引退 その1

こんにちは。先日引退しました、4年のみかです。この間、3週間ぶりにバレーをしに行ったら、ジャンプ力が10センチ落ちていて、ショックを受けています。

文章を書くのが苦手でブログを後回しにしていたら、とうとう大晦日になってしまいました。今年中に書き上げるべく頑張りたいと思います。

まずは、私達の活動をご支援、応援して下さったOG・OBの皆様に感謝申し上げます。特に今年は、コロナの制限があって他校と練習試合ができず、たくさんのOB・OGさんにゲーム練に来ていただきました。しかも、マスク着用をお願いするという過酷な状況で何度も練習にきていただき本当にありがとうございました。

それから部長の松永さんを始め、歴代の監督・コーチ・スタッフの皆様にも大変お世話になりました。感謝申し上げます。特に、福田さんには、技術面、精神面、チーム作り、様々な方面から支えていただきました。福田さんがいなければ、この一年どこかで行き詰まっていたと思います。

そして、引退が12月にずれ込んでも、公式戦でなくても、文句も言わず最後までついて来てくれた後輩たち、本当にありがとう。もっとたくさんの試合をみんなと経験したかったし、結果を残す機会さえなかったこと、とても残念に思います。

今までお世話になった先輩方。いつも、私たち二人を温かく見守ってくださってありがとうございました。初心者の私にたくさん教えてくださり、たくさんパスにも付き合っていただきました。先輩方のおかげで、のびのびとバレーをすることができました。

それから、たった一人の同期、悠理。なんだかんだ私たちは相性の良いペアで、お互いの足りないところを補いあっていたのではないかと思います。不運な年だったけど、最後まで、熱く元気にチームを引っ張ってくれて本当にありがとう。

ざっと、4年間を振り返ってみたいと思います。
1年生の時、何かの縁があって初心者ながら入部を決め、先輩方を大変驚かせました。入った直後は練習についていくのに必死でしたが、バレー経験2ヶ月で出場した京大戦の新人戦は、負けはしたもののとっても楽しかったのを覚えています。(負けて悔しがっている悠理の横でニコニコ楽しかったです!とか言ってごめんね。) 

2年生の時は授業もあまりなく、ボールを一番触っていた時期でした。悠理とスポ身で週二回バレーの授業をとって、部活前に体育館が空いていれば、悠理とずっと対人をしていた気がします。そして、ありがたくも試合に出していただけるようになりました。ですが、試合で勝っても自分が貢献していると感じたことはなく、力不足をずっと感じていました。今考えると、あんなに下手だった私を使ってくださったこと、本当に感謝しています。秋リーグで格上の相手にセットを取った時はとても感動して身震いしたことを覚えていますが、どこか他人事のようにも思っていました。

3年生になって試合に出る機会は減りましたが、自分の力不足は感じていたので納得していました。練習すればうまくなれた時期は過ぎ、これからどうやったら上達できるのかと伸び悩んだ時期ではありました。

だからこそ、代替わり後、福田さんが理論的にどうしたらうまくなれるのかを教えてくださり、少しずつ個人としてもチームとしてもうまくなっているのを嬉しく感じていました。その矢先にコロナで活動中止になり、春リーグも七大戦もなくなるということを伝えられました。本当にショックでした。特に七大戦は、3年生の時にあまり出られなかった分、次はフル出場して優勝したいと、ずっと楽しみにしていました。自粛期間中は部でオンライン筋トレをしていましたが、もしバレーが再開できなかったら、ただ健康増進のためにやっていることになってしまうなどと考えていたら、すごく悲しくなりました。いつ状況が好転するかも分からなかったし、もうこのまま引退かもしれないとも正直思っていました。

7月には、バレーが再開できそうな雰囲気も漂って来て、何度もこっそり悠理と公園でバレーをしました。8月には悠理が尽力してくれた甲斐あって、練習を再開することができました。真夏の冷房のない御殿下での、マスクをつけてのバレーは地獄のようでしたが、それでもみんなでバレーができるようになったことはとても嬉しいことでした。その一方で、すでに公式の秋リーグは中止が決まっている中、何を目標にバレーをしたらいいのだろうと悩みました。バレー自体は楽しかったですが、どういうモチベーションで冬まで続けたらいいのかと思っていました。でも9月に入って、福田さんのアドバイスのおかげか、筋トレの成果が出たのか、急にスパイクが広範囲に強く打てるようなり、それが楽しくてモヤモヤしていたのが吹き飛んだ気がします。

そして、12月、秋リーグの代替試合を2戦とも勝利で飾ることができました。みんな緊張していつもできていることができなくなるんじゃないかと密かに心配していたのですが、蓋を開けてみると皆がいつも以上の力を出して、ボールをつないで、最高の形で勝ち切ることができました。これまでの4年間、自分のせいで負けたと思ったことはありましたが、この試合が初めて勝利に貢献できたと思えた試合でした。一年前、「私の個人的な一年の目標は、ここぞという時に安心してトスをあげてもらえるようなスパイカーになること、そしてディグを上げても褒められないレシーバーになることです。」とブログに書きました。最後まで、ディグをあげたら褒めてもらえるレシーバーではありましたが、この一年でスパイクもレシーブもだいぶ良くなったのではないかと我ながら思います。この一年試合ができなかったことは辛かったですが、最後にこんな最高の試合が経験できて、終わりよければ全て良しという気持ちになりました。

バレーボールは経験者が多いため、大学から始めるのは敬遠されがちなスポーツだと思います。でも、私はバレーをやめたいと思ったことは4年間一度もありませんでしたし、1年生の新人戦の時に感じたバレーが楽しいという気持ちをずっと持ち続けたままバレーを続けることができました。それも同期、先輩後輩、コーチの方々のおかげだったと思います。本当にありがとうございました。他の人と比べて短くはありますが、幸せなバレー人生でした。これからも細々とバレーを続けていこうと思います。

来年は、リーグ戦や定期戦が無事開催できることを祈っています。
ずっと応援しています。

年末ですね

こんにちは、3年のくろです。

2020年も残すところあと2日になりました。
私は昨日、年内のレポートを出し終え、ようやく冬休みが来ました!

このブログの目的は、12/22(火)に今年最後の練習を終え、年末年始のオフに突入したことを報告することです。
なので、ほかにあまり書くことはないのですが、、
せっかくなので、2020年の振り返りをします。

1月から3月は、ひたすらに練習していました。部員みんな(特に現2年生)がどんどん上手になっていって、冬の基礎練期間の可能性にわくわくしていました。
4月からは、みなさんご存知の通り新型コロナウイルスの流行により練習ができなくなり、オンラインで筋トレをする日々でした。私は腕立て伏せの記録が4回から20回くらいに増えていました(今はどうなっているか知りません)。オンライン上の新歓も手探りで、誰も入部してくれなかったらどうしようと心配していました。今となっては3人のかわゆい一年生が入部してくれて、当時の自分に大丈夫だよーと教えてあげたいです。
そして、8月から練習を再開し、久しぶりのバレーで、あれ?オーバーってどうやってとばすんだっけ?と戸惑いながらも、徐々に感覚を取り戻していきました。練習時間が思うようにとれなかったり、他校との練習試合ができなかったりと、まだまだ難しい状況でしたが、それぞれがさらに一段階成長して、12月の秋リーグ代替試合で勝利を収めることができました。
それから代替わりして2週間練習を行ったところです。

振り返ってみるとやはり、コロナでほとんどの試合がなくなってしまって悔しい一年でした。それと同時に、バレーがどれだけ楽しいか、バレーがどれだけ好きかを改めて感じることもできました。
みなさんにとって、2020年はどのような一年だったでしょうか。

最近、再びコロナの感染が拡大していますね。まだまだ油断ならない状況が続きますが、来年は試合がたくさんできることを信じて、練習を頑張ります。
来年のチームとしての抱負は、年明けに主将のはながきっちりブログに書いてくれると思います。とりあえず私個人としては、けがをしない・させないことを第一の目標に掲げます。

一年間、応援ありがとうございました!!
来年もよろしくお願いいたします。
それでは、よいお年を。

自己紹介⑨ 永田飛鳥

こんにちは。男子部1年の永田飛鳥と申します。今回は自己紹介ブログを書かせていただきます。

出身高校は大阪の北野高校で、文科二類に所属しています。身長は168cmで、ポジションはセッターを務めています。

私は中学時代にバレーボールを始め、当時からセッターとしてプレーしていました。練習が厳しかった上に引退試合ではレギュラーを外され、もうバレーなんて二度とやるものかと思ったのを覚えています。

しかし、結局高校時代もバレー部に所属しました。厳しい部活ではありませんでしたが、ある程度結果を残すことができ、引退の際にはやはり、バレーはもういいかなと思いました。

しかし、東大バレー部の練習に参加すると、部員達が自主的に練習メニューを組むなど、自分の予想以上に真摯にバレーに取り組んでいることをを知りました。自分は高校時代、人間的に未熟で、自分勝手なプレーや行動が多かったことを後悔しています。東大バレー部に入り、ストイックにバレーに取り組めば人間的にも成長できると思い、入部を決断しました。

東大バレー部は素晴らしい、セッターの先輩やOBさんに恵まれています。私はセッターとしての指導を受けるのは初めてで、先輩やOBさんに日々、様々な課題を与えていただき、それを解決する為に毎日必死で練習しています。そのおかげで日々成長を実感できています。

東大バレー部においてセッターは激戦区です。能丸先輩のトスにはまだまだ遠く及ばず、同期の宵羽の高さには日々怯えています。しかし、これからもトスの精度や質を上げ、自分なりのトスワークを磨き、持ち前の声を活かして、東大バレー部の起爆剤になれるように頑張っていこうと思います。

稚拙な文章ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

引退報告(南)

師走の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日引退した4年の南です。前回の引退ブログからかなり間が空いてしまい遅くなりました。申し訳ありません。。。

部活を引退した後は、卒研へ向け夜遅くまで研究室に籠っては(失敗を繰り返し)実験をしています。後楽園で23:00に屍が転がっていたらそれは私です。
今回引退報告ということで、今までを振り返って色々書かせて頂きます。

 

まずはこれまでに東大バレー部でお世話になりましたOBの皆様、プレーヤーの先輩方や後輩、マネージャーの先輩と後輩に感謝します。この四年間私が部活をするにあたって求めていた環境がそこにあり、それはそれまでに部活をつくってきた先輩方や後輩の協力あってのものだと思います。今まで本当にありがとうございました。

私は、中学でバレーボールという競技を知ってから高校そして大学と続けてきました。正直、続けたことは大したことではなく、人によって合う合わないがあり、たまたま自分にバレーボールという競技が合っていて中学からできる環境があっただけのことだと思っています。そのため中高と引退の時期に同期から散々聞いてきた「自分は何度も辞めようと思ったのですが…」ということは無く、迷わず続けてきて後悔は何一つありません。

ただ、この四年間私は周りの人に恵まれていたからこそ部活に打ち込めたなと思っています。単にコートに立って結果を出していく人逹だけでなく、一人一人が違う形で部活に向き合っている姿が、私の部活を真面目にやる理由にもなっていました。
コートに立てないと分かった上でチームのために自分に何ができるかを真剣に考えている先輩、部活という組織を運営するために黙々と仕事をこなしたり、チーム引っ張る立場として矢面に立って時に厳しく言えるような人、マネージャーの先輩、後輩も部員が見ていない所でも部活を手を抜く事無く責任感を持って常に働く姿を見ていました。ただ素直にこのチームを応援したいなと思えたのもそうですが、自分が今まで部活をちゃんとやってきたことは間違ってなかったんだなと肯定されているような気持ちでした。

そして同期へ。一年の頃からコートに立たないマネージャーをミーティングに呼んでくれたこと、私の意見に耳を傾けて代の意見として上に報告して貰えたこと、とても嬉しかった事を覚えています。それ以来(バレーにおいては)同期を信頼しています。歴代のマネージャーの中でも無力なくせして部活に口を出すような、かなり面倒な存在だったと思いますが、この代だったから受け入れてもらえたのだと思います。加えてミーティングなどで意見を聞いていると部活に対する考えが近いと感じる人が多く、もっと中高とか早い時期にチームメイトとしてこういう人達と出会いたかったなぁと個人的には思います。

 

 

そういえば同期だけの写真ってほぼなくて(というか全く無くて)いつか撮ろうと思っている間に大会がなくなり即引退してしまいました。あああせっかくの引退ブログなのに…と思ってもないものはないので、捏造しました。これ下手ですね。

 

 

 

 

最後になりますが、大学生四年間東大バレー部にいられてよかったなと思います。改めて本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

P.S. 引退の恒例行事であるアルバム制作ですが進捗一切ありません。闇に葬り去ってもいいですか…えぇ…だめですか…

 

秋リーグを終えて

こんにちは。3年のあゆです。

寒さも厳しくなり、2020年も終わりが近づいておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今回は、今月の6日に行われた秋季リーグ戦代替試合の結果をご報告いたします。遅くなってしまい大変失礼いたしました。

12月6日 秋季リーグ戦代替試合
第一試合 vs 上智大学 2-0 (26-24,25-14)
第二試合 vs 玉川大学 2-0 (25-19,25-21)

第一試合は高さのある相手エースの攻撃に苦しめられる場面もありましたが、サービスエースによる連続得点から一気に巻き返し、勝利しました。
第二試合も第一試合の勢いのまま、それぞれが好プレーを見せストレートで勝利することができました。
(詳しい試合経過はbbsをご覧ください。)

4年生のゆうりさん、みかさんとプレーできる最後の試合ということで、メンバー全員が持てる力を全て発揮できただけではなく、普段の練習以上に良いプレーも多く見られ、1年間やってきた中で一番良い試合ができたのではないかと思っています。4年生の引退試合を勝利で飾ることができ、本当に良かったです。
応援してくださった皆様、ありがとうございました。

この試合をもって、4年生のお二人は引退となってしまったのですが、本当にあっという間の1年間でした。
色々なことがあり、勿論練習がきつかったときもありましたし、プレーが上手くいかなくて悔しく不甲斐ない思いをすることも多々あったのですが、
今思うと楽しかった思い出で溢れていて、これもお二人の力だなと思っています。

コロナの影響で練習や試合が全くできなくなってしまった時期もあり、4年生は色々とつらい思いも沢山されてきたと思いますが、それでも力強く笑顔でチームを引っ張ってくださり、後輩一人一人のことをよく見ていてくださったおかげで、私自身大きく成長することができ、何より楽しくバレーすることができました。
本当にありがとうございました。そして、4年間お疲れ様でした。

先週からは新チームが始動しましたが、ゆうりさん・みかさんのもとで学んだことを基盤にしながら、新しい取り組みも多く導入し、昨年とはまた違った良さのあるチームを作っていけるよう、部員一同頑張ってまいります!
コロナで色々と制約もありますが、4年生のお二人含め、OB、OGの方々も是非練習を見にいらしてください!
これからも応援よろしくお願いいたします。

長文失礼いたしました。

自己紹介 佐藤 陽⑧

こんにちは。初めての投稿になります、男子部一年の佐藤陽です。今回は自己紹介ということで、ブログを書かせていただきます。

改めまして、名前は佐藤陽(さとうひなた)です。奇しくも「ハイキュー!!」の主人公の日向翔陽くんと名前が一致しているので、自分がバレーボールを続けていることには、ある種の因縁のようなものを感じます。身長は170cmで、ポジションはライトをやっています。この身長でスパイカーを続けるからには、日向くんみたいに高く跳べる選手になりたいですね。出身は埼玉県の春日部高校で、現在は文科三類に所属しています。

僕がバレーボールを始めたのは中学生の時です。当時はなんとなくでバレー部に入りましたが、そこからバレーボールが大好きになり、高校でもバレーを続けました。高校時代は部長を務めたこともあり、チームのことでよく悩んでいたので、大学ではバレー以外で興味のあることに時間を注ごうと思っていました。しかし、受験を終えて、いよいよ大学生活と思うと、やっぱりバレーを続けたいという気持ちが湧き、今に至るというわけです。「部活」という形でバレーと真剣に向き合うことができるのは大学生までだと思うので、限りある今の時間を大切に精進していきたいと思っています。

東大のバレー部の一員として活動をしていく上で、僕は二つのテーマを持っています。一つは「楽しむこと」です。前述したように、高校時代は悩むことが多かったため、純粋に楽しいと思ってプレーできない時期も少なからずありました。そんな時間を通して僕が感じたのは、楽しむって意外と難しいということです。「ハイキュー!!」の中でも「勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る」という言葉が出てきますが、この「強さ」というのは単にバレーボールの力量・技量だけではなくて、気持ちの持ち方・精神力という要素もあると僕は思っています。バレーボールを真剣に楽しむために、広い意味での「強さ」を身につける、そんな四年間にしていきたいです。もう一つは、人間として自分を成長させるということです。僕は高校二年の冬頃に、レフトからポジションを変えてセッターになりました。きっかけは先生に勧められたという簡単なことでしたが、セッターになったことでチーム全体や個々のチームメイトに対する見方は大きく変わり、何より今までで一番バレーボールを楽しいと感じるようになりました。そして、この経験を通して、たいした理由はなくても新しいことにトライすることで変化が生れるということと、立ち位置を変えるだけでものの見方は大きく変わるということを学びました。このように、スポーツを通して、また自分自身の経験を通じて、自分なりの考え方を構築していくことは部活に真剣に取り組む大きな意義だと思います。今後も、バレーと真摯に向き合うことで様々な経験を重ね、自分の考え方を豊かにしていきたいです。

さて、前段では自分の部活に対する意気込みをつらつらと綴ってきましたが、じゃあ具体的にどんな選手になりたいか?と問われると、あまりはっきりした答えを出せないのが僕の現状です。しかし、幸いなことに、僕は良い手本となる素晴らしい先輩方に恵まれています。この環境を活かし、チームメイトの良い部分をたくさん吸収して、自分のプレーの幅と質を向上させていきたいです。まだまだ未熟な僕ですが、応援よろしくお願いします。

以上、長くなりましたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
#10 佐藤

自己紹介⑦ 溜 大介

初めまして。10月に男子バレーボール部に入部しました、一年生リベロの溜 大介です。何卒よろしくお願いします。出身は東京都の早稲田高校(無印の方!)で、中学の途中からバレーボールを始めました。
「友達がやってるから」「いつでもやめられる」と軽い気持ちで手を出したはずが、いつのまにか不思議な快楽にはまって抜け出せなくなり、次第にのめり込んでいきました。

とはいえ東大に入学した当初、移り気な私は大学でバレーボールを続けるつもりは毛頭ありませんでした。スポーツチャンバラか手話かで迷ってました。しかし各部,サークルの活動自粛が長引いたことで自分の中の「バレー欲」、正確に言えば「好きなことに熱中してみたい欲」に気付く時間が得られ、バレーボール部に入ることとなりました。

おかげで素晴らしい先輩方と同期に出会い、楽しくも真剣にバレーボールに取り組めています。今年度はカットの基礎技術を磨きつつ声かけに努め、「安心感のあるリベロ」になりたいと思っています。
河田主将がいつか仰ったように、自分たちがバレーボールを存分にできる状況を支えてくださっている皆さまへの感謝を忘れずに精進していきます。よろしくお願いします。

この辺りか冒頭で「拙い文章ですが」とか謙遜しておきながら 僕よりいい文章を書きやがった同期 と先輩たち への不満は飲み込んで、自己紹介文の終わりと致します。ありがとうございました。

#12タマリ

自己紹介⑥ 三田晴花(M)

こんにちは。初めての投稿になります。1年マネージャーの三田晴花です。今回のブログを書かせていただきます。
新入生の自己紹介ブログも最後になりした。どんなことを書こうかと悩みながら、最後まで書かせていただきました。拙い文章ではありますが、よろしければお付き合いください。

初めての投稿になりますので、最初に自己紹介をさせていただきます。私の所属は白百合女子大学文学部国語国文学科です。出身は千葉県立柏高校で、部活は男子バレー部のマネージャーをしていました。

最初に男子バレー部を選んだ理由としては、マネージャーの募集があり、日焼けせずに活動でき、ルールもなんとなく分かる、という当時の先輩方には申し訳ないものです。
そんな理由で入部した部活でしたが、練習を繰り返し、結果や成長に結びつけている部員たちをみて、次第に活動が楽しくなりました。同時に、実際のプレーを見たことで競技も好きになり、気がついたら高校生活のほとんどを部活に充てていました。

正直な話をすると、私はマネージャーが居なくても部活は成り立つと思っています。マネージャーがいることで、選手の練習に対する自主性が失われてしまうこともあります。それでも、何か役に立つことができないか、と考えながら活動してきました。さらに、3年間の部活を通して人のために働くことがほとんどで、裏方や雑用に見られがちなマネージャーという役職に自分なりに価値を見出すこともできました。

マネージャーという形で真剣に活動したいという思いから入部を決めて、約半年が経ちました。このご時世で、部活に参加することがほとんどできていません。同期とも顔を合わせる機会がなく、この自己紹介ブログを読んで、どんな人達なのかなと想像して、早く一緒に活動できるのを心待ちにしています。
また、先輩方とも接する機会が少ないため、次の新入生が入ってくる前までに、顔と名前を覚えていただけたら嬉しいなと思っております。

新チームでの活動にいつ参加できるのか、分からない状況ではありますが、チームのためにマネージャーとして、何かお手伝いできるよう精一杯活動させていだきたいと思います。これからどうぞよろしくお願いします。

まとまらない内容で長々書いてしまい、恥ずかしい気もしますが、少しでも意気込みが伝わっていたら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

1年マネージャー 三田晴花

自己紹介⑤ 伊藤美咲(M)

はじめまして。1年のマネージャーとして入部させて頂きました伊藤美咲です。稚拙な文章ではありますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

初めに私の自己紹介をさせて頂きます。私は現在共立女子大学国際学部国際学科の一年生で、出身校は学富士見高校という私立の中高一貫校でした。中学ではテニス部、高校では吹奏楽部に所属していました。どちらも自分なりに一生懸命に取り組んだつもりです。そして、大学時代に新しく一生懸命になれることを見つけたいということ、自分主体の活動をするよりも誰かのサポートをすることが好きであったので、マネージャーとして部活に入部させて頂きました。

コロナウィルスの感染拡大防止のため、まだ私が練習に参加できたのは一回しかありませんが、練習に参加出来るようにになったら部活に貢献できるよう精一杯努力しようと思っています。
長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

引退報告 (原)

 このたび引退いたしました、4年の原と申します。
 最後の一年間は、主務を務めさせていただきました。

 感染症の流行というなかなか例のない状況にも関わらず、たくさんのご協力をいただきましたおかげで、これまで活動することができました。体制を整えてくださった運動会の皆様、度々の無理なお願いにも丁寧にご対応いただきました教養学部学生支援課の皆様、そのほか多くの方々に、この場をお借りして感謝申し上げます。

 さて、僕が務めた主務ですが、この役職を表すのに、「コート内のことは主将の責任、コート外のことは主務の責任」という表現がしばしば用いられます。いろいろな解釈があるでしょうが、下級生の間に先輩から学ばせていただく中で僕の考えた解釈は、 “環境を整えるのが主務の役目、その環境の中でチーム作りをするのが主将の役目” というものです。それに付随して、環境を整えるための努力を感じさせないこともまた、主務の役割の内だろうと考えていました。
 僕の解釈が正しいのかはわかりません。ただ、状況が変わろうともブレない柱を持つことができていたのは確かです。この考えのもと、よりよい環境を整えるべく、そして後輩によりよい環境を残すべく、一年間力を尽くしました。途中ちょっと変わったこともありましたが、最後まで “いま部のために自分ができること” をやり続けられたことに悔いはありません。
 このチームで主務として働かせていただけましたことを、とてもうれしく思います。絶えず支えてくれた同期や後輩のみんな、要所で助けてくれる副務、度々力を貸してもらった女子部の同期、そして陰ながら温かいお力添えをいただきました先輩方には、感謝してもしきれません。主務の仕事を通して少しでも恩返しができていたらと願うばかりです、本当にありがとうございました。

 8月に活動が再開となって以来、今のところ順調に活動が拡大されています。とはいっても相手は自然です、いつまた状況が思わぬ方向に転んでもおかしくありません。
 後輩たちが、いかなる局面においても “部のためにできること” を考え、それに全力を注いでくれますこと、心から楽しみにしております。試合で結果を残すことにとどまらず、彼らには、必死になり続けることでしか辿り着けない光景も目にしてほしいですね。

 後輩たちの今後の活躍と、東大バレー部ならびに赤門倶楽部がコロナを経て大きく成長いたしますことを祈念して、引退のご挨拶とさせていただきます。

#18 原 直樹

引退報告(長谷川)

お久しぶりです。長谷川祐也です。
近況報告をさせていただくと、進振りで工学部電気電子工学科に進み、接続する大学院にも無事合格しました。今は卒業論文に向けて研究を続ける毎日を送っています。
この度引退したので報告ブログを書かせていただきます。

まずは監督、コーチ、OBOG、後輩、その他東京大学バレーボール部に関わってきた全ての皆様に感謝しております。そして何より同期の皆さんには多くの負担や迷惑をかけてきました。大変お世話になりました、ありがとうございました。僕という人間はこの同期以外の代では引退まで続けれられなかったと思います。入試で点数調整して一浪してよかった

引退報告のブログで自身が最後に書いたブログを引用する人が多いので僕も
今シーズンにかける思い(長谷川)というブログを探したのですがありませんでした。
この原因はひとえに元ブログ担当の僕の同期にあります。
彼が今シーズンにかける思いという題目のブログを滞納し続けた結果、シーズンの結果報告をしているので僕までブログの番が回ってきていませんでした。

伝えたいことはたくさんあるのですが、僕は文才がなくまとめることができないので状況が落ち着いて直接会うことができるようになったらそこで話そうと思います。

ただ何も書かずにブログを終えるのはわけにはいかないので二点だけ書き残そうと思います。

一つ目は”バレーボールを部活で続ける意味”についてです。
おそらくバレーボールの技術があり、試合に出続ける人は部活で続ける意味など考えることでもないと思います。しかし部活という組織である以上、”バレーボールを部活で続ける意味”とはなんだろうと、これ以上続ける意味はあるのだろうかと考える人もいると思います。特に東大生である我々は、他のことに時間を使った方が良いのではないかと考えるのではないでしょうか。
僕自身、このような考えにいたるのはバレーボールの技術がないからだと思います。事実、春秋のリーグ・七大戦などで苦しい思いや惨めな思いをしてきたのは自分自身の技術が足りないことに原因がありました。将来バレーボールで生きていくわけでもないのになぜこのような思いをしなければならないのか何度も考えてきました。
しかしその一方で、春秋のリーグ・七大戦ような場で報われるような瞬間もありました。数で言えば苦しい思いをする方が圧倒的に多かったですが、そのような報われる瞬間のおかげで頑張ろうと思えました。
僕にとっての”バレーボールを部活で続ける意味”は、将来のための〇〇や、人間として〇〇といったような崇高な理由ではなく春秋のリーグ・七大戦という場で自分が試合に出て楽しみたいということだったのだと思います。

二つ目は行動することの重要性と難しさです。
考えを行動に移すことは思った以上に難しいことです。
最上級生はもちろんですが、学年が上がる毎にチーム全体がよくなるように他人を巻き込むような行動を求められます。時には性に合わないことしたり、自分のことを棚に上げることも必要となるでしょう。口で言うのは簡単です。しかし実際に行動に移すことができる人がどれだけいるでしょうか。
僕はそのような行動ができなかったです。少しずつ行動に移そうと考えているうちに引退してしまいました。結果主将に負担が集中したままで終わってしまった思っています。

以上二点については部活をやる以上は最上級生に限らず考えて欲しいと思います。
この話題を飲み会で話たら泣いてしまいそうです。

最後になりますが、東大バレー部に入部して本当によかったと思ってます。
東大バレー部で本当にたくさん笑わせてもらいましたし、本当にたくさん悩ませてもらいました。改めてありがとうございました。

これからはOBとして応援させていただきます。現役部員の皆さん頑張ってください。

# 24 長谷川

自己紹介④ 徳永宗太郎

初めまして。今年度、男子バレーボール部に入部致しました、一年の徳永宗太郎と申します。 稚拙な文章であるかとは思いますが、最後まで読んで頂ければ幸いです。

まず初めに、簡単に自己紹介をさせて頂きます。先ほども述べましたように名前は徳永宗太郎と言います。身⻑は 182cm です。出身は奈良県の⻄大和学園高校で、バレーは高校から 始めました(中学の時は野球をしていました)。高校の時はサイドをやっていましたが、ミドルをやりたい気持ちもあったので、現在はミドルをさせて頂いています。バレーを始めたきっかけについて、中高一貫校である母校ですが、バレー部が高校からしかなく、高校生になる前にちょうど興味を持っていたバレーを今から初めても周りと同じレベルから始められ ると思い、入部したことです。ただ、今思うとここでバレー部に入っていて本当に良かったと感じます。

元々、大学では何かしらの部活には所属するつもりでしたが、バレー部に入るつもりはほとんどありませんでした。高校で部活を引退したときには、バレーの力がここから大きく伸び ることも無いとも考えており、バレーはやり切ったものと捉えていました。しかし、時が経 つにつれバレーをまたやりたいという気持ちが徐々に徐々に強くなっていき、自分は本当 にバレーが好きであるということを再確認しました。バレーをもっと上手くなりたいと強 く思いました。それならば、部活に入ってバレーに真剣に取り組んだ方が良いと考えて入部 を決めました。一度は終えたものだと考えていたバレーですが、なんだか今後の自分の成⻑ に賭けたくなったという気持ちです。

入部して 3 ヶ月が経過した現在、レベルの高い環境でバレーをさせて頂いており、非常に 実りのある日々を送っております。一方で、先輩方と自分のスキルの差も強く実感し、実力 アップに対してはより貪欲な姿勢で取り組んでいます。今年度は新型コロナウイルスの影 響で、例年より入部が 5 ヶ月遅くなってのスタートとなっているので、成⻑速度を更に上 げていく必要を感じます。現状、プレーヤーとしては試合に出るレベルではないのでまずは 試合で勝利に貢献できるレベルになることが第一かと考えます。具体的には決定率を上げ ることと、良い形のブロックを維持することが今の課題であるのでそこをきっちりと上達 させていきたいです。また、プレー外の面では視野を広くしていくことを第一の目標におき ます。そして、一部員として、現在の有難い環境への感謝も忘れようにしたいと思います。

あまりまとまりはない内容でしたが、この辺りでお別れにしたいと思います。最後まで読ん でくださりありがとうございました。

自己紹介③ 謝宵羽

こんにちは、初めての投稿になります、男子部一年の謝宵羽です。今回は自己紹介ということでブログを書かせて頂きます。

冒頭に書いた通り名前は謝宵羽(シェ ショーウ)です。英語では Shaw と呼びます。ポジションはセッターで、身長は183cmです。9月入学して、理科二類のPEAKプログラムに所属しています。PEAKは、東大教養学部の英語コースで、国際学生のためのコースです。出身はアメリカのPhillips Academy高校で、中学からバレーボールを始めました。バレーを始めた理由は、中学の時バレーのチームがありましたので、参加してみて、大好きになったからです。高校でも続けまして、4年生の時主将になりました。しかし、新型コロナウイルスの影響で高校4年生の春シーズンがなくなりまして、一年間ずっと期待していた試合や練習もなくなりました。大学でも、バレーを続けたくて、バレー部に入部することを決めました。

今シーズンの抱負は「基礎を上手になる」ということです。高校のバレー部参加してた時、チーム全員運動能力が高かったのですが、フォームや基本的な動きは結構適当にやってました。この理由で、チームは試合中スパイクがよくできてましたが、パスエラー等が多くて、試合で負けることが少なくなかったです。また、コロナウイルスの影響で、半年ぐらいバレーできなかったので、フォームも悪化しました。
以上の原因で、基礎を上手になることを目指して、トスを精密に上げれて、スパイクもいいフォームで打てて、レシーブも綺麗に上げるようになって、試合に貢献をしたいです。これを心に留め、今シーズン頑張ります。

日本語で文章書くのは少ないので、最後までお読みいただきありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

#7 謝宵羽

自己紹介② 小宮慧大

はじめまして。
男子部1年の小宮慧大と申します。今回は新入部員の自己紹介ということで、自身のバレー歴や入部動機について書かせていただきます。

出身は東京学芸大学附属高校で、現在は文科三類に所属しております。身長は177cmと比較的小柄ですが、ポジションはミドルやサイドをやらせていただいています。
自分が部活としてバレーボールを始めたのは高校からでした。当時の入部動機は全く覚えていないのですが、今自分が部活でバレーを続けているのはやはり高校の部活に拠るところが大きいと思います。

高校では附属中学のバレー部出身の同期からプレーに関して学んだところが多く、さらに、同じく未経験で入部した同期が上達していく姿も自分にとって非常に励みになっていました。膝靭帯を損傷したりと、全てが順調というわけではなかったものの、チームメイトやコーチ、マネージャーに支えられていたからこそ、怪我でメンタルを折られずにバレーを続けてこられたと思っています。そうした恵まれた環境でプレーできていたからこそ、最後のインハイ予選で敗退した時の悔しさは今でも覚えていますし、今でもプレイヤーとしてバレーを続ける原動力になっています。

そして大学入学後の今、東大バレー部の選手主体で各々がチームを強くしていこうという熱意に惹かれて入部を決めました。実際、練習時の部員の集中力は凄まじく、上級生の先輩からのアドバイスもモチベーションの向上に繋がっており、バレーをするにはこの上なく良い環境だということを常々感じています。

自分達の代は、課外活動停止期間が長かったこともあり、夏から秋頃の例年より遅く時期に入部しました。そのため、早くも残り数ヶ月で新入部員を迎えることになっており、いつまでも新人気分ではいられないですし、これからも部を支える一員、さらには一プレイヤーとして成長していきたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。

拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

引退報告(今井)

どうもこんにちは。今井元尊です。
今回は引退報告ということでこのブログを書かせていただきます。

新歓ブログは部活紹介みたいなものなので
最後に僕が自身の考えを交えた投稿をしたのはもう2半年も前になるこの記事です。
今シーズンにかける思い(今井)
リンクを貼っておいてなんですが今見るととても読めた文じゃないので読まなくていいです。
このブログをご覧になっている人は本当に今いるのでしょうか。
と、今見ている人に失礼なことを言ってみます。
この原因はひとえに元ブログ担当の僕の同期にあると勝手に思っています。
そんな彼がのうのう晒した笑顔がこちら。

代わりに謝罪しておきます。申し訳ございません。

まずはどのような進路を進んだかということですが、進振りで工学部の機械工学科に進み、大学院入試も合格しました。安定の落ちる落ちる詐欺をかましました。要らぬ心配をかけた母親に謝罪します。
今は卒論に向けて絶賛研究中です。ただしペースはお察し。誰か助けて。
このブログも研究室から書いています。←研究をしろ。
来年からは駒場の生産技術研究所でお世話になります。
そしてまさか僕がというところですが、女子部からコーチのお願いをしていただいたのでもう少し東大バレー部に関わる期間が伸びました。
福田さんとともに別の形で東大バレー部に貢献したいと思います。

 

さて、現状報告はこれぐらいにして引退ブログっぽいことを書こうと思います。

まずはこれまで東大バレー部に関わってくださったOB、先輩、後輩、マネージャーなどなど関係者各位に感謝します。
バレーボールをストレスなくできる環境を享受してきたのを上の学年になるほどに実感しました。(下の学年の頃はOBうるさいなあとかめちゃめちゃ思ってました。お詫びします。)
ありがとうございました。

これ以降、僕の考えがつらつらと書かれていくわけですが、以下はほとんどが4年生になって感じたことです。
僕の同期は原を除いてあまり長々書くタイプではないと思っているので、今のところ自分は多少長くなるつもりです。
書きたいことを推敲もあまりせず書くので汚い文章になりそうですが読む決意をした今井ファンの皆様は頑張って読んでください。

引退ブログを書くにあたりいくつか先輩のものを拝読したところ、やはり感謝や思い出などのポジティブな部分が目立ちました。僕も普段は綺麗事で終わらすのが大好きなんですが、今回は趣向を変えて懺悔や後悔をメインにしようかなと。
メンヘラブログかな?
というのも、これから大学の部活動に所属する人たちや今の現役部員には、自分の経験を知ってもらうことで中高よりも自分たちが主体となって活動していく大学の部活動をどうして選ぶのか、本当にその覚悟があるのか、どういう終わりを迎えたいか、ということを考えるきっかけになってほしいと思ったからです。

のちにこのブログが黒歴史となり恥ずかしくなったら誰かに削除を依頼するかもしれません。その時はよろしくお願いします。

 

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ではでは本題へ。

僕がこの部活に入って変わったのは性格と身長、視野です。身長は170を超えたので嬉しいです。もう170弱の有象無象ではありません。(169台の人に向けて)

性格に関しては外側では変わって見えなかったかもしれませんが個人的には傍若無人だった1年生の頃と比べるとずいぶん卑屈で暗くなったなと思います。角の立つようなこともだんだん言えなくなりました。以前より人に気を遣うようになりました。そう見えていなかったかもしれませんが笑

視野については広くなったといえば広くなりましたが見るものが変わったというのもあると思います。
冒頭のブログのを書いた頃は自分がどうなるかということばかり考えていましたが、4年生の頃は他人の人間関係についてよく見るようになっていたのではないかと思います。

同期内で話し合いの際に見え隠れする意見の相違、後輩などと話していて感じる考え方のズレなどさまざまなことを感じてきました。が、綺麗事が好き、というか波風を立たせず終わりたいという性格のため、臭いものに蓋をし続けてきました。今思えばチームが全体として勝ちを目指すためにきちんと向き合うべき事柄や顕在化させなければいけないこともたくさんあったのだと思います。しかし、自分から蓋を開ける勇気はありませんでした。

そして自分のキャパの小ささを思い知りました。正しいとわかっていてもできない、不甲斐ない経験を嫌というほどしました。自分のこと、後輩のこと、チームのこと、全てをやるにはあまりに能力が足りなかったと思います。負担が主将一人に集中しているのをついぞ改善することはできませんでした。

ある先輩が
4年間部活動を続けたけど意味はなかった。
と言っていたのを4年生になって思い出すことがとても増えました。
それを聞いて、自分はどのように部活と向き合っていこうと考え続けた最後の1年でした。
結局今でもあまり意味は見出せていません。

部活動は一見
青春!友情!
のように美化されがちですがその下に隠れていい思い出があまりなかったり、挫折をしてきた人も必ず一定数います。
僕の場合はそれをたまたま大学の部活で経験しただけで、中学高校でそういう経験をした人も多くいるのではないかと思います。全員が全員いい形では終われない、当たり前のことです。

これだけ後悔したことを書き連ねていますが部員との出会いに後悔は微塵もなく、感謝しています。
単に自分がうまくできなかっただけです。

と、自分語りはこのくらいにして、、、

後輩に伝えたいことは、前向きなことに関しては最後のミーティングで言ったのでこのブログを踏まえた上でのことを。老害っぽい。

まずはこのブログで分かる通り自分の代の経験は他と比べて比べものにならないくらい大きいです。あまり試合を経験しなかった中でもそう感じたので本当はもっと濃い一年になるのではないでしょうか。(特に春秋リーグ、七大戦)
今最上級生じゃない人もそうなった時自分がどういう人間になりたいか、どうすれば組織において必要な人間になれるのかを考えておくことはとても大事だと思います。
そういう人間が下級生にいることもチームのプラスになるはずです。

そしてもう一つ、自分の考えは思ったより伝わっていないし伝えた方が良いということです。
僕も蓋をし続けてずっと黙ってきたので今書いているわけですが、みんなには後の祭りにならないようにしてほしいと思います。一回しかない大学バレーですから、問題から目を背けるなんてもったいない。どんどん苦悩して葛藤して意見がぶつかり合って、全体として答えを出してほしいと思っています。

こんな後ろ向きなことを書いておいてなんですが先ほども言ったように
僕は綺麗事が大好きなので東大が3部にまた昇格することをずっと夢見て心から応援しています。
いつかこの夢が叶うことを祈っています。

 

最後にいい写をば。

#14 今井

自己紹介① 飯高健太

こんにちは、初めての投稿になります、男子部一年の飯高健太です。今回は自己紹介ということでブログを書かせて頂きます。

冒頭にも書いたとおり名前は飯高健太(いいたかけんた)です。ポジションはレフトで、身長は183cm、理科二類に所属しています。出身は奈良県の東大寺学園高校で、中学までは野球をしており、バレーボールは高校から始めました。あまり大きな声では言えませんがバレーボールを始めた理由は高校の運動部の中で部活のある日数が少なく、新しい道具をあまり購入する必要がなかったからです。こんな適当な理由で始め、高校での一年半程度しかやっていなかったバレーボールですがいつの間にかはまっており、大学で真剣にバレーに打ち込んでみたいと思ったのでバレー部に入部することを決めました。

さて、今年は新型コロナウイルスの影響で今までとは一味も二味も違った年となっていますね。僕は上でも紹介させて頂きましたとおり奈良県出身なので、東京の大学に入学するにあたり今年から一人暮らしを始めています。元はと言えば東京での一人暮らしに憧れがあったというのも東京大学を志望した動機の一つだったりします。とはいえもちろん想像していたような一人暮らしの生活とはかけ離れた生活を送ってきました。上京はしたものの一人暮らしなど初めての経験なので色々と苦労しましたし、大学にも通えていなかったので東京に友達がいるわけでもなく、ずっと引きこもり生活を送っていました。一年前に上京していた高校の先輩と久しぶりに会ったときには「病んでる?」と聞かれてしまうほどでした。仮にもちょっと前に大学入試に受かって幸せ全開の身であったはずにも関わらずです。

この自粛期間中は僕自身ゲームや漫画、映画などが好きなのでしたかったゲーム、読みたかった漫画、観たかった映画をどんどん消化していきました。中でも好きな漫画である、先日完結した「ハイキュー!!」は自粛期間で溜まりに溜まっていた僕のバレー欲をさらに掻き立ててきました。ちなみに僕のお気に入りのキャラクターは梟谷のエースの木兎光太郎です。めっちゃかっこいいですよね。セッターの赤葦との掛け合いも大好きです。

さて、最後にはなりますが今後の目標について書かせて頂きます。簡潔にいうと、「エース」になることです。ただ強いスパイクやサーブを打つだけではなく、声でチームを盛り上げたり、安心して3本目のボールをたくしてもらえるような信頼できるスパイカーになりたいです。バレーの経験も浅く、未熟も未熟な僕が掲げるには大きすぎる目標だとは思いますが、頑張って少しでも目標に近づきたいと思います。

拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

#4 飯高