「男子部」カテゴリーアーカイブ

自己紹介① 天雨慶之

こんにちは。文科一類1年の天雨慶之(あまう よしゆき)です。今回は新入生の自己紹介ということでブログを書かせていただきます。

愛知県立(河合塾附属)旭丘高校出身で、名古屋生まれ名古屋育ちの生粋の名古屋人です。上京して早4ヶ月になりますが、東京の規模の大きさを目の当たりにして、三大都市として名古屋が東京と大阪と並列されるのはいかがなものかと思うこの頃です。

バレーを始めたきっかけは、中学校の先輩のスパイクを打つ姿を見てかっこいいと思ったことです。中高6年間バレーをしてきましたが、ポジションはレフトしか経験したことがありません。大学では一つ一つのプレーを上達させ、必要とされる立場で活躍できるようになりたいと思います。

高校時代はコロナウイルスの関係で高3の春から部活動ができなくなりました。最後の大会が開催されるかも危うく、部員同士でも引退するか否かを話し合うような状況でしたが、自分は断固残って試合で引退がしたいと思い、同期を引き留めて夏まで部活動をしました。結局インターハイは県大会が行われませんでしたが、最後に名古屋地区の予選で優勝することができました。

コロナ禍でこの経験をしたことで、信じて続けていれば何らかの形で報われるんだなと感じ、引退したその日から大学でもバレーを続けようと思うようになりました。

今になって、大学生活と一人暮らしの中で、週約16時間をバレーに捧げるのは考えていたほど甘くないということが分かりましたが、後悔はありません(落単)。優しい先輩方と面白い同期と共にバレーをするのは楽しく、何かを真剣に取り組める環境に恵まれているのはありがたいことだなと思っています。

まだまだプレイヤーとしても人間としても未熟ですが、これからチームの役に立って活躍できるよう頑張るのでよろしくお願いします。拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

【新歓ブログ】勉強との両立

初めまして、こんにちは。新二年の渡邊です。所属は文科一類です。

新入生の皆さん、受験お疲れさまでした。そして合格おめでとうございます。バレー部に興味を持ち、このブログを開いていただきありがとうございます。ここでは皆さんが気になっているだろう部活と大学の勉強、バイトとの両立、そして他サークルと兼部できるのかについて書かせていただきます。この点で入部に迷っている皆さんの不安が少しでも解消されれば幸いです。

先に簡単に結論を言いますと、すべてをうまく両立させてやっていくことは可能です。部活は週4日ありますが、部活のある日も午前か午後どちらは空いていますし、残りの週3日は自由に使えます。ただ、すべてを全力でやるとなると相当気力、体力が必要になると思います。現在の部員には成績が良く、バイトもやっている人は多いですが、サークルまで参加している人は少ないです。また、他のサークルだけ所属しているような東大生に比べれば、バイトに大きくコミットするのは困難にはなると思います。

…といってもこれらは僕個人の主観によるもので全員に当てはまるものではありません。自分の心の余裕などと相談して何をやっていくかを決めていくのが一番だと思います。バイトはやらないけどその代わりに他のサークルに所属して楽しむのもありですし、バイトやサークルには入らず、勉強と部活だけ頑張っていくのも一つの選択肢です。高校と大学の大きな違いの一つとして、時間割をある程度自由に組めるという点があります。これをうまく利用すれば、理想の一週間のスケジュールを作っていけるので、

確実に言えることは、部活をしているから単位を取るのが非常に厳しくなるということは決してありませんので、そこだけは心配しないでいただいて大丈夫です。なので、「学業の方が心配かも…」という方、「部活に入ってもバイトやサークル等いろいろやれるのかな…」と悩んでいる方でもぜひぜひ一度体験にいらしてください。いつでも新入生のみなさまが来てくれることを待っております。

もちろん「俺は単位を犠牲にしてバレーに捧げる」という方も大大大大歓迎です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【新歓ブログ】アルバイトとの両立

どうも、新2年生プレーヤーの小倉です。今回は部活とバイトの両立について書いていきたいと思います。
東大男子バレーボール部は火木曜日の夕方、土日曜日の午前中にそれぞれ約4時間、合計すると週に約16時間活動しています。こうしてみると、1週間でかなりの時間が部活に取られており、普段の授業で取られる時間を考えるとアルバイトする余裕はなくなるのではと思う新入生もいるかと思います。ですが、実際にはほとんどの部員がアルバイトをして生計を立てたり、遊ぶお金を貯めたりしています。そこで、ここでは僕の1年のAセメスターの実際の1週間を一例にどういう感じで両立しているのか紹介していこうと思います。
僕のアルバイトは塾のチューターで、業務内容は受付・電話と、先生の授業のサポートです。時給は1400円で、東大生のアルバイトとしてはあまり高い方では無いと思います。ではどのようにして稼いでいたのかというと、部活のない月水金の活用です。僕は授業を選択する際に金曜日に必修科目が入ってなかったので、あえて総合科目は金曜日を避け、その代わりに毎週8時間働いていました。その他にも月曜日、水曜日にも夜に3時間くらいちょくちょく入っていました。こうすることで月に多くて約50時間弱働くことができ、そこそこの収入を手にすることができました(これを多いと感じるか少ないと感じるかは人次第だとは思いますが)。
他にも、土日の部活後にバイトをしている部員もいますし、東進などの採点系のバイトをしている部員もいます。特に採点系のバイトはどこでもいつでもできるので、部活動をする人にとっては都合のあいやすい、いいバイトだと思います。
このように、部活動に入ることで多くの時間が部活に割かれるのは確かですが、かといってそのせいでアルバイトをする余裕がないという訳でもないです。バイトが理由で部活動に入ろうか迷っている人たちの参考になれば幸いです。

【新歓ブログ】一人暮らしとの両立

こんにちは!東京大学男子バレーボール部新2年マネージャーの松井なつみです。大学は東京女子大学で、出身は静岡雙葉です。今は大学の近くで一人暮らしをしています。私は大学生になってからバレー部のマネージャーを始めました。
今回は、一人暮らしと部活の両立についてお話しさせていただきます。

一人暮らしというのは大きな不安がついてまわるものです。ただでさえ、大学という新しい環境になる中で、更に1人で生活、、不安が多いと思います。
ですが!!人間やらなければならなくなるとなんでもできるものです笑 大学が始まれば、毎日が忙しく、やることがたくさんあります!そして、バレー部に入部すれば、バレーに打ち込むことができ、毎日が本当にあっという間です!!

一人暮らしにおいて、一番大変なのは、「食事」ですよね。ただでさえ、3食作るのは大変なのに、平日練習から帰ったら22:00なんてことも、、。練習でヘトヘトの中帰宅後作るなんてとても無理、、だからと言って外食はお金がかかるし、、そんなあなたに朗報です!!安心してください!大丈夫です!練習後に、下北沢や渋谷に先輩方がご飯へ連れて行ってくれます!先輩方が快く奢ってくださるので、お金の心配なし!!このご飯で先輩たちとの距離も縮まります。練習では見られない新たな一面も見ることができます。ですが、残念なことに現在は感染対策のため、行くことが出来ません。いち早く収まることを願うばかりです、。

大学生になると、自分に使える時間が想像以上に増えていきます。バレーを大学でも続けたいと思う方は、存分にバレーに打ち込めます。そして、この時間を有意義に使いたい!、何か1つのことに打ち込みたいという方にもピッタリです!ぜひ、バレーボール部へ来てみてください。お待ちしております!

2年マネージャー松井なつみ

【新歓ブログ】東大バレー部の1年間

こんにちは。男子バレーボール部新4年生の藤野です。東京大学に合格された皆様、合格おめでとうございます!!大学に入ってバレーボールをするのか、部活に入るのかサークルに入るのかなど、サークル選びに迷われているところでしょうか。ここでは、男子バレー部の1年の大まかな試合や大会のスケジュールについて説明しようと思います。ぜひ、皆さんのサークル選びの参考にしてみてください!どの試合も白熱したものとなり、また他大学の学生との交流を得られる機会にもなっています!

4~5月 春季リーグ戦
7月上旬 双⻘戦
8月中旬 七大戦
10月 秋季リーグ戦
2月上旬 東商戦
2月下旬 三大戦

<詳細>
・春季リーグ、秋季リーグ
大学バレーボール連盟が主催する公式戦で、休日を使って1ヶ月に渡って行われる。関東の大学が9部に分けられ、それぞれの部でリーグ戦が行われます。現在4部に所属し、3部への昇格を目標に練習しています。昨年度の秋季リーグの結果は4部12校中4位でした。
・双⻘戦
京都大学との定期戦を両校のチームカラーが⻘であることからこう呼びます。1年生主体の新人戦もあります。
・七大戦
東大、京大、東北大、九州大、名古屋大、阪大、北大の7大学で行うリーグ戦のことで、開催地は一年ごとに切り替わります。試合数が多いので、約1週間開催地に滞在します。遠征先での食事も密かな楽しみになります。前回開催地の福岡で食べたもつ鍋の味は今でも忘れられません。どの大学も応援に力が入っており、一年で一番盛り上がる大会です。前回は準優勝でした。
・東商戦
一橋大学との交流戦です。こちらも1年生主体の新人戦があります。一橋大学は近いので練習試合も盛んに行っています。
・三大戦
東北大学、九州大学を東京にお呼びして、2日間に渡って行われます。例年、初日は練習試合、2日目が本戦、という流れになっています。

ほとんどの試合で新人戦があるので1年生からでも試合に出て活躍することができます!もちろん1年生からレギュラーを掴み取ることも十分に可能です!少しでも興味のある方はぜひ、練習見学・体験にお越しください!新入生の皆さんが入部してくれることをバレー部員一同心からお待ちしています!興味がある方は、東大バレー部Twitterの新歓アカウントのDM、もしくはutvbmenshinkan2022@gmail.comまでお願いします!

【新歓ブログ】普段の練習について

普段の練習について

練習場所 東大駒場キャンパス第2体育館
曜日   火・木(17:00〜21:00)、土(8:30〜12:00)、日(9:00〜13:00)

練習メニューは、基礎練から複合練まで幅広く存在し、新たな練習法も取り入れながらチーム、個人の技能向上に取り組んでいます。指導者の柳川監督、常川コーチ、中島コーチから指導を受けつつも、基本的にチームメイト同士でアドバイスし合い、週4日一日四時間程度練習しています。練習試合も月に1、2回行っています。練習場所である第二体育館は最近新設された体育館で、清潔で冷暖房も完備され、練習には最も適している場所です。練習時のチームの雰囲気としては、先輩後輩関係なく意見を出し合い、一人一人がのびのびと練習できています。新入生のあなたもすぐに打ち解けて、楽しくストイックに先輩たちとの関係を深めながら、練習できるはずです。

【新歓ブログ】入部までの流れ

こんにちは!新二年生の淀川です。
今回は東大バレー部の実情を知ってもらうべくブログを更新します。
詳しい部活の内容や新入生のみんなが心配していることはこの後のブログで解消されるはずですので、僕は入部までに必要な手続きを書きたいと思います。
入部の前に多くの部員は、数回練習に参加すると思います。そこで必要になりますのが参加同意書。これはバレー部の新歓グループに入ると先輩から配布されるものです。またその時説明がありますので、これを記入して提出してもらいます。数回練習に参加してみて、入部を決意されるならば入部宣言をしてもらいます。これは名前の厳つさに釣り合わず、入部しますと言うだけです。こうして入部した後はチームのため、自分のために切磋琢磨する東大バレー部の一員として毎練習に参加してもらうこととなります。
入部までの流れはこんなところにして、それでは東大バレー部ってどんなところなのと思う新入生の疑問をここからのブログで解消していきたいと思います!
ぜひ読み進めてください!

引退しました(河田)


(新歓を除けば)自己紹介ブログ以来のブログを書かせて頂きます、2021シーズンで主将を務めさせて頂きました河田です。同期がこれまで素敵なブログを書いてきましたが、僕のブログで最後になります。稚拙な文章を書こうものなら同期の某須賀からお叱りを受けてしまうので、気張って書いていこうと思います。気張りすぎてすごく長文になりましたがどうぞ読んでやってください。

 

まずはお礼から入ろうと思います。一年間の活動を支えてくださった柳川会長、松永部長をはじめとする赤門クラブのOB、OGの方々に感謝を申し上げます。コロナの影響もありますが、最高学年になってからはより一層OB、OGの先輩方のご支援を強く意識するようになり、この恵まれた環境でひたすら自分の好きな競技と向き合うことのできた四年間は自分の人生において大きな財産となりました。今後は自分も後輩の背中を押せるようなOBになっていく所存です。

 

また、一年間チームを指導してくださいました柳川監督、常川コーチ、本当にありがとうございました。このチームで残せた結果はコロナの影響で多くはなかったですが、秋リーグ4位はやはり監督、コーチのご指導の賜物です。昨年、チームが始動するときに唐突にオファーさせていただいたと思いますが、引き受けてくださりありがとうございました。

 

次に、自分に根気強くアドバイスをくださったり、何度も機会を頂きながらも期待を裏切った自分に試合に出るチャンスをくださった先輩方、ありがとうございました。特に、主将として活動した一年間は、福島先輩、福田先輩、明本先輩は自分の目標でした。自分が壁に直面した時、「先輩方ならこの状況でどうしたか」など勝手に参考にさせて頂いていました。また、個人的ですがいつも親身になってアドバイスをくださった加納先輩、同じポジションとして面倒を見てくださった三須先輩、部活後にたくさんお話しさせていただいた一つ上の学年の先輩方を主とする下北組の先輩方、本当にありがとうございました。

 

そして、こんな主将に何も言わず付いてきてくれた後輩たちにも感謝しています。練習の進め方や選手起用、チーム作りなどで納得できないことも多かったかと思いますし、偉そうなことばかり言っていました(このブログでも言います)が、後輩たちは一人一人が素晴らしい才能を持っているので、ひたむきに努力をしてほしいです。みんながこの一年で大きく成長する姿を見せてもらえたので、僕はこの一年間が楽しかったです。後輩のみんなが主将としての僕を育ててくれました。ありがとう。

 

何より、四年間一緒に活動してくれた同期のみんな。最後の集合では言えなかったけど、部活を続けるか迷っていた自分を引き止めてくれてありがとう。今年だけでなく四年間ずっとみんなに支えられていたし、僕だけをベンチに置いてコートで躍動するみんなを見ている時間は悔しさや焦燥感を感じることが多かったですが、それ以上にいつも刺激をもらっていました。僕もこの同期で良かったと胸を張って言えます。卒業してからも、ちょくちょくは会ってスマブラでもアルチキでもしましょう。

さて、感謝の言葉も述べられたので、部活の振り返りと、後輩への言葉を遺したいです。自分のこれまでの思考の軌跡が色褪せないように文字に残そうと思っているだけの自己満なので、気軽に読んで頂けたらと思います。

 

いきなりネガティブな入りですが、思い返すと自分の選手としての道は険しいもので、何度ももらったチャンスを活かせず、期待に応えられない日々が四年間のほとんどでした。そのうちもらえるチャンスが減っていき、試合はおろか練習もコートの外から見ている時間が増えました。もちろん自分の努力不足、実力不足ですが、何をどうすればいいのかわからず八方塞がりの状態で、このまま部活を続ける意味はあるのかと迷った時期もありました。それでも同期が止めてくれたことや、やはり自分の中でバレーボールが好きだという気持ちに嘘はつけず、部活を続けることを選びました。

 

特に最後の一年は、自分の入部時の目標が達成できているのか、答え合わせの一年でした。僕は新歓コンパで「コートに立つ価値のある選手になる」という目標を掲げました。答え合わせをするまでもなく、厳密に言えば、最後までスタメンとしてコートに立つことのなかった自分は、当初の意図通りにはこの目標を達成できていません。試合の最初から最後までコートに立つ価値のある選手には最後までなれませんでした。無念。

 

しかし、僕は秋リーグ第3戦の桐蔭横浜戦が脳裏に焼き付いています。劣勢からの途中出場で逆転勝利する中で、試合においてチームのために何かをできたという実感を初めて感じられました。僕は主将なのに支えられてばかりで、圧倒的なプレーでチームを引っ張ることもできないし、チームの大黒柱にはなれませんでした。このプレーならチームで一番だと自信を持てるプレーも一つもなかったと思います。それでも桐蔭横浜に逆転勝ちをしたとき、コートに立つ価値のある選手に少しは近づけたと、自分で自分を褒めることができました。体育館に早く行ってボールを触っていた日々も、自主練に積極的に参加していたことも、実力不足で悩む中主将を務めたことも、報われた気がしました。苦しい時期や辛い時期がほとんどだった部活で、初めて自分を肯定することができたのです。試合に出続けた人に比べれば僕が四年間で得た結果は僅かなものでしかないかもしれませんし、自分の目標は意図する形では達成できませんでした。しかし、最初から最後までコートに立ち続けなくてもなんらかの価値を自分で生み出せたのでは、と思います。

 

そしてやはり、主将をできたという経験は大きな財産になりました。頼りない自覚もあったので、本当に僕に任せていいのか懐疑的だった同期もいたことでしょう。僕自身、主将になる直前に不安やプレッシャーに呑まれ、代替わり直前期には人生で一番悲観的でした。主将を引き受けるのは自分でいいのか、自分がチームのために何ができるか、自問自答しても答えが見つからないまま最後の一年は幕を開けました。そんな僕でも一年間主将としてやってこられたのは監督やコーチ、同期、後輩が僕を支えてくれたからです。僕は本当に「人」に恵まれました。頼りないリーダーを盛り上げてくれたチームのみんなには本当に感謝しています。僕がどれだけみんなの期待に応えられたかはわかりませんが、僕が主将でよかったと思ってもらえるように努力をしていたつもりです。一つ確かなのは、僕は一年間、最高のチームで主将ができて幸せ者でした。

 

というのが振り返りです。あとは後輩には少しだけ、自分が四年間で大切だと感じたことを遺します。引退しているのに口うるさくてすみません。参考にするもしないも皆さんの勝手です。僕は先輩方の引退ブログを読み、考え方などを参考にしていた派ので、「うるさいな」と思う人は読み飛ばしてください。

 

バレーを楽しんでください。その中で練習は手を抜かず、雑務も真摯に、部活動の全てに全力を尽くしてください。苦しいことの方が多くなる人もいるかと思いますが、バレーを楽しむ気持ちを失った時点で部活は苦痛でしかなくなります。部活の苦しい時間帯でも楽しさを見出してください。

 

考え続けてください。プレーだけでなく、プレー以外もそうです。自分は今何をすべきか、自分には何が足りないのか、なぜ上手くいかない、どうすれば上手くいく。客観的に自分を、そしてチームを見てください。考えている人間が一番成長すると持論ながら思っています。

 

ポジティブな声かけをしてください。流してはいけないミスに甘くなれというわけではないです。お互いのいいプレーや成長した部分は積極的に、直接褒めてください。それだけでモチベーションやメンタリティは変わってきます。足の引っ張り合いや貶し合いがなく、高め合えるチームになってください。

 

万全の準備を日頃からしてください。チャンスは急に訪れるもので、しかもほとんどの場合では有限です。それは個人にとってもチームにとってもです。いつどの状況でチャンスがきても自分の力を、チームの力を発揮できるように、普段の練習から万全の準備をしてください。

 

最後に、感謝の気持ちと謙虚さを忘れないでください、今当たり前のようにしている活動は、いろいろな人に支えられていると知り、意識してください。そして、試合に出ている人は、試合に出られていない人がどこかでサポートしてくれていることを自覚し、チームの代表としての責任感を持ってコートに立ってください。何度も言ってきましたが、応援される選手、応援されるチームになってください。

 

そして、試合に出られない人へ。僕は四年間で試合に出ている人は凄いと思いました。その人の弛まぬ努力の成果だし、かかる期待やプレッシャーも大きいと思います。ただ、僕は試合で出られない人の気持ちが痛いほど良くわかるので、そんな後輩を応援しています。スタメンにこだわってほしいと最後の集合で言いましたし、試合に出るために努力をしているのだと思います。ただ、その努力の過程で、結果が如何様になろうとも自分を肯定してあげてください。その努力の全てが結果に結びつかずとも、それは個人を成長させる糧になります。引退時に四年間を振り返り、自分はベストを尽くし大きく成長できたと胸を張って言える部活人生を送ってください。

 

余談ですが、引退試合の城西大学戦、東大の最後の得点は図らずも自分が四年間磨き続けたライト平行のストレートでした。誰の印象にも残っていないかもしれませんが、自分自身はあの感触を一生忘れることはないです。僕の四年間が詰まった得点でした。努力を続けていれば、報われる瞬間も必ず存在します。後輩の皆さんはチームの誰よりもボールに触り、努力をし、バレーを楽しんでください。そして、努力が報われる瞬間を自分で掴んでください。

 

と、まあ色々と書きましたが、結局のところ僕は後輩だった三年間、先輩方の背中から多くを学びました。試合に出てチーム勝たせる先輩はもちろん、試合に出られずともベンチからチームを支える先輩、大きい声でチームを鼓舞する先輩。先輩方の背中を見てこういう選手になりたいと思うことが多かったです。

 

同じように僕が一年間主将として、また一人の選手として見せてきた背中が、全員でなくとも誰かの心に残っていればいいな、と思っています。

 

そして、後輩たちの3部昇格と東大バレー部の益々の発展を願って、引退ブログとさせていただきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

四年 #6 河田陸

引退しました(中島)

こんにちは。先日部活を引退しました中島博雅です。ブログを書くのは新入生自己紹介以来な気がします。

現在はコーチとして平日は練習に参加していて、普通にスパイク練やサーブ練に入ったり部員と一緒に自重トレーニングをしちゃったりしています。むしろ球出しを長時間するので現役の時以上にハードな練習となっていて、引退したのに太る気配が全くありません。

さて、何を書こうか迷いましたがここで後輩に伝えたいことを書いてしまうと練習後のミーティングで喋ることが無くなってしまうので、同期と同じように4年間の振り返りをしていこうと思います。

東大に入学してもバレーを続けることは決めていましたが、部活にするかサークルにするか3秒ほど悩んだ結果部活に入ることを決めました。特に悩んでいないので後悔する余地もありませんが部活に入ってよかったなと心から思っています。

1年生の7月の双青戦で初めて試合に出していただき、そこからほぼすべての試合にスタメンとして出場しました。守備もへたくそでさぼるし自分のスパイクにしか興味が無いプレイヤーだったのにたくさん試合に出していただき、先輩方には本当に感謝しています。

一番印象に残った公式戦は、やはり2年の七大戦です。2日目の朝に留年が決定するという大事件が起きながらも鋼のメンタルで持ち直し、4日間闘い抜いてチームは準優勝、個人では猛打賞を獲得するという波乱の七大戦でした。この時はこれが最後の七大戦になるなんて夢にも思っていませんでした。

今まで部活を振り返ったときに、2年の冬あたりから記憶がすっぽりと抜けています。部活中心の生活で毎日バレーのことしか考えていなかった自分にとって、大好きなバレーができないということは本当につらかったです。コロナが無くて、ちゃんと練習やトレーニングをしていたら、今頃もっと強くなっていたのかなと思うと悔しい気持ちでいっぱいです。

3年の夏あたりから部活が再開しました、代替わり後は公式戦がほとんどないのに練習はあるという状況で何のために部活をしているのだろうと思うこともありました。しかし、その中で何回かあった練習試合は本当に楽しく、チーム一丸となって戦うことはこんなにも楽しかったんだと感動し、練習のモチベーションにしていました。

なので、最後の大会が無事開かれて本当によかったと思います。秋リーグの初戦では負けて本当に悔しかったです。どうでもいいですが帰り道で泣きました。試合で負けて泣いたのは初めてでした。それだけ気持ちが入っていたのだと思います。秋リーグ全体を通してアツい試合がたくさんあり。その中でも勝てた試合が多かったので、引退試合としては最高のリーグだったと思います。

4年間を振り返って、自分にとってはとても楽しい充実した4年間だったと思います。
しかし、自分はとても自分勝手な人間だったし、練習でもやる気の波が激しく手を抜いてしまうことがあったり、人間的に成熟したプレイヤーではなかったことをとても反省しています。そんな中、自分が部活で好き勝手振舞っているときにチームをまとめてくれていたり、サポートに回ってくれていた同期、先輩、後輩の存在には本当に心から感謝しています。

これからは自分がチームのサポートに回る番です。今まで自分が試合で得た経験をコーチとして存分に後輩に伝えることができたらいいなと思っています。球出しも頑張ります。

引退ブログなのかコーチの抱負ブログなのかよくわからくなってきたのでこのあたりで終わりにしようと思います。ありがとうございました。

#1 中島

引退しました(伊藤)

引退しました、伊藤隆一朗です。

最初に近況報告をいくつかします。

院試に無事合格しまして、来年から新領域創生科学科の先端エネルギー工学専攻というところに進学することになりました。本郷と柏を行ったり来たりする生活になりそうです。
現在は内容のない卒論を頭振り絞って書いているところです。今はまだ12月なので、なんとかなると信じています。
そして、来年から住む家が決まりました。今住んでいる愛知県民寮を出て、1月から本駒込で一人暮らしになります。駅から近くて便利そうで、今からちょっと楽しみです。良かったら遊びに来てください。

あんまり近況報告が長くてもしょうがないので、早速本文に入ります。

僕は大学2年の4月に入部しました。なんで1年で入らなかったのか?とよく聞かれますが、1年の4月に他の部活やサークルをいろいろ見て回っていたら、タイミングを逃してしまったというのが大きな理由です。2回あった体験練習会どちらにも他の予定と被って参加しませんでした。後になってものすごく後悔しました。あと、一度普通の練習に体験で来た時、周りのレベルが高すぎてびびってしまったというのも正直あります。びびっただけで諦めてしまうのは本当にばかだったなと、これも後になってすごく後悔しました。

途中入部ってことでかなり珍しく周りも戸惑ったと思いますが、先輩と後輩と何より同期に恵まれたから、やっていけました。他でもなくこの代だったから入って続けられたと思います。感謝しかありません。

もし万が一、今はバレー部じゃないけれど途中入部を考えている人が偶々このブログを見ていたら、言いたいことがあります。是非思い切って一歩踏み出してほしいです。僕は性格的にも途中から入るっていうことがすごく苦手で当時とても怖かったんですが、あのとき途中からでも入部して、本当に良かったなと思っています。
ただ一つだけ注意して欲しいことがあって、一度入部しますと宣言したら、その後の練習は必ず参加してください。注意というか当たり前のことですね。人として常識です。

後輩たちに言いたいことをまとめます。部活がつらいと感じても入部しようと決めたときの自分を信じて、一つ頑張ってみてください。途中からでも入れて欲しいと言い出す奴がいるくらい、この部活は魅力的です。

引退ミーティングで上記の話をしようと思っていたのですが、泣いてまともにしゃべれそうになかったので、みんなでご飯を食べましょうという話をしました。

という訳で、入部してから食べたご飯を振り返ってみます。1番思い出深いのは、石神井公園駅の「麺処 井の庄」の辛辛魚らーめんです。2月の雪が降った寒い日に、東京海上日動との練習試合の帰りに同期と食べました。これが人生で食べたラーメンの中で1番美味しかったです。心と体に沁みました。

もし、雪の日に石神井公園駅を使う機会があったら、是非行ってみてください。

最後になりますが、監督、コーチ、先輩方、後輩たち、支えてくださってありがとうございました。そして同期、この代で良かったです。ありがとう。またご飯食べに行きましょう。

#16 伊藤

秋季リーグ結果&新チーム始動報告

ご無沙汰しております。3年の増田です。今回は秋季リーグの結果報告と代替わりの報告ということでブログを書かせていただきます。

まず今回の秋季リーグの結果をご報告いたします。

1日目

東京大学●1-2○埼玉大学(25-22, 18-25, 13-25)

2日目

東京大学○2-0●神奈川大学(25-20, 25-18)

東京大学○2-1●桐蔭横浜大学(23-25, 25-18, 25-20)

3日目

東京大学○2-0●成蹊大学(25-20, 25-22)

東京大学○2-1●一橋大学(22-25, 25-17, 25-17)

4日目 順位決定戦

東京大学●1-2○城西大学(17-25, 25-16, 16-25)

最終結果

1 流通経済大学

2 埼玉大学

3 城西大学

4 東京大学

5 東洋大学

6 一橋大学

7 桐蔭横浜大学

8 東京農業大学

9 神奈川大学

10 芝浦工業大学

11 成蹊大学

12 東京都立大学

以上の通り、今回のリーグ戦は44位という結果で終了しました。

また、この試合で4年生の先輩方が引退されました。エースの中島先輩や主将の河田先輩をはじめ、長い間主戦力、あるいは精神的な支柱としてチームを引っ張ってこられた先輩方に改めて感謝と尊敬を感じています。本当にお疲れ様でした。

新型コロナウイルスの流行による試合の中止が続き、今回は公式戦としては1年ぶり、昇格のかかった戦いとしては2年ぶりのリーグ戦でした。力強いプレーでチームをリードしてくれるような先輩方の力をもってしても昇格には届かなかった、という結果を受けて、昇格をかけた試合を初めて経験した12年生の部員たちは「3部昇格」という目標は生半可な覚悟で達成できるものではないのだと感じてくれたと思います。最上級生となる僕たち3年生も、今一度心を引き締めてチーム作りに励んでいこうと思っています。

さて、今回の試合で先輩方が引退され、新体制での活動がスタートしました。

今年度は、昨年に引き続き監督としてS52卒、柳川洋輝先輩、コーチとしてR2卒、常川大翼先輩、そして新たなコーチとして今回引退された中島博雅先輩を迎え、ご指導いただきます。

新チームでは、ブロックとレシーブの連携のとれた「トータルディフェンス」による固い守備を実現することをテーマとし、日々の練習に取り組んでいます。長く達成できていない「3部昇格」という目標を今度こそ成し遂げられるよう、チーム一丸となって精進していきます。

応援よろしくお願いいたします。

3 増田凌

引退しました(大須賀)

※このブログを執筆するにあたって縦読みでメッセージを残しました。時間のない方はそこだけでも読んでください。

ブログ上ではお久しぶりです。先日無事に4年間の部活生活から引退しました、大須賀です。私事ですが来年以降は今と同じ学科に院進するので少なくともあと二年はこの大学にしがみつくこととなりました。後輩からもらったキットカットはいまだに開けることができずにずっと飾られています。

後輩マネージャーから期日を言い渡されていましたが完全にすっぽぬかしていて怒られたので急いで書き上げています。急いで書き上げてはいますが一切稚拙な文章だとは思っていないので稚拙な文章を平気であげる後輩たちは参考にしてほしいです。

引退ブログは書き始めが一番難しいです。引退した日のあいさつで言いたいことはほとんど言い終えてしまったのもありますし、たいしたことない先輩が引退したからって後輩に偉そうに教訓垂れているのが嫌いだったのもあるので何を書くのかは非常に迷いました。本当は同期のブログを丸パクリしようかと思いましたがせっかくの機会にもったいないのと研究者としてのモラルがあるのでやめておきます。ただの思い出を書き残せればいいと思います。OBOGの方々への感謝はまた別の場所で行うのでここでは割愛します。

1年生の時は、当時代持ちの先輩方にまだ技術も心構えも拙い私を試合に用いてもらえて非常に感謝しています。私は強豪校出身でもなく、エースだったわけでもないのに早いうちから試合に出ることができたことは4年間部活をする上で非常に大きなものとなりました。もともと真面目にバレーをするほうでしたがその1年のおかげで試合に出ることの大変さと楽しさ、1点取ることの大変さと楽しさ、勝つことのうれしさや負けることの悔しさを学べました。ありがとうございました。

2年生の時は、ろくな思い出がないので割愛します。学んだことも多かったですがそれを完全に打ち消しなお足りないほどの苦痛を味わったのでトータルマイナスです。最悪の1年間でした。

3年生の時は、当時の主将に非常にお世話になりました。コロナであまり活動もできず、私の同期たちは後輩としてはうざったいのが多かったので大変でしたと思いますがチームが勝つために動く姿勢に敬意を払います。ありがとうございました。

4年生の時は、やはりコロナであまり試合はなかったですがある程度勝率の高いチームになってよかったと思います。大会なく練習だけの日はつらい部分もありましたがこのチームを築き上げた主将は立派だと思います。胸を張ってもらって大丈夫です。

ミドルとしては、なぜかこのポジションは呪われているのでお世話になった3学年の先輩方にミドルとして無事に卒業した人が1人もいないという事態になっていました。後輩にも純正のミドルは1人もいないので途中から入った同期を除くとほとんど自分で強くなる道しか残されていませんでした。結果としてスタッツだけを見るとある程度自分では満足のいくプレーはできたかなと思います。今の後輩たちの指標になることができていたらうれしいです。

後輩としては、あまりかわいげのある後輩ではなかったと思います。意外かもしれませんが人の好き嫌いがそれなりにあるほうで、かつ露骨に態度に出るほうだったので思い通りいくような後輩ではなかったかもしれませんがそれでも私に向き合って付き合ってくれた先輩方に心から感謝しています。甘えていて申し訳ありませんでした。

先輩としては、結局いい先輩になれたかどうかの答えは出ていません。かかわってきた先輩のいいところを見習い悪いところを反面にして生きてきましたがどの程度成功しているのかは難しいところです。ただ、当然といえば当然かもしれませんが後輩からもらったメッセージカードには肯定的なことが多く書かれていて非常に気持ちよかったです。私の意志は引き継がれるらしいのでどこに行きつくかは見ものだと思っています。

最後になりますが、この同期とともにバレーして引退できたことは本当に最高でした。よく浪人した人は浪人してこの学年になれてよかったという人が多いですが私もひしひしと感じています。(そもそも現役で入っていたらメッセージカードもらえていなかったし、マジでよかった…)大学生活で一番長くいた仲間であり、一番心を許した仲間でもあります。できれば私だけでなくみんなもそう思ってくれているとぎくしゃくしなくて助かります。

長々と書きましたが好きなだけ自分語りができて満足しました。今更同期や後輩に言うことはないので好きにやってもらえればいいなと思います。私は結構この部活が好きだったので行ける範囲では大会の応援など行くつもりなので手に汗握るギリギリの展開で、なお勝つような試合をしてくれると見てて盛り上がるので期待しています。

#8 大須賀

引退しました(四海)

こんにちは、先日部活を引退しました農学部4年四海佑亮です。現役時代は主務をしていました。名前だけでも覚えて帰ってください。

 

自分は何故か入部ブログなどを書いたことがないので、最初に書くブログが引退ブログになっています。訳がわかりませんね。多分まとまりのない文章になりますが、そういう事情を察してもらえるとありがたいです。

 

このブログを書くにあたってどのようなことを書くのがいいのか、いろいろ考えました。後輩に色々な言葉を託してもいいですが、それはまた別の機会に話すことになりそうなので、バレー部に在籍した4年間をシンプルに振り返ろうと思います。

そもそも何故部活に入ったかというと、正直消去法というのが大きかったです。当時はサークルに入ってバレーを楽しめるほど上手いわけではなくて、多分サークルに入っても長くは続かないだろうなあというのは薄々感じていました。趣味にせよ何にせよ、自分は楽しさだけを求めても長続きしないタイプだったので、やりがいを求めて部活に入ったという感じです。

 

自分は中学校ではリベロをしていて、高校ではセッターをしていました。大学では最初はセッターをしていましたが、どうしてもリベロがしたくて、初期にリベロにコンバートしました。実質初心者同然で、今思い返しても本当に下手くそだったと思います。実際、当時はコートに立つ未来が全く見えませんでした。周りの大学生が楽しそうに遊んでいる中週4日練習をして、それでも全然上手くならない。最初の1年は虚無感を感じながら部活に取り組んでいたので、バレーボールが楽しくなくて、本当にしんどかったです。何度も (辞めたいなあ) と考えていたのをよく覚えています。それでも、七大戦で同期とはしゃいだり、毎週のように麻雀をしたりしていて、バレー以外の部分は楽しんでいました。おかげで辞めずに済んだと思っています。七大戦のホテルで同期と一緒にパンパンに湯が張った浴槽に入って、水がザバァーッと溢れていく様子を見てみんなで大爆笑したのが、なんだかんだ4年間で一番笑ったかもしれません。今見返してもめちゃくちゃいい笑顔ですよね。いい思い出です。

そんなこんなでなんとか辞めずに頑張っていたら、ある程度上手になりました。2年の夏の七大戦からはレギュラーとして起用してもらうようになり、頑張ってきて良かったと思えました。一方で、チームを背負って試合に出るため、チームの弱点や自分のプレーの拙さに対してそれまで以上に真剣に向き合う必要がありました。コートに立つことへの重圧や外で応援してくれる人への責任感は、しんどい下積みがあったからこそ余計に感じました。

なんだかんだで2年の夏から引退まで試合に出ましたが、後半はコロナもあってか、あまり深く記憶に残っていません。大会がない期間はあまり試合のことを考えなくて良かったので、後輩たちとワイワイしながら気楽に部活に臨めました。最上級生としての最後の1年間は試合がなかったとはいえ非常に楽しかったです。いい後輩に恵まれたなぁと思います。

 

つらつらと4年間を振り返りましたが、文章量でわかる通り、4年間を振り返ると最初のしんどい期間が記憶の大半です。辛いからこそ記憶に残っているのだと思いますし、結果としてそういう期間があったからこそ引退の際の感動が大きいのだと思います。辞めずに続けて良かったです。いい4年間でした。

 

最後に、面倒を見てくれた先輩や自分を起用してくれた当時のキャプテン、慕ってくれる後輩、チームの面倒を見てくれた監督・コーチ、引退に花を添えてくれたマネージャー、そして何より、辛い時も楽しい時も一緒に過ごした最高の同期に、普段は照れて言えないからあえてこの場で感謝を伝えたいと思います。みんなと過ごせて本当によかったです。一生忘れません。引退してからだいぶ暇なので、ぜひまた会いましょう。楽しい話を聞かせてください。

#9 四海


 

自己紹介 渡邊耕大

こんにちは。2021年度に入部しました新入部員の渡邊耕大です。自己紹介を短いですが書かせていただきます。

出身は神奈川の聖光学院で、ポジションはレフトとライトを経験しました。学校は中高一貫だったのですが、学校が部活に全くと言っていいほど力を入れておらず活動も週に2,3回ととてもゆるーい部活でした。なので大学ではもっとがっつりとバレーに集中できるような場所を探して、ほかのバレーサークルなどではなく部活を選ばせていただきました。

部に入って二か月ちょっとを過ごした感想ですが、先輩方はとてもやさしく、また部員全員がバレーボールと真剣に向き合ってプレイしていて部に入ってよかったととても実感しております。大学からのポジションはライトを中心にやっていこうと思っていますが、高校はレフトでのプレイが中心だったのもありライトの動きにまだ慣れていないのでこれからもっと精進していこうと思います。自分は身長が170と低いのでスパイクだけでなく二段トスやカットの精度などをより一層磨いていかなければと焦っています。

ブログを書いている今、ちょうど大学入学後の初めての定期試験に直面しています。部に入るとやはり気持ちの面でも時間の面でも勉強をすることが難しく、ほとんどの科目が一夜漬けで大学初めての定期試験が絶望の二文字で染まりそうです。秋学期の試験ではもっと余裕を持てるよう日頃から勉強したいです。(たぶんできないと自分でもわかっています…)

稚拙な文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

自己紹介⑨ 髙田修太郎

こんにちは。男子部一年,理科二類の髙田修太郎と申します。今回は自己紹介ブログを書かせていただきます。

出身高校は岐阜県立岐阜高等学校で、理科二類に所属しています。身長は165cmで、現在のポジションはリベロをしています。バレーボール歴は意外と(?)長く、小学2年生の時に始めて以来もう12年目になります。3歳年上の姉がスポーツ少年団に入団した際に、母親によって半ば強制的に入団させられたことがバレーボールに出会ったきっかけでした。

小学生の頃は運動神経が極端に悪く、チームメートに日常的にからかわれていたので、練習に行くことが非常に苦痛でしたが、そんな環境から逃げ出す勇気もなかったので惰性でバレーボールを続けていました。(そんな経緯があって、実は新歓ラインでは経験年数8年とサバを読んでいました(笑))

中学校に進学した際にバレーボール以外のことを始めることも考えたのですが、「男バレが人数不足で存続の危機らしい」という話を聞いて経験者としての義務感からバレーボールを続けることにしました。その中学校では指導者と仲間に恵まれ、練習は非常に厳しかったですがバレーボールの楽しさを知り、高校でもバレーボールを続けることを決めました。

大学に入るころにはバレーボールにも満足しているだろうと私自身考えてはいたのですが、高校最後のIH予選が新型コロナの影響で中止になってしまい、どこか不完全燃焼感を感じていましたし、中高では常に人数不足でレギュラー争いをしたことがなかったため、レギュラー争いがあって真剣に取り組める環境でバレーボールがしたいと思い、大学でも部活動に入ることを決めました。

私がこの4年間で大切にしたいことは「部内で一番になれることを探し続ける」ことです。ご存じの通り、男子部には23人のプレーヤーがいますが、コートに立てるのはわずか6人、メンバー登録されるのは多くて14人までです。自分よりも上手なプレーヤーは先輩や同期と沢山います。そんな環境で自分の芯になるものを見つけられず、ただ漠然とバレーボールをするだけではこの4年間はあっという間に過ぎ去ってしまうと思います。また、人生において部活動という形でバレーボールに熱中できる機会というのはおそらくこれが最後になると思います。だからこそ、自分の芯になるものを探し続け、常に考えてバレーボールに取り組んで、4年後には、好きなバレーボールに真摯に向き合ったと胸を張って言えるような選手になりたいのです。

少し冗長にはなりましたが自己紹介と入部の決意を書かせていただきました。同期や先輩からは「普段と全然違うじゃない(笑)」というツッコミを受けるかもしれませんが、決意を胸にバレーボールを楽しんでいければと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

 

#23髙田修太郎

自己紹介⑧ 松井なつみ(M)

自己紹介 松井なつみ

こんにちは。初めまして。1年マネージャーの松井なつみです。今回は自己紹介のブログを書かせていただきます。初めてブログというものを書くので拙い文章ではございますが、どうぞ最後までお付き合い下さい。

私は現在、東京女子大学 現代教養学部 人文学科歴史文化専攻 1年生です。出身高校は静岡雙葉高校で、3年生マネージャーの桑原さんの姉妹校の学校に通っておりました。中高共に6年間吹奏楽部に所属して、ほぼ毎日部活に取り組み、充実した毎日を送っておりました。

さて、次になぜ中高吹奏楽部であった私がバレー部のマネージャーになったかをお話させていただきます。高校3年の時、受験勉強の合間にたまたまバレーの試合を見たのがきっかけで、バレーボール観戦にハマりました。そして大学では自分もバレーに携われるサークルや部活がしたい!と思い、マネージャー募集があったこちらに入部しました。また、2020年に完結された「ハイキュー!!」のファンでもあったことが今回の入部を後押しました。(ちなみに!!好きなのは菅原孝支くんです!)

新型コロナウィルスの影響により、部活に参加出来ず、先輩方や同期とも会うことがなかなか出来ず、もどかしい日々を送っておりますが、練習に参加できるようになりましたら、誠心誠意、一生懸命部活に貢献致します!まだ右も左もわからない若輩者ですが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。1年生自己紹介ブログは続きます!!次回もお楽しみにー!

1 松井なつみ

※自分の写真が無さすぎてマスク有しかなくて申し訳ありません!!!

自己紹介⑦ 安田慎吾

はじめまして。男子部1年の安田慎吾です。今回は自己紹介ということでブログを書かせていただきます。

出身は兵庫県で、甲陽学院高校を卒業し河合塾でのもう1年の受験勉強を経て現在は理科二類に所属しています。身長は181cmでポジションについては高校の頃はミドルをしていましたが現在はレフトをしております。

僕がバレーボールを始めたきっかけは中学の時バスケ部の見学に行くつもりで体育館に行ったところバレー部の先輩方に勧誘を受けて参加してみると案外楽しかったからというものです。高校のバレー部の部活動がもうこれで十分というくらい楽しかったので正直大学に入学した時の僕には「バレー部に入部して本気でバレーを続けよう」といったような強い意思はありませんでした。そのため他のサークルにもいくつか見学に行っていましたが他のものを見ているうちに全力でバレーをすることができるのは大学が最後なのだということを一層感じさせられ、やっぱりちゃんとバレーを続けたいと思ったのでバレー部に入部することに決めました。

東大バレー部に入ると先輩方が僕たち1年のプレーについて足りないものや、こうしたらうまくいくという方針についてアドバイスを下さるので、そのアドバイスを何とかものにしようとして頑張る精一杯な日々を過ごしています。そのおかげで少しずつ自分が上達していくのを感じる時があり充実した部活動をおくることができていると思います。

最後に現在の僕の目標について書かせていただきます。それは「頼りがいのあるプレイヤーになること」です。恥ずかしながら現在は先輩方に頼ってばかりだったり自分の体が脆いせいで入部時から怪我を繰り返してしまったりしているので、そのようなプレイヤーになるにはまだまだ努力が必要ですが少しずつでもそのようなプレイヤーになっていけたらいいなと思っています。

あまりまとまりのない文章になってしまいましたがこの辺で締めさせていただきたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

#15 安田