたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

自己紹介② 淀川航汰

こんにちは。新入部員の淀川航汰です。今回は自己紹介としてブログを書きます。

出身は北海道、札幌南高校で河合塾にて一年間の研鑽を経て今年度東京大学文科三類に入学しました。ポジションは便利屋でやれと言われたところをやらせていただいております。身長は185cm、体重は浪人期の暴飲暴食が祟り80キロ近くありましたが大学に入学後食中毒にかかり食事を取れない時期が続き72キロまで減りました。小学生の時に読んでいたスポーツ漫画はスラムダンク、仙道彰に憧れていましたが気づいたら中学生の時にバレーボールを始めました。まだ慌てるような時間じゃあない、と思ううちに今に至るのです。

さて最近は暑くなってきて半袖短パンでしか生活できないようになってきました。北海道からやってきた私には東京の夏は過酷でまだまだこれが続くのかと思うと思わず溜息が出そうです。はあ。
つい二ヶ月ほど前にまだ着れると思って実家から送ってもらった長袖長ズボンは全て狭い一人暮らしの部屋のスペースを奪うゴミとなり私はそのゴミに囲まれて生きねばならないのです。はあ。はあ。熱中症にも当然かかりましたが、体を冷やさないといけないことを知らない私は風邪と同じ治し方やろと思い布団にくるまり熱を上げてしまいました。はあ。はあ。はあ。実生活で溜息ついてばかりいると嫌われてしまうのでブログに捨てておきます。ごめんなさい。

大学の部活ではバレーボールに真摯に向き合い心技体全ての向上を目指します。特に心。最後まで読んでくれてありがとうございました。

自己紹介① 小倉佑斗

初めまして、男子部1年の小倉佑斗(おぐらゆうと)と言います。今回自己紹介を書くことになりましたので、稚拙な文章ですが暖かい目で見守って下さると嬉しいです。

僕は理科一類に所属しており、ポジションはリベロ(or ライト)です。身長は四捨五入で170で、出身高校は兵庫県の甲陽学院高校です。バレーボールを始めたのは中学に入ったときで、きっかけはハイキューを読んだからではなく(今も読んでないです、巻数多すぎて追いかけられないので)、友達と一緒に体験に行った時に当時の先輩におだてられたからです。我ながらチョロすぎる動機だと思います。高校、大学に進学する度に他のスポーツもやってみようと思いはしたのですが、面倒くさがりな性格が災いしたのか、結局なんやかんやバレーを続けてしまっていました。

東大のバレー部には上手い先輩が多すぎて、ここは本当に東京大学なのか?と思うことが多々あります。リベロだけでもめちゃくちゃ上手くて(語彙力)、僕たち後輩にも色々教えて下さる精神的支柱の四海さん、めちゃめちゃレシーブフォームが綺麗で思わず見とれてしまう増田さん、そして、同期でも成長著しい西山などといった素晴らしい方たちが揃っています。この素晴らしい環境でプレーできることに感謝しつつ自分も見習って成長していきたいです。僕の今年の目標は将来のポジションの変更の有無に関わらず、パスを鍛えることです。これは僕がチビであまり高さがないことから出てくるデカい方たちへの僻みでは全く無いのですが、バレーはパスが要だと考えているからです。強いスパイクを打つには上手いトスが必要で、上手いトスをするには綺麗なパスを返す必要があるのでやっぱりパスは大事だと思います。

最後になりましたが、僕はまだまだ下手っぴでひよっこプレーヤーですが、これからの成長を見守ってくださると嬉しいです。長々となりましたが最後まで読んで下さり、ありがとうございました。僕がこの文章を書き上げた時、僕の横で淀川と幹二が必死にブログの文章を練っていたので他の1年部員の自己紹介ブログもぜひ楽しみにしていてください。

引退報告(明本)

あけましておめでとうございます。昨年度主将の明本雅隆です。

近況報告としては、無事卒論を提出し、卒業がほぼ確定しました。また、引退とコロナの影響で運動機会が減りました。次会うときはかなり丸くなっていると思います。

引退ブログは 12月中に書き終わって欲しいと言われていましたが、バトンがやってきたのは1月8日です。時間をとって書いた守安のブログを読みましたが、かなりふざけていました。期限も守らず、ブログでふざけるなんてもってのほかですよね。守安は1つだけいいことを伝えていました。僕もアルバムと一応メッセージカードが欲しいです。卒業の記念ですからね。

僕はふざけたことを書くのも面倒なので、真面目に短く終わります。ちなみに、OBの方向けの文章も引退後に書きました。

まず、4年間たくさんの方に支えられて、部活を続けてくる事ができました。OBの先輩方、後輩、同期、本当にありがとうございました。

僕は主将として、色々なことを話しました。1年間の中で、自分が言いたいことは全て伝えてきたと思います。そのせいか、言い残したい事がないので、4年間の振り返りと主将を通して学んだことを書かせていただきます。

大学でもバレーボールをしたかったので、サークルと悩むことなく入部しました。1,2年生の時はあまり試合に出ることはできませんでしたが、練習と筋トレを楽しくやっていました。3年生の時は試合に出ることもでき、試合が試合に出て勝つことの楽しさを再認識しました。この時までは部活は基本的にいつも楽しかったです。

代替わりから主将を務めました。4年間の中で一番、苦しい1年間であり、楽しい1年間でした。

組織をまとめることが難しいことを痛感しました。どのようにしたら同期と後輩を巻き込んで、チームをまとめて勝てるチームになるのか、同期やコーチである福島さんと話しました。自分なりには努力をしたつもりですが、チームがまとまっていたのかどうかはわかりません。また、試合に出る最上級生は1人で、自分の調子が悪い中でもチームの問題点を指摘する必要があり、自分がもっと上手かったら楽にまとめられるのかなと考えることもありました。

一方で、秋リーグの代替戦では3勝する事ができて、すごく嬉しかったことを記憶しています。本当のことを言うと、最後の試合に勝った時、嬉しいというよりもチームが勝てて、ほっとしました。自分が主将として練習メニューを決め、運営する中で勝つ事ができた時は、後輩の時とは違った喜びがありました。

全体を通して、この4年間で多くのことを学ぶ事ができたと思います。組織をまとめることの難しさ、苦しい時に人に頼ることの大切さ、何より対人関係において自分の思っていることを伝えなければ、相手には伝わらないということ。これからの人生の中で、大きな経験をする事ができました。

このブログを書き終えたので、東大バレー部主将としての役割は全て終わりました。なんだか寂しさもあります。

最後になりますが、引退後も、現役の皆さんを応援しています。

もちろんOB会費は払いますし、コロナが収束したらご飯にでも食べにいきましょう。

元主将 明本雅隆

引退報告(守安)

あけましておめでとうございます。先日引退した4年の守安です。

近況報告としては、昨年に開かれた雀位決定戦にて優勝を果たし、第20代雀位となることができました。

部活で1点でも多くの点をもぎ取るために体育館で汗を流し、そして部活後には100点でも多くの点棒を手にいれるために徹夜で麻雀をしてきたこの4年間は間違っていなかったのだと牌達に教えてもらったようでとても嬉しかったです。

さて、今井と長谷川の引退ブログではなぜか自分がブログ更新が遅れている原因かのように書かれていてとても不本意でした。

みなさんよく考えてみてください。

長谷川の引退ブログには

引退報告のブログで自身が最後に書いたブログを引用する人が多いので僕も
今シーズンにかける思い(長谷川)というブログを探したのですがありませんでした。
この原因はひとえに元ブログ担当の僕の同期にあります。
彼が今シーズンにかける思いという題目のブログを滞納し続けた結果、シーズンの結果報告をしているので僕までブログの番が回ってきていませんでした。

と書いてあります。

ブログは学年と五十音順に更新する約束になっていて、長谷川まで順番が回ってこなかったとのことです。

ということは五十音順で長谷川の直前になっているやつが犯人だということです。

そう、みなさんもうわかりましたね?胸に手を当て、瞳を閉じて僕らの同期を思い出してみてください。そう、そいつです。みなさんの脳裏に浮かんだのっぽでひょろながのそいつです。

 

僕の瞼にもあいつのサイコパスな笑顔が今でも鮮明に映ります…………………………

 

 

すいません、嘘です。僕のせいでブログ更新が滞りました。かくいうこの引退ブログも自分のところで二週間も止めてしまい、このあとラストに控える明本のハードルがドンドン上がっているともっぱらの噂なので申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そろそろ引退ブログらしいことを書こうと思うのですが、ある人の引退ブログに気になることが書いてあったのでここで触れておきます。

P.S. 引退の恒例行事であるアルバム制作ですが進捗一切ありません。闇に葬り去ってもいいですか…えぇ…だめですか…

はい、ダメです。完成したものを楽しみに待っています。

あと、噂によるとバレー部を引退した人は引退の日に後輩達から寄せ書きをもらえるとのことなのですがなぜか僕の手元にはいっこうに届きません。

これも噂なので本当かどうか怪しいですがどうやらその寄せ書きはマネージャーさんが主導して作るらしいです。(こんなところで後輩マネージャーから嫌われてることが響いてくるとは…)

決して僕(ら)が嫌われているせいではなくコロナのせいで準備する時間が取れなかっただけだと信じたいですね。

さてそろそろ本当に引退ブログを書きます。

まずは月並みな表現になってしまいますが、一緒に部活をした先輩、後輩、指導してくださったコーチの方々、西村前監督をはじめとする支えてくださっているOBの皆様、そして何より四年間こんな自分と一緒にバレーをしてくれた同期のみんなにこの場を借りて心から感謝を伝えたいと思います。

恥ずかしながらコロナによって部活が活動停止になるまで、日々当たり前のように部活ができることのありがたさや、多くの人の支えによって練習させてもらっているという当然のことが実感できていませんでした。

この4年間バレー部を通して多くの方に出会うことができましたが、一人一人に改めて感謝したいと思います。

持ち前の記憶力の悪さも手伝ってか4年間を振り返ってみてこの場で書き残そうと思えるようなことが特にありません。少し自分のことについて書いてみようとも思いましたが、これといって特別なことはありませんでした。

他のバレーサークルの新歓に出遅れたから、というしょーもない理由で入部してしまい、気づいたら引退してました。

ということで自分の引退報告は以上です。次の明本の超絶怒涛、奇想天外、抱腹絶倒の引退ブログを楽しみに待ちたいと思います。

ありがとうございました。

元#23  守安優太

 

〜〜〜以下、自分用のアルバムとして四年間の記憶を残します〜〜〜

2017年5月 新歓コンパ

写真にはいないマネージャー&アナリストとこの時点ではまだ入部していないしゅんを加えると一時は同期が10人もいました!

この写真の彼らはまだ、引退するときには体育館に3人しか残っていないことも、今井が大学生最後のクリスマスを前に寂しさからマッチングアプリに手を出すことも知る由もありません。

 

2017年8月 七大戦@名古屋

初日の新人戦の時の写真です。相手が双青戦で負けた京都大と分かってから急遽ミーティングをして打倒京大に燃えましたが、負けてしまいました。

ってかこの8人がユニフォーム着て一枚の写真に収まってんのめっちゃレアじゃね

上の写真はそんな新人戦の日の朝の一枚です。ちなみにこのとき長谷川はしゅんが話しかけてくるのを無視してイヤホンでシバターの動画聞いてます。

 

2017年11月 駒場祭

原(は↑ら↓)が労働基準監督署もびっくりのスーパーブラックシフトでひたすらに今川焼きを焼き続けていました。

確か常川さんの差し入れはちょっといいおにぎりでした。

 

2018年2月 三大戦(1年生)

審判講習会と日程が被ってしまい僕は参加することができませんでした。

僕が抜けて福田さんが入ったことで見事に同期たちは新人戦で勝利を収めましたが、悔しいのでプレー中のいい写真ではなく長谷川が調子のってる写真にしときます。

 

2018年8月 七大戦@北海道

同期が先輩に噛み付いて自分のユニフォームをを二つも上の先輩に洗濯しに行かせたり、マネージャーさん達を追い詰めて泣かせたりと不祥事が相次いだので写真の掲載は自粛します。

この二枚は七大戦後に女子部も一緒に訪れた小樽で撮った写真です。

1枚目の集合写真の中に交通事故を起こしてから間もない姿を撮られている人が一人いますが、みなさんわかりますか?

あと、三大戦の時の長谷川といい今井のこのポーズは部内で流行ってたんですかね?

 

2019年4〜5月 春リーグ(3年生)

(自分の中では)ある意味伝説となっているリーグ戦で、1年生の秋リーグで3部から4部に降格した時よりも部内がピリついていました。4年間やっていて一番部内の雰囲気が悪かったのはこの時期だと思います。明本も思わず口をへの字にして困った顔をしてしまっていますね。

おそらくピンチサーバーでブレイクを取れなかったのであろう原の表情からは悔しさが見て取れます。そんな原の後ろでなんとも言えない表情をしている長谷川と合わせてお気に入りの一枚です。

 

2019年8月 七大戦@九州

戦績もよく、七大戦の中で一番楽しかった覚えがあります。大会期間中は毎日夕飯を食べてから同期や先輩後輩達ととんこつラーメンを食べました。

写真は長谷川自慢のプリケツのサービスショットです。ご査収ください。

七大戦後には熊本県の野釜島というところで二年生の時に続き旅行しました。

みんなで海水浴したりBBQしたり花火したりとても楽しく過ごしました。このブログ書くために深夜に写真フォルダ見返してたらエモすぎて少し泣きそうになりました。

この時の某マネージャーの寝顔を撮った秘蔵写真があるとかないとか…

 

2020年2月 東商戦(4年生)

僕が四年間で唯一、試合を通して出させてもらった公式戦なのでちょっとだけ思い入れがあります。

原のこんなにいい笑顔はどうやって引き出したんでしょうかとても気になります。

2枚目の写真では、新人戦の監督の座をかけて長谷川が四年目にして初めて明本に意見したのですがあっけなく退けられてしまいました。

入部してから明本の下僕としての道を選んだ長谷川が、明本に対して歯向かったのは後にも先にもこの一回だけです。

 

2020年2月 三大戦(3年生)

七大学の中でも交流が深いこの東北と九州、そして京都のバレー部の人たちとは今後も仲良くしていけたらいいですね。

 

2020年11月 引退試合

一年戦の新歓コンパの時と比べるとびっくりするくらい減ってしまいましたが無事引退することができました。

 

 

写真は以上です。最後の七大戦が開催できなかったことは本当に悔しいですがこうして引退することができて満足はしています。

願わくば、同期達とはこうした写真をこれから先も撮り続けていけるような関係でいられることを。

自己満足のいく引退ブログが書けたのでそろそろ終わりにしようと思います。

最後に一つだけ。ここまで読んでいる人は同期(の中でもさらに一部の暇人)だけだと思うのでその人達に向けて書きますが、卒業旅行どうしましょう?

こんなご時世なので行けるかどうかは定かじゃないですが、計画するだけなら問題ないので行きたい場所があったら教えてください。

ありがとうございました。

守安優太

 

自己紹介⑨ 永田飛鳥

こんにちは。男子部1年の永田飛鳥と申します。今回は自己紹介ブログを書かせていただきます。

出身高校は大阪の北野高校で、文科二類に所属しています。身長は168cmで、ポジションはセッターを務めています。

私は中学時代にバレーボールを始め、当時からセッターとしてプレーしていました。練習が厳しかった上に引退試合ではレギュラーを外され、もうバレーなんて二度とやるものかと思ったのを覚えています。

しかし、結局高校時代もバレー部に所属しました。厳しい部活ではありませんでしたが、ある程度結果を残すことができ、引退の際にはやはり、バレーはもういいかなと思いました。

しかし、東大バレー部の練習に参加すると、部員達が自主的に練習メニューを組むなど、自分の予想以上に真摯にバレーに取り組んでいることをを知りました。自分は高校時代、人間的に未熟で、自分勝手なプレーや行動が多かったことを後悔しています。東大バレー部に入り、ストイックにバレーに取り組めば人間的にも成長できると思い、入部を決断しました。

東大バレー部は素晴らしい、セッターの先輩やOBさんに恵まれています。私はセッターとしての指導を受けるのは初めてで、先輩やOBさんに日々、様々な課題を与えていただき、それを解決する為に毎日必死で練習しています。そのおかげで日々成長を実感できています。

東大バレー部においてセッターは激戦区です。能丸先輩のトスにはまだまだ遠く及ばず、同期の宵羽の高さには日々怯えています。しかし、これからもトスの精度や質を上げ、自分なりのトスワークを磨き、持ち前の声を活かして、東大バレー部の起爆剤になれるように頑張っていこうと思います。

稚拙な文章ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

引退報告(南)

師走の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日引退した4年の南です。前回の引退ブログからかなり間が空いてしまい遅くなりました。申し訳ありません。。。

部活を引退した後は、卒研へ向け夜遅くまで研究室に籠っては(失敗を繰り返し)実験をしています。後楽園で23:00に屍が転がっていたらそれは私です。
今回引退報告ということで、今までを振り返って色々書かせて頂きます。

 

まずはこれまでに東大バレー部でお世話になりましたOBの皆様、プレーヤーの先輩方や後輩、マネージャーの先輩と後輩に感謝します。この四年間私が部活をするにあたって求めていた環境がそこにあり、それはそれまでに部活をつくってきた先輩方や後輩の協力あってのものだと思います。今まで本当にありがとうございました。

私は、中学でバレーボールという競技を知ってから高校そして大学と続けてきました。正直、続けたことは大したことではなく、人によって合う合わないがあり、たまたま自分にバレーボールという競技が合っていて中学からできる環境があっただけのことだと思っています。そのため中高と引退の時期に同期から散々聞いてきた「自分は何度も辞めようと思ったのですが…」ということは無く、迷わず続けてきて後悔は何一つありません。

ただ、この四年間私は周りの人に恵まれていたからこそ部活に打ち込めたなと思っています。単にコートに立って結果を出していく人逹だけでなく、一人一人が違う形で部活に向き合っている姿が、私の部活を真面目にやる理由にもなっていました。
コートに立てないと分かった上でチームのために自分に何ができるかを真剣に考えている先輩、部活という組織を運営するために黙々と仕事をこなしたり、チーム引っ張る立場として矢面に立って時に厳しく言えるような人、マネージャーの先輩、後輩も部員が見ていない所でも部活を手を抜く事無く責任感を持って常に働く姿を見ていました。ただ素直にこのチームを応援したいなと思えたのもそうですが、自分が今まで部活をちゃんとやってきたことは間違ってなかったんだなと肯定されているような気持ちでした。

そして同期へ。一年の頃からコートに立たないマネージャーをミーティングに呼んでくれたこと、私の意見に耳を傾けて代の意見として上に報告して貰えたこと、とても嬉しかった事を覚えています。それ以来(バレーにおいては)同期を信頼しています。歴代のマネージャーの中でも無力なくせして部活に口を出すような、かなり面倒な存在だったと思いますが、この代だったから受け入れてもらえたのだと思います。加えてミーティングなどで意見を聞いていると部活に対する考えが近いと感じる人が多く、もっと中高とか早い時期にチームメイトとしてこういう人達と出会いたかったなぁと個人的には思います。

 

 

そういえば同期だけの写真ってほぼなくて(というか全く無くて)いつか撮ろうと思っている間に大会がなくなり即引退してしまいました。あああせっかくの引退ブログなのに…と思ってもないものはないので、捏造しました。これ下手ですね。

 

 

 

 

最後になりますが、大学生四年間東大バレー部にいられてよかったなと思います。改めて本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

P.S. 引退の恒例行事であるアルバム制作ですが進捗一切ありません。闇に葬り去ってもいいですか…えぇ…だめですか…

 

自己紹介 佐藤 陽⑧

こんにちは。初めての投稿になります、男子部一年の佐藤陽です。今回は自己紹介ということで、ブログを書かせていただきます。

改めまして、名前は佐藤陽(さとうひなた)です。奇しくも「ハイキュー!!」の主人公の日向翔陽くんと名前が一致しているので、自分がバレーボールを続けていることには、ある種の因縁のようなものを感じます。身長は170cmで、ポジションはライトをやっています。この身長でスパイカーを続けるからには、日向くんみたいに高く跳べる選手になりたいですね。出身は埼玉県の春日部高校で、現在は文科三類に所属しています。

僕がバレーボールを始めたのは中学生の時です。当時はなんとなくでバレー部に入りましたが、そこからバレーボールが大好きになり、高校でもバレーを続けました。高校時代は部長を務めたこともあり、チームのことでよく悩んでいたので、大学ではバレー以外で興味のあることに時間を注ごうと思っていました。しかし、受験を終えて、いよいよ大学生活と思うと、やっぱりバレーを続けたいという気持ちが湧き、今に至るというわけです。「部活」という形でバレーと真剣に向き合うことができるのは大学生までだと思うので、限りある今の時間を大切に精進していきたいと思っています。

東大のバレー部の一員として活動をしていく上で、僕は二つのテーマを持っています。一つは「楽しむこと」です。前述したように、高校時代は悩むことが多かったため、純粋に楽しいと思ってプレーできない時期も少なからずありました。そんな時間を通して僕が感じたのは、楽しむって意外と難しいということです。「ハイキュー!!」の中でも「勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る」という言葉が出てきますが、この「強さ」というのは単にバレーボールの力量・技量だけではなくて、気持ちの持ち方・精神力という要素もあると僕は思っています。バレーボールを真剣に楽しむために、広い意味での「強さ」を身につける、そんな四年間にしていきたいです。もう一つは、人間として自分を成長させるということです。僕は高校二年の冬頃に、レフトからポジションを変えてセッターになりました。きっかけは先生に勧められたという簡単なことでしたが、セッターになったことでチーム全体や個々のチームメイトに対する見方は大きく変わり、何より今までで一番バレーボールを楽しいと感じるようになりました。そして、この経験を通して、たいした理由はなくても新しいことにトライすることで変化が生れるということと、立ち位置を変えるだけでものの見方は大きく変わるということを学びました。このように、スポーツを通して、また自分自身の経験を通じて、自分なりの考え方を構築していくことは部活に真剣に取り組む大きな意義だと思います。今後も、バレーと真摯に向き合うことで様々な経験を重ね、自分の考え方を豊かにしていきたいです。

さて、前段では自分の部活に対する意気込みをつらつらと綴ってきましたが、じゃあ具体的にどんな選手になりたいか?と問われると、あまりはっきりした答えを出せないのが僕の現状です。しかし、幸いなことに、僕は良い手本となる素晴らしい先輩方に恵まれています。この環境を活かし、チームメイトの良い部分をたくさん吸収して、自分のプレーの幅と質を向上させていきたいです。まだまだ未熟な僕ですが、応援よろしくお願いします。

以上、長くなりましたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
#10 佐藤

自己紹介⑦ 溜 大介

初めまして。10月に男子バレーボール部に入部しました、一年生リベロの溜 大介です。何卒よろしくお願いします。出身は東京都の早稲田高校(無印の方!)で、中学の途中からバレーボールを始めました。
「友達がやってるから」「いつでもやめられる」と軽い気持ちで手を出したはずが、いつのまにか不思議な快楽にはまって抜け出せなくなり、次第にのめり込んでいきました。

とはいえ東大に入学した当初、移り気な私は大学でバレーボールを続けるつもりは毛頭ありませんでした。スポーツチャンバラか手話かで迷ってました。しかし各部,サークルの活動自粛が長引いたことで自分の中の「バレー欲」、正確に言えば「好きなことに熱中してみたい欲」に気付く時間が得られ、バレーボール部に入ることとなりました。

おかげで素晴らしい先輩方と同期に出会い、楽しくも真剣にバレーボールに取り組めています。今年度はカットの基礎技術を磨きつつ声かけに努め、「安心感のあるリベロ」になりたいと思っています。
河田主将がいつか仰ったように、自分たちがバレーボールを存分にできる状況を支えてくださっている皆さまへの感謝を忘れずに精進していきます。よろしくお願いします。

この辺りか冒頭で「拙い文章ですが」とか謙遜しておきながら 僕よりいい文章を書きやがった同期 と先輩たち への不満は飲み込んで、自己紹介文の終わりと致します。ありがとうございました。

#12タマリ

自己紹介⑥ 三田晴花(M)

こんにちは。初めての投稿になります。1年マネージャーの三田晴花です。今回のブログを書かせていただきます。
新入生の自己紹介ブログも最後になりした。どんなことを書こうかと悩みながら、最後まで書かせていただきました。拙い文章ではありますが、よろしければお付き合いください。

初めての投稿になりますので、最初に自己紹介をさせていただきます。私の所属は白百合女子大学文学部国語国文学科です。出身は千葉県立柏高校で、部活は男子バレー部のマネージャーをしていました。

最初に男子バレー部を選んだ理由としては、マネージャーの募集があり、日焼けせずに活動でき、ルールもなんとなく分かる、という当時の先輩方には申し訳ないものです。
そんな理由で入部した部活でしたが、練習を繰り返し、結果や成長に結びつけている部員たちをみて、次第に活動が楽しくなりました。同時に、実際のプレーを見たことで競技も好きになり、気がついたら高校生活のほとんどを部活に充てていました。

正直な話をすると、私はマネージャーが居なくても部活は成り立つと思っています。マネージャーがいることで、選手の練習に対する自主性が失われてしまうこともあります。それでも、何か役に立つことができないか、と考えながら活動してきました。さらに、3年間の部活を通して人のために働くことがほとんどで、裏方や雑用に見られがちなマネージャーという役職に自分なりに価値を見出すこともできました。

マネージャーという形で真剣に活動したいという思いから入部を決めて、約半年が経ちました。このご時世で、部活に参加することがほとんどできていません。同期とも顔を合わせる機会がなく、この自己紹介ブログを読んで、どんな人達なのかなと想像して、早く一緒に活動できるのを心待ちにしています。
また、先輩方とも接する機会が少ないため、次の新入生が入ってくる前までに、顔と名前を覚えていただけたら嬉しいなと思っております。

新チームでの活動にいつ参加できるのか、分からない状況ではありますが、チームのためにマネージャーとして、何かお手伝いできるよう精一杯活動させていだきたいと思います。これからどうぞよろしくお願いします。

まとまらない内容で長々書いてしまい、恥ずかしい気もしますが、少しでも意気込みが伝わっていたら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

1年マネージャー 三田晴花

自己紹介⑤ 伊藤美咲(M)

はじめまして。1年のマネージャーとして入部させて頂きました伊藤美咲です。稚拙な文章ではありますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

初めに私の自己紹介をさせて頂きます。私は現在共立女子大学国際学部国際学科の一年生で、出身校は学富士見高校という私立の中高一貫校でした。中学ではテニス部、高校では吹奏楽部に所属していました。どちらも自分なりに一生懸命に取り組んだつもりです。そして、大学時代に新しく一生懸命になれることを見つけたいということ、自分主体の活動をするよりも誰かのサポートをすることが好きであったので、マネージャーとして部活に入部させて頂きました。

コロナウィルスの感染拡大防止のため、まだ私が練習に参加できたのは一回しかありませんが、練習に参加出来るようにになったら部活に貢献できるよう精一杯努力しようと思っています。
長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

引退報告 (原)

 このたび引退いたしました、4年の原と申します。
 最後の一年間は、主務を務めさせていただきました。

 感染症の流行というなかなか例のない状況にも関わらず、たくさんのご協力をいただきましたおかげで、これまで活動することができました。体制を整えてくださった運動会の皆様、度々の無理なお願いにも丁寧にご対応いただきました教養学部学生支援課の皆様、そのほか多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げます。

 さて、僕が務めた主務ですが、この役職を表すのに、「コート内のことは主将の責任、コート外のことは主務の責任」という表現がしばしば用いられます。いろいろな解釈があるでしょうが、下級生の間に先輩から学ばせていただく中で僕の考えた解釈は、 “環境を整えるのが主務の役目、その環境の中でチーム作りをするのが主将の役目” というものです。それに付随して、環境を整えるための努力を感じさせないこともまた、主務の役割の内だろうと考えていました。
 僕の解釈が正しいのかはわかりません。ただ、状況が変わろうともブレない柱を持つことができていたのは確かです。この考えのもと、よりよい環境を整えるべく、そして後輩によりよい環境を残すべく、一年間力を尽くしました。途中ちょっと変わったこともありましたが、最後まで “いま部のために自分ができること” をやり続けられたことに悔いはありません。
 このチームで主務として働かせていただけましたことを、とてもうれしく思います。絶えず支えてくれた同期や後輩のみんな、要所で助けてくれる副務、度々力を貸してもらった女子部の同期、そして陰ながら温かいお力添えをいただきました先輩方には、感謝してもしきれません。主務の仕事を通して少しでも恩返しができていたらと願うばかりです、本当にありがとうございました。

 8月に活動が再開となって以来、今のところ順調に活動が拡大されています。とはいっても相手は自然です、いつまた状況が思わぬ方向に転んでもおかしくありません。
 後輩たちが、いかなる局面においても “部のためにできること” を考え、それに全力を注いでくれますこと、心から楽しみにしております。試合で結果を残すことにとどまらず、彼らには、必死になり続けることでしか辿り着けない光景も目にしてほしいですね。

 後輩たちの今後の活躍と、東大バレー部ならびに赤門倶楽部がコロナを経て大きく成長いたしますことを祈念して、引退のご挨拶とさせていただきます。

#18 原 直樹

引退報告(長谷川)

お久しぶりです。長谷川祐也です。
近況報告をさせていただくと、進振りで工学部電気電子工学科に進み、接続する大学院にも無事合格しました。今は卒業論文に向けて研究を続ける毎日を送っています。
この度引退したので報告ブログを書かせていただきます。

まずは監督、コーチ、OBOG、後輩、その他東京大学バレーボール部に関わってきた全ての皆様に感謝しております。そして何より同期の皆さんには多くの負担や迷惑をかけてきました。大変お世話になりました、ありがとうございました。僕という人間はこの同期以外の代では引退まで続けれられなかったと思います。入試で点数調整して一浪してよかった

引退報告のブログで自身が最後に書いたブログを引用する人が多いので僕も
今シーズンにかける思い(長谷川)というブログを探したのですがありませんでした。
この原因はひとえに元ブログ担当の僕の同期にあります。
彼が今シーズンにかける思いという題目のブログを滞納し続けた結果、シーズンの結果報告をしているので僕までブログの番が回ってきていませんでした。

伝えたいことはたくさんあるのですが、僕は文才がなくまとめることができないので状況が落ち着いて直接会うことができるようになったらそこで話そうと思います。

ただ何も書かずにブログを終えるのはわけにはいかないので二点だけ書き残そうと思います。

一つ目は”バレーボールを部活で続ける意味”についてです。
おそらくバレーボールの技術があり、試合に出続ける人は部活で続ける意味など考えることでもないと思います。しかし部活という組織である以上、”バレーボールを部活で続ける意味”とはなんだろうと、これ以上続ける意味はあるのだろうかと考える人もいると思います。特に東大生である我々は、他のことに時間を使った方が良いのではないかと考えるのではないでしょうか。
僕自身、このような考えにいたるのはバレーボールの技術がないからだと思います。事実、春秋のリーグ・七大戦などで苦しい思いや惨めな思いをしてきたのは自分自身の技術が足りないことに原因がありました。将来バレーボールで生きていくわけでもないのになぜこのような思いをしなければならないのか何度も考えてきました。
しかしその一方で、春秋のリーグ・七大戦ような場で報われるような瞬間もありました。数で言えば苦しい思いをする方が圧倒的に多かったですが、そのような報われる瞬間のおかげで頑張ろうと思えました。
僕にとっての”バレーボールを部活で続ける意味”は、将来のための〇〇や、人間として〇〇といったような崇高な理由ではなく春秋のリーグ・七大戦という場で自分が試合に出て楽しみたいということだったのだと思います。

二つ目は行動することの重要性と難しさです。
考えを行動に移すことは思った以上に難しいことです。
最上級生はもちろんですが、学年が上がる毎にチーム全体がよくなるように他人を巻き込むような行動を求められます。時には性に合わないことしたり、自分のことを棚に上げることも必要となるでしょう。口で言うのは簡単です。しかし実際に行動に移すことができる人がどれだけいるでしょうか。
僕はそのような行動ができなかったです。少しずつ行動に移そうと考えているうちに引退してしまいました。結果主将に負担が集中したままで終わってしまった思っています。

以上二点については部活をやる以上は最上級生に限らず考えて欲しいと思います。
この話題を飲み会で話たら泣いてしまいそうです。

最後になりますが、東大バレー部に入部して本当によかったと思ってます。
東大バレー部で本当にたくさん笑わせてもらいましたし、本当にたくさん悩ませてもらいました。改めてありがとうございました。

これからはOBとして応援させていただきます。現役部員の皆さん頑張ってください。

# 24 長谷川

自己紹介④ 徳永宗太郎

初めまして。今年度、男子バレーボール部に入部致しました、一年の徳永宗太郎と申します。 稚拙な文章であるかとは思いますが、最後まで読んで頂ければ幸いです。

まず初めに、簡単に自己紹介をさせて頂きます。先ほども述べましたように名前は徳永宗太郎と言います。身⻑は 182cm です。出身は奈良県の⻄大和学園高校で、バレーは高校から 始めました(中学の時は野球をしていました)。高校の時はサイドをやっていましたが、ミドルをやりたい気持ちもあったので、現在はミドルをさせて頂いています。バレーを始めたきっかけについて、中高一貫校である母校ですが、バレー部が高校からしかなく、高校生になる前にちょうど興味を持っていたバレーを今から初めても周りと同じレベルから始められ ると思い、入部したことです。ただ、今思うとここでバレー部に入っていて本当に良かったと感じます。

元々、大学では何かしらの部活には所属するつもりでしたが、バレー部に入るつもりはほとんどありませんでした。高校で部活を引退したときには、バレーの力がここから大きく伸び ることも無いとも考えており、バレーはやり切ったものと捉えていました。しかし、時が経 つにつれバレーをまたやりたいという気持ちが徐々に徐々に強くなっていき、自分は本当 にバレーが好きであるということを再確認しました。バレーをもっと上手くなりたいと強 く思いました。それならば、部活に入ってバレーに真剣に取り組んだ方が良いと考えて入部 を決めました。一度は終えたものだと考えていたバレーですが、なんだか今後の自分の成⻑ に賭けたくなったという気持ちです。

入部して 3 ヶ月が経過した現在、レベルの高い環境でバレーをさせて頂いており、非常に 実りのある日々を送っております。一方で、先輩方と自分のスキルの差も強く実感し、実力 アップに対してはより貪欲な姿勢で取り組んでいます。今年度は新型コロナウイルスの影 響で、例年より入部が 5 ヶ月遅くなってのスタートとなっているので、成⻑速度を更に上 げていく必要を感じます。現状、プレーヤーとしては試合に出るレベルではないのでまずは 試合で勝利に貢献できるレベルになることが第一かと考えます。具体的には決定率を上げ ることと、良い形のブロックを維持することが今の課題であるのでそこをきっちりと上達 させていきたいです。また、プレー外の面では視野を広くしていくことを第一の目標におき ます。そして、一部員として、現在の有難い環境への感謝も忘れようにしたいと思います。

あまりまとまりはない内容でしたが、この辺りでお別れにしたいと思います。最後まで読ん でくださりありがとうございました。

自己紹介③ 謝宵羽

こんにちは、初めての投稿になります、男子部一年の謝宵羽です。今回は自己紹介ということでブログを書かせて頂きます。

冒頭に書いた通り名前は謝宵羽(シェ ショーウ)です。英語では Shaw と呼びます。ポジションはセッターで、身長は183cmです。9月入学して、理科二類のPEAKプログラムに所属しています。PEAKは、東大教養学部の英語コースで、国際学生のためのコースです。出身はアメリカのPhillips Academy高校で、中学からバレーボールを始めました。バレーを始めた理由は、中学の時バレーのチームがありましたので、参加してみて、大好きになったからです。高校でも続けまして、4年生の時主将になりました。しかし、新型コロナウイルスの影響で高校4年生の春シーズンがなくなりまして、一年間ずっと期待していた試合や練習もなくなりました。大学でも、バレーを続けたくて、バレー部に入部することを決めました。

今シーズンの抱負は「基礎を上手になる」ということです。高校のバレー部参加してた時、チーム全員運動能力が高かったのですが、フォームや基本的な動きは結構適当にやってました。この理由で、チームは試合中スパイクがよくできてましたが、パスエラー等が多くて、試合で負けることが少なくなかったです。また、コロナウイルスの影響で、半年ぐらいバレーできなかったので、フォームも悪化しました。
以上の原因で、基礎を上手になることを目指して、トスを精密に上げれて、スパイクもいいフォームで打てて、レシーブも綺麗に上げるようになって、試合に貢献をしたいです。これを心に留め、今シーズン頑張ります。

日本語で文章書くのは少ないので、最後までお読みいただきありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

#7 謝宵羽

自己紹介② 小宮慧大

はじめまして。
男子部1年の小宮慧大と申します。今回は新入部員の自己紹介ということで、自身のバレー歴や入部動機について書かせていただきます。

出身は東京学芸大学附属高校で、現在は文科三類に所属しております。身長は177cmと比較的小柄ですが、ポジションはミドルやサイドをやらせていただいています。
自分が部活としてバレーボールを始めたのは高校からでした。当時の入部動機は全く覚えていないのですが、今自分が部活でバレーを続けているのはやはり高校の部活に拠るところが大きいと思います。

高校では附属中学のバレー部出身の同期からプレーに関して学んだところが多く、さらに、同じく未経験で入部した同期が上達していく姿も自分にとって非常に励みになっていました。膝靭帯を損傷したりと、全てが順調というわけではなかったものの、チームメイトやコーチ、マネージャーに支えられていたからこそ、怪我でメンタルを折られずにバレーを続けてこられたと思っています。そうした恵まれた環境でプレーできていたからこそ、最後のインハイ予選で敗退した時の悔しさは今でも覚えていますし、今でもプレイヤーとしてバレーを続ける原動力になっています。

そして大学入学後の今、東大バレー部の選手主体で各々がチームを強くしていこうという熱意に惹かれて入部を決めました。実際、練習時の部員の集中力は凄まじく、上級生の先輩からのアドバイスもモチベーションの向上に繋がっており、バレーをするにはこの上なく良い環境だということを常々感じています。

自分達の代は、課外活動停止期間が長かったこともあり、夏から秋頃の例年より遅く時期に入部しました。そのため、早くも残り数ヶ月で新入部員を迎えることになっており、いつまでも新人気分ではいられないですし、これからも部を支える一員、さらには一プレイヤーとして成長していきたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。

拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

引退報告(今井)

どうもこんにちは。今井元尊です。
今回は引退報告ということでこのブログを書かせていただきます。

新歓ブログは部活紹介みたいなものなので
最後に僕が自身の考えを交えた投稿をしたのはもう2半年も前になるこの記事です。
今シーズンにかける思い(今井)
リンクを貼っておいてなんですが今見るととても読めた文じゃないので読まなくていいです。
このブログをご覧になっている人は本当に今いるのでしょうか。
と、今見ている人に失礼なことを言ってみます。
この原因はひとえに元ブログ担当の僕の同期にあると勝手に思っています。
そんな彼がのうのう晒した笑顔がこちら。

代わりに謝罪しておきます。申し訳ございません。

まずはどのような進路を進んだかということですが、進振りで工学部の機械工学科に進み、大学院入試も合格しました。安定の落ちる落ちる詐欺をかましました。要らぬ心配をかけた母親に謝罪します。
今は卒論に向けて絶賛研究中です。ただしペースはお察し。誰か助けて。
このブログも研究室から書いています。←研究をしろ。
来年からは駒場の生産技術研究所でお世話になります。
そしてまさか僕がというところですが、女子部からコーチのお願いをしていただいたのでもう少し東大バレー部に関わる期間が伸びました。
福田さんとともに別の形で東大バレー部に貢献したいと思います。

 

さて、現状報告はこれぐらいにして引退ブログっぽいことを書こうと思います。

まずはこれまで東大バレー部に関わってくださったOB、先輩、後輩、マネージャーなどなど関係者各位に感謝します。
バレーボールをストレスなくできる環境を享受してきたのを上の学年になるほどに実感しました。(下の学年の頃はOBうるさいなあとかめちゃめちゃ思ってました。お詫びします。)
ありがとうございました。

これ以降、僕の考えがつらつらと書かれていくわけですが、以下はほとんどが4年生になって感じたことです。
僕の同期は原を除いてあまり長々書くタイプではないと思っているので、今のところ自分は多少長くなるつもりです。
書きたいことを推敲もあまりせず書くので汚い文章になりそうですが読む決意をした今井ファンの皆様は頑張って読んでください。

引退ブログを書くにあたりいくつか先輩のものを拝読したところ、やはり感謝や思い出などのポジティブな部分が目立ちました。僕も普段は綺麗事で終わらすのが大好きなんですが、今回は趣向を変えて懺悔や後悔をメインにしようかなと。
メンヘラブログかな?
というのも、これから大学の部活動に所属する人たちや今の現役部員には、自分の経験を知ってもらうことで中高よりも自分たちが主体となって活動していく大学の部活動をどうして選ぶのか、本当にその覚悟があるのか、どういう終わりを迎えたいか、ということを考えるきっかけになってほしいと思ったからです。

のちにこのブログが黒歴史となり恥ずかしくなったら誰かに削除を依頼するかもしれません。その時はよろしくお願いします。

 

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ではでは本題へ。

僕がこの部活に入って変わったのは性格と身長、視野です。身長は170を超えたので嬉しいです。もう170弱の有象無象ではありません。(169台の人に向けて)

性格に関しては外側では変わって見えなかったかもしれませんが個人的には傍若無人だった1年生の頃と比べるとずいぶん卑屈で暗くなったなと思います。角の立つようなこともだんだん言えなくなりました。以前より人に気を遣うようになりました。そう見えていなかったかもしれませんが笑

視野については広くなったといえば広くなりましたが見るものが変わったというのもあると思います。
冒頭のブログのを書いた頃は自分がどうなるかということばかり考えていましたが、4年生の頃は他人の人間関係についてよく見るようになっていたのではないかと思います。

同期内で話し合いの際に見え隠れする意見の相違、後輩などと話していて感じる考え方のズレなどさまざまなことを感じてきました。が、綺麗事が好き、というか波風を立たせず終わりたいという性格のため、臭いものに蓋をし続けてきました。今思えばチームが全体として勝ちを目指すためにきちんと向き合うべき事柄や顕在化させなければいけないこともたくさんあったのだと思います。しかし、自分から蓋を開ける勇気はありませんでした。

そして自分のキャパの小ささを思い知りました。正しいとわかっていてもできない、不甲斐ない経験を嫌というほどしました。自分のこと、後輩のこと、チームのこと、全てをやるにはあまりに能力が足りなかったと思います。負担が主将一人に集中しているのをついぞ改善することはできませんでした。

ある先輩が
4年間部活動を続けたけど意味はなかった。
と言っていたのを4年生になって思い出すことがとても増えました。
それを聞いて、自分はどのように部活と向き合っていこうと考え続けた最後の1年でした。
結局今でもあまり意味は見出せていません。

部活動は一見
青春!友情!
のように美化されがちですがその下に隠れていい思い出があまりなかったり、挫折をしてきた人も必ず一定数います。
僕の場合はそれをたまたま大学の部活で経験しただけで、中学高校でそういう経験をした人も多くいるのではないかと思います。全員が全員いい形では終われない、当たり前のことです。

これだけ後悔したことを書き連ねていますが部員との出会いに後悔は微塵もなく、感謝しています。
単に自分がうまくできなかっただけです。

と、自分語りはこのくらいにして、、、

後輩に伝えたいことは、前向きなことに関しては最後のミーティングで言ったのでこのブログを踏まえた上でのことを。老害っぽい。

まずはこのブログで分かる通り自分の代の経験は他と比べて比べものにならないくらい大きいです。あまり試合を経験しなかった中でもそう感じたので本当はもっと濃い一年になるのではないでしょうか。(特に春秋リーグ、七大戦)
今最上級生じゃない人もそうなった時自分がどういう人間になりたいか、どうすれば組織において必要な人間になれるのかを考えておくことはとても大事だと思います。
そういう人間が下級生にいることもチームのプラスになるはずです。

そしてもう一つ、自分の考えは思ったより伝わっていないし伝えた方が良いということです。
僕も蓋をし続けてずっと黙ってきたので今書いているわけですが、みんなには後の祭りにならないようにしてほしいと思います。一回しかない大学バレーですから、問題から目を背けるなんてもったいない。どんどん苦悩して葛藤して意見がぶつかり合って、全体として答えを出してほしいと思っています。

こんな後ろ向きなことを書いておいてなんですが先ほども言ったように
僕は綺麗事が大好きなので東大が3部にまた昇格することをずっと夢見て心から応援しています。
いつかこの夢が叶うことを祈っています。

 

最後にいい写をば。

#14 今井