「男子部」カテゴリーアーカイブ

自己紹介①(甲斐)

はじめまして。男子部一年、理科一類の甲斐大智(かいだいち)です。新入部員の自己紹介としてブログを書かせていただきます。

出身は宮崎県の宮崎西高校です。宮崎県出身と言うと大抵の人に驚かれますが、東大で出会う友達は温かく話をしてくれます。最近東京で一人暮らしを始めましたが、朝起きてご飯を食べて大学に行くということがこんなにも大変なのかと身にしみることが多く、また東京の人の多さに辟易する毎日です(特に朝の電車)。東京で生活して最も驚いたことは、スーパーマーケットの多さですね。歩くたびにスーパーを見かけます。とにかく、ひとりで自立して生きていけるようにまだまだ頑張りたいと思います。

バレーは父がしていたこともあり、始めました。小学校で少しと、中学校、高校で6年です。もともと運動神経が悪い方でしたが、身長を生かせるバレーで多くの練習を通じて、人前でプレーできるほどの実力をなんとか身につくよう頑張ってきました。ポジションは6年間ライトをしてきました。(レフトも少し)ライトからの威力のあるスパイクがを自慢に部活に励んできました。大学でもバレーを続けたいと思っていましたが、初めて練習に行ったときに先輩方の上手なプレーに心奪われて入部を決意しました。高校三年から激増した体重を減らしたいという思いも入部のきっかけの一つです。

さて、実際に何ヶ月か部活を続けてきて、勉強だけでなくバレーに打ち込める環境に大変満足しております。先輩方はプレーに対して褒めてくださることもアドバイスをくださることもあり、自分の実力を伸ばすには絶好の環境です。そして勉強のことで話ができることも入って良かったと思うことの一つです。

最後になりますが、プレイヤー同士が積極的に交流してチームを作るこの素晴らしい環境で自らの心身ともの成長を目指して楽しみながら励んでいく所存です。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

マネージャーのお仕事(三田)

こんにちは男子部新4年マネージャーの三田晴花です。今回のブログではマネージャーのお仕事について少し書かせて頂きます。興味がある方は最後まで読んで頂けると幸いです。

まず簡単に活動についてです。
週4日(火木土日)駒場の第二体育館で練習しています。練習試合や遠征もあったりしますが、詳細は【バレー部の一年間】【普段の練習について】のブログを読んでみて下さい!

平日の練習の流れを簡単にご紹介します。

16:30-17:00
大体このくらいの時間から準備を始めます。
ボールの準備や練習メニューの書き出し、
タイマーのセットなどを行っています。

17:00〜20:30
練習中は、ボール出しの補助やボールアップ、タイムキーパー、ドリンク補充などをしています。これらの雑務は活動が滞りなく進められるかどうかの鍵になるので、頑張ります。

20:30~
片付けます。
しっかりと元ある場所に片すことで、選手が準備する場合でも見つけやすくします。

21:00~
練習終わりは帰る方面が同じ人たちと帰ります。先輩が多ければ多いほど奢ってもらう機会が増えます。

他には、試合中のスコア付け、自チーム選手のデータ収集などを行っています。
やりがいとしては、貢献度の高さであるなと思っています。自分の仕事がどんな形でも選手の役に立つ時が必ずくると思いながら日々鍛錬を積んでます。

よく挙がる質問にも先にお答えしたいと思います。
マネージャー初心者でも大丈夫ですか?
→やる気があればどうにかなります!
バレーのルール知らないのですが大丈夫ですか?
→やる気があればどうにかなります!
部活って大変ですか?
→やる気があればどうにかなります!

最後になりますが、部活に入りたいなと悩んでいる子やマネージャーに挑戦したいという子は、候補に東大男バレのマネージャーも入れてみて下さい!
そして、「ブログ読みました!」という子に出会える日を楽しみに待っています、、!

入部までの流れ(天雨)

こんにちは!男子バレーボール部2年の天雨慶之です。パレー部での一年中生活については他に記事で書かれているので、今回は入部までの流れについて書いていこうと思います。!
この記事を見ている方はもうご存知だと思いますが、現在バレー部は新歓活動中でプレーヤー・マネージャー(他大学の方も可)ともに入都を募集しており、Twitter や InstagramといったSNS でも情報を発信して、新歓練習会や通常練習の見学・参加の連絡を受け付けています。こうした練習の体験会の参加や入部を希望される方は、まずは当部のSNSのDMかメールアドレスまでその旨をご連絡ください。もちろん興味があり、質問がある方のお問合せもお待ちしています。練習の体験は原則としてGW期間中まで受け付けているので、通常であれば何回か体験として参加した後、入部をするというふうになります。
実際の入部の手続きには入部宣言というものがありますが、これは名前の割に単純な手続きで、体験に来た練習の終わりのミーティングで文字通り「入部します」と宣言してもらうものです。これが終われば晴れて部員として認められることになるので、次回の練習から部員として参加することになります。このように入部自体には大きなハードルはないないので、バレー部として活動していく意志がある方はまずは是非練習にお越しください。
入部の流れについて紹介してきましたが、我々男子バレー部は何よりバレーを楽しみ、日々本気でバレーに取り組んでいるので、少しでも興味があったり悩んだりしている方はまずはご連絡いただき、練習を見に来てください。大学生活で共にバレーに打ち込む仲間を、部員一同心からお待ちしています。
今回のブログは以上になります。ここまでよんでいただきありがとうございました。

アルバイトとの両立について(福岡)

新入生の皆さんご入学おめでとうございます。    新2年の福岡です。

今回新歓ブログを任されたので、部員のアルバイト事情について書いていこうと思います。新入生の中には「部活に入りたいけどバイトする時間がなさそうで金銭的に不安、、」などと考える方もいると思うので、そのような方がこのブログを見て少しでも安心してもらえると幸いです。

東大男子バレーボール部は火木曜日の夕方、土日曜日の午前中にそれぞれ4時間ずつ、計16時間活動しています。さらに平日は授業が入るのでバイトできる時間はかなり少なく感じる人も多いかもしれません。ですが、実際にはほとんどの部員が土日の部活後や授業がない日など、空いた時間でバイトをして生活費や遊ぶためのお金を稼いでいます。ですから新入生の皆さんも「部活が忙しくてバイトができない、、」なんてことはないと断言します。

次に部員がどんなバイトをしているのかを簡単に紹介していきます。僕を含め部員の中で多いのが家庭教師や塾講師などの教育関係のものです。これらのバイトの良いところは何と言っても時給が高いことです。短い時間でまとまったお金が稼げるので部活を頑張る人に合っていると思います。他にも飲食店などの接客業を頑張っている部員や、バイトではないですがインターンに行く部員も上級生にはいます。

長々と書いてきましたが、結局何が言いたかったかというと「部活に入っててもバイトはできる」これに尽きます。ですからバレー部に興味がある新入生は些細な心配事は気にせず是非練習に参加してみてください。お待ちしております!!

#1 福岡

一人暮らしとの両立について(松浦)

こんにちは!新2年生プレーヤーの松浦です。今回は部活と一人暮らしの両立について書いていこうと思います。

東京近辺に住む人以外は大学に進学するにあたって一人暮らしを始める人が多いと思います。僕も青森から上京してきて現在三鷹寮という東大の寮で生活しています(寮生活といっても寮に友達が1人もいないので一人暮らしと言っても過言ではありません)。大学生になり一人暮らしを始めて、「やっと自由を手に入れられて嬉しい!」という人もいれば、「東京で1人で暮らしていくのは不安だ」という人もいると思います。一人暮らしは自由がある分、やらなければいけないことも増えますよね。

掃除や洗濯なども大変ですが、毎日しなければいけないのは「食事」です。バレー部は火曜日と木曜日は夜9時まで駒場で活動をするので帰る頃にはヘトヘトでお腹もぺこぺこです。そんな疲れている中自炊をする気にもならないし、かと言って外食をすると高くついてしまうこともありますよね…

でも心配は要りません!ご飯は先輩が奢ってくれます!渋谷や下北沢など帰る途中の駅で食べるのが鉄板コースです。先輩たちは後輩の話が聞きたくてたまらないので、ぜひ先輩をご飯に誘ってみてください。気前よく奢ってくれるはずです。そしてスポーツマンは体づくりが命なので遠慮せずにガツガツ食べてください。

現在、バレーボール部では多くの部員が一人暮らしをしており、勉強やバイトをしながら部活に取り組んでいます。バレーボールに打ち込みながら私生活を充実させることは十分に可能です。一人暮らしで不安なこともあると思いますが、バレー部では優しい先輩たちが相談に乗ってくれます。「バレーボールが好き!」、「大学でもバレーボールに打ち込みたい!」という人は、ぜひ東京大学男子バレーボール部に来てください!

#8 松浦

普段の練習について(新屋)

練習場所 東大駒場キャンパス第2体育館
曜日   火・木(17:00〜21:00)、土(8:30〜12:00)、日(9:00〜13:00)

練習メニューは、基礎練から複合練まで幅広く存在し、新たな練習法も取り入れながらチーム、個人の技能向上に取り組んでいます。指導者の柳川監督、中島コーチ、能丸コーチから指導を受けつつも、基本的にチームメイト同士でアドバイスし合い、週4日1日4時間程度練習しています。練習試合も月に1、2回行っています。毎回練習前に目標を立て、練習後のミーティングで反省をすることで、各自の実力アップに取り組んでいます。また、ミーティングはチームの課題を共有する機会となっています。練習場所である第二体育館は最近新設された体育館で、清潔で冷暖房も完備され、練習には最も適している場所です。練習時のチームの雰囲気としては、先輩後輩関係なく意見を出し合い、一人一人がのびのびと練習できています。最近まで基礎練習を中心に行ってきましたが、来月にリーグ戦を控え、チーム練習の割合が増えています。新入生のあなたもすぐに打ち解けて、楽しくストイックに先輩たちとの関係を深めながら、実りある練習ができるはずです。

#9 新屋

バレー部の一年間(上久保)

こんにちは。男子バレーボール部新2年生の上久保です。東京大学に合格された皆さま、合格おめでとうございます!大学に入ってどのようなサークルに入るか、それとも部活に入るか、色々迷われているのではないかと思います。
ここでは、東大バレー部の1年間の大まかなスケジュールについてご紹介させていただきます。このブログを通して東大バレー部について知っていただき、皆さまのサークル選びの参考にしていただければなと思います。

〜1年の流れ〜
4〜5月 春季リーグ戦
7月上旬 双青戦
8月中旬 七大戦
10〜11月 秋季リーグ戦
(代替わり)
2月下旬 東商戦
3月上旬 三大戦

〜個別のイベント紹介〜
春季・秋季リーグ戦
大学バレーボール連盟が主催する公式戦で、リーグ戦は年に2回、土日に行われます。関東の大学が1部から9部に振り分けられ、それぞれの部でリーグ戦が行われます。昨年の秋季リーグで東大バレー部は4部リーグから3部リーグに昇格したため、今年の春季からは3部で戦うことになります。

双青戦
京都大学との定期戦です。名前の由来は両校のスクールカラーが両方青であることです。開催地は1年ごとに入れ替わり、今年は京都での開催となります。本戦の前に新人戦があり、1年生でも試合に出ることができます。

七大戦
七大学(北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州)で総当たりで行うリーグ戦です。試合数が多いので1週間弱かけて行われます。開催地は七大学で持ち回りとなっており、去年は仙台での開催でした。今年は東京開催の予定です。ちなみに1日目には新人戦もあります。

東商戦
一橋大学との定期戦です。もちろん新人戦もあります。一橋大学とは頻繁に練習試合も行っています。

三大戦
東北大学、九州大学に東京に来ていただき2日間かけて試合を行います。今年は1日目に本戦と練習試合、2日目に新人戦と練習試合という形で行われました。

この他にも3月中旬に合宿があったり、12月にOBの方々との試合があったりするので、1年間を通してイベントが盛りだくさんです!
また、宿泊活動があることから金銭的な不安を抱く方もいるかもしれませんが、現状OBの方々のご尽力により、部費を徴収せずに活動できており、また宿泊行事の際には移動費の補助などもしていただけるため、金銭面での負担はそれほど大きくありません。
このブログを読んで少しでも興味を持たれた方は、新歓練習の参加や通常練習の見学だけでも構いませんので、ぜひTwitter、メールアドレスなどからご連絡ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。

#16 上久保

引退しました(川辺)

先日の秋リーグをもって引退しました4年の川辺です。

すでに会報用に真面目な文章を2本書いたので、ブログの方はゆるーくのんびり書いていこうと思います。あ、でもあんまりのんびりし過ぎると催促されるのでやっぱり少しだけ集中して書きます。

近況ですが、引退してからは女子部の方で学生コーチをしています。変わらず週4駒場ですが、プレーヤー以外の形でバレーボールをするのは新鮮で、新たな発見もあったりと楽しく過ごせています。引退しましたがこうして現在も今後も、暫くはなんらかの形でバレーボールを続けていくつもりです。色々落ち着いたらクラブチームかなんか見つけて自身でプレーもしたいなぁとも思っています。

てなわけで自分はバレーボールを離れるわけでもなければ、駒場にも通うので後輩に会えなくなるわけでもなく、同期もなんだかんだみんな大学に残るので引退の寂しさは特別感じません。過去に先輩方が引退されていった時の方が寂しさレベルは上です。

とはいえ中学1年生から約10年間続けてきた学生バレーの終幕はやはり大きな節目と言えるでしょう。月並みな表現しか出てきませんが、非常に充実した日々を送ることができました。途中で辞めたいと思ったことがないのは何気に凄いことなんじゃないかと最近になって思います。そうたらしめた要因は、何よりも環境に恵まれたことだと思います。

同期に恵まれ、先輩後輩に恵まれ、ライバルに恵まれ、指導者に恵まれました。ブログの執筆にあたり、まずは、これまでの10年間でバレーボールを通じて自分と関わり、支えてくれた/くださった全ての方々に感謝の言葉を述べたいです。ありがとうございました!

さて、ここからは自分の4年間を雑に振り返ろうと思います。
まとまりのない文章になる気がするので読み飛ばしていただいても構いません。

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【1年の5月、川辺入部】

増田のブログを読んで思い出しましたが、僕も1年生の時一応一瞬だけ入部を迷いました。増田と同じく入学時特有のアレです。まあそれでもほとんど悩まずに入部を決めていた方だと思います。にも関わらず入部宣言最遅タイだったのは、GW遊びたかったからです。当時新歓担当だった河田先輩からの勧誘LINEを躱して旅行に行っていました。楽しかったです。

【1年の7月、双青戦】

初めて本戦の試合に出させてもらいました。試合前の昼休みに遊びでジャンプサーブを打っていたら、当時のコーチの田内さんに、「川辺ジャンサいくか!」と言われ、1セット目終盤にリリーフサーバーとして出場しました。フカしました。貴重なチャンスをいただいておきながら、準備不足と不甲斐ない結果に恥いるばかりです。それでもまた、後のセットで起用していただき、後衛で挽回の機会をいただけたこと、嬉しかったです。

【1年の8月、七大戦in福岡】

セッター対角でスタメン出場しました。この頃から割とコンスタントに試合に出させていただくようになります。下級生としてのびのびとプレーした結果、サーブの個人賞2位をいただきました。初戦2セット目、21-20でのタイムアウト中、常川先輩に「サーブ決めた本数で今日の晩飯が決まるぞ」と言われたので頑張りました。4ブレイク、最後は2連続エースで試合を決めました。その日は焼肉でした。

また、Data Volleyを活用した戦い方を初めて体験し、感動しました。自分たちの代やその前の代で、アナリストがいないなかでも簡単なデータをとってこのようなことをやっていこうという方針を取ったルーツは、個人的にはここにあったりします。

【1年の9月、秋リーグ】
入部してから初めてのリーグ戦。定期戦などとは違う緊張感があり、どの試合もあっという間に感じました。そのせいか、あんまり詳細なことを覚えていません。すいません。

このペースだと催促が来そうなので少しとばします。ひぃ。

【1年の11月〜、代替わり】

代替わりしてからは筋トレをしっかりやるようになります。コロナ明けは肩を少し痛めたりしたこともあって、この時期が4年間で一番自分の体の状態が良かったです。モチベに困ったことがほとんどない自分の中でも、特にモチベが高かった時期であり、火曜の夜練から帰った後とかに、寝る前に「なんで明日練習ないん」て思っていました。

【1年の3月〜2年の8月、活動停止】

新潟に帰っていました。

【2年の8月〜、活動再開】

体育館が新しくなりました。以前の仮設体育館は夏に室内の温度計で40度近くなっていたのを見たことがあります。こっちで半年ぶりの活動再開をしていたら干からびていたんじゃないかな。

この代は一番コロナに振り回されたと思います。特に代持ちだった先輩方は不完全燃焼だったと思いますが、最後に代替試合を行えて、勝って終えられて良かったです。

【3年、河田体制】

ほんの数ヶ月前まで一番下だったのに、気がついたらなんと上から数えた方が早くなっていました。
試合などのイベントがなかったこともあり、油断すると一瞬で時間だけが過ぎていくようなシーズンでしたが、長く一緒に試合に出てきた先輩や、ポジションを争った河田先輩とプレーできる最後の時間だったので自分なりに頑張りました。
それだけに秋季リーグで満足のいくプレーができなかったことや、チームとして勝つことができなかったことの悔しさも大きかったです。

【4年、川辺体制】

詳細は赤門会報の昨年度活動報告(前主将挨拶)にて代えさせていただきます。
断じて書くのが疲れたからとかではありません。

代持ちを経験してあらためて、試合があることのありがたさを感じました。
定期的に試合などのイベントがあるからこそメリハリをつけて練習をでき、チームを運営もしやすくなるのだと。いつ試合があるのかもわからず、無機質に時間が過ぎていくような状況で今年と同じようなチームにできたかというと無理だったと思います。

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こうして振り返ってみると、本当にあっという間で充実した4年間でした。
一方で、僕はよく「悩みとかなさそう」と言われますし実際あまり強く否定できませんが、それでも最後の1年間は特に、主将という立場でやっていく中で、無力感に苛まれたり、練習に行くのが億劫になったりすることが、少なくとも自分史上一番ありました。
いろんなことを考えなければいけないのもそうですが、それに加えていろんなことを考えてしまうんですよね。各部員のコンディションはどうか?モチベはどうか?メニューを考えるにしてもポジション、人によって偏りがないか?球出しがキツくないか?などなど考え出したらキリがないです。上手く手を抜いていかないとパンクするなと思いました。

しっかり苦悩しながらも、それでもやって来られたのはやはりモチベーションを絶やさなかったからです。大学の部活は、高校までの部活以上に、やらされるものではないので、モチベーション無しにやっていけないと思います。辞めていこうとする人にその理由が「モチベーションが無くなったから」と言われたら引き止める術を僕は知りません。

バレーが好きで楽しめて、
試合や練習でチームに貢献して、
大きな怪我や病気などもない。

上昇志向とか以前のモチベーションの源泉として自分は上の三つを考えます。
幸いにも、僕は上記の三つをほとんど欠かさずやってこられました。でも、これらはあって当たり前のものではないと思います。後輩たちにはこれらを維持、獲得するための努力を日々怠らないで欲しいなと思います。

後輩に伝えたいことはこれまでもいろんな場所で色々言ったのでここに書くことは他にそんな残っていません。
そして冒頭でも述べたとおり、あまりお別れ感もないので後輩同期はまたいつでもご飯行ったり、バレーしたりしましょう!

引退しました(能丸)

こんにちは。引退しました能丸純太朗です。

後半まとまりなくだらだらと書いてしまったので、まずはお礼の言葉から入らせてください。

サポートを続けてくださったOB,OGの皆様方、チームをサポートしてくださった歴代監督・コーチの皆様、散々迷惑をかけた過去の先輩方、
4年間行動を共にした同期、練習に付き合ってくれ、暖かく見守ってくれた部員の皆、
振り返ってみると本当に世話になりっぱなしだったなと思います。心から感謝を申し上げます。

そして、不肖わたくしめは男子部のコーチを拝命しました。去年からコーチをしていただいている中島さんとの開成タッグということで、中高共にバレーをし、大学で同じコートでプレーし、しまいには一緒にチームを育てる、と本当に奇跡の巡り合わせで、
流石にエモく感じています。

今年度のチームは、バレーのスキルもさることながら、後輩を巻き込むのが上手な最上級生と活発な下級生がうまく調和している代で、非常に行く末が楽しみです。まず、立ち会わせてもらえることに感謝しています。

運良くバレー部に関わる機会を頂けたので、非力ながらも恩返しできるように頑張らせてもらおうと思っています。

↓↓だらだら↓↓
(振り返りが中心です)

入部動機は今となっては思い出せないですが、バレーに対して真摯に向き合える環境と、フレンドリーな先輩たちが決め手となった気がします。

1年の頃はなかなかに問題を起こしていた気がします。寝坊、忘れ物、また寝坊と、惨憺たる状況だった記憶があります。その頃に自らの出来の悪さに向き合って、更生できたのは人生の財産だなと思っています(笑)

2,3年のコロナ流行の時期は、ほとんど練習できない期間も多く、非常にストレスが溜まりました。(「コロナ いつから」で検索しました。日本だと2020年初頭からの話なんですね。長い)
ようやく練習ができるようになっても、2週間練習してようやく感覚がつかめたと思ったところで、また活動制限・・・で、モチベーションを保つことさえ難しかった記憶があります。まともに活動できるようになったのは3年の秋くらいからでしょうか。

3年の秋、セッターとしてメンバーに入ることにもなり、がむしゃらに練習しました。動画を見て動きを研究して真似したり、試行錯誤していましたが、今思えば細かい体のパーツに意識がいって、むしろ動きが硬くなっていたなと思ったり、少し余裕がなかったです。

これは1年の頃からの話ですが、コーチの常川さんが定期的にコメントをくださったことが、本当に救いだったなと思います。もし1人だったら、さらに迷走していた気がします。

そして、結局自分の初公式戦がまさかの昇格をかけた秋リーグでした。初戦の埼玉大学戦は、今でも忘れません。下手な上に、自信のなさが爆発してしまいました。力になれず、只々不甲斐ない気持ちでした。
結局リーグ戦は1敗で終わることができましたが、迷いがあるプレーも多く、正直不完全燃焼でした。

代が変わり4年になり、急成長を遂げた頼もしい後輩にポジションを明け渡すこととなり、自分の身の振り方にはなかなか困りました。
なかなかチームへの貢献手段は見つからず、結局、プレーの追求をしつつ、できる限り周りを見ることを心がけようという中途半端な結論になりましたが、時折不安になりつつも前向きに完走できたなと思います。
プレーで貢献する可能性が小さくなっても、練習に惜しみなく付き合ってくれたのは本当に嬉しかったです。後輩でも遠慮なくアドバイスを仰げたし、本当にいい人間関係に恵まれたなと思っています。

そして最後の秋リーグ、運よく出場機会を貰えて、その上難しい試合を勝ち切ることができました。3部昇格に細やかながら貢献でき、嬉しいことこの上ありません。
結局技術レベルは不足していましたが、できることで最善を尽くそうと思いプレーした結果、冷静で迷いがなく、結果的に良いパフォーマンスを出すことができました。
色々な部員から祝福を貰えたのま嬉しかったです。どこか自分は影が薄いと思っていたので、自分を見てくれている人はいたんだなと心に沁みました。

振り返ってみると、個人としては技術の上達はさることながら、精神状態のコントロールの重要性と難しさを実感したキャリアだったなと思います。プレッシャーのかけ具合や、本番に臨む時には今あるもので勝負するというメンタリティを作ること、言葉にすると単純ですが、なかなか上手くいかないものです。

また、冒頭と被りますが、やはり本当に世話になった4年間だったなと。4年生になっても、自分が与えるものよりも、人から貰ったものの方が多かったのではないか、と思います。

ここまで熱い人間に囲まれる機会は人生にまたとない経験で、一生モノの財産です。
現役の皆には、是非とも満喫して欲しいですね。

引退しました(桑原)

こんにちは、先日引退しました4年マネージャーの桑原す!

3年間先輩方のを読んできた引退ブログですが、ついに自分の番が来てしまいました。

いざ書いてみると書きたいことが山ほど。思い入れがありすぎたみたいです。4年間の私の考えや想いを4000に詰めました。

前半はお礼、後半は振り返りという構成です長文ではありますが、わってくださった皆さんに読んでいただけると嬉しいです!

コロナの影響で私は、1年の3月から3年の8月までの約1年半、東京大学に入構出来ない日々を送りました。たまにある外部練に参加することしかできず、当たり前に週4で部活に行けていた1年生の1年間がどんなに恵まれていたか、誰よりも痛感したという自負があります。

そのため赤門クラブのOB・OGの皆様、東京大学の職員の皆様のありがたさをより一層感じておりました。東大バレー部を支えてくださり、部員が活動できる場を設けてくださり、本当にありがとうございました。来年からは私も支える側として恩返しをしたいと思います。

引き続き、お世話になった方々へお礼をさせてください。

先輩の皆さん。

バレーもマネも初心者として大学から始めた私は入部当初、知識も少なく、ボールの扱いも酷く、色々とご迷惑かけたと思います。

それでも、プレーヤーの先輩方は私の成長を見守ってくださり、マネの先輩方は基礎から丁寧に教えてくださりました。

渋谷組の先輩方とは毎部活後ご飯に行き、色々なお話ができてとても楽しかったです。ありがとうございました。

コーチとしてもお世話になった常川さん、博雅さん。お二方には本当にお世話になりました。

愚痴や悩み事など、練習の合間などでたくさん聞いていただき、たくさんの励みになるお言葉をくださいました。感謝しています。

美朱さん、璃子さん、葵さん。マネの仕事だけでなく、バレーのルールや、マネのあり方、同期仲の大切さなど、色々なことを教えていただきました。

璃子さんには私たちの最後の秋リーグで写真を撮っていただき、感謝でしかないです。

お三方に1年生の1年間でたくさんのことを教えていただいたおかげで、3年ぶりの試合や行事もなんとか運営できました。育ててくださり、ありがとうございました!

後輩のみんな。

頼りない先輩だったかもだけど、ついてきてくれてありがとう。

いつも「のぶさん!」と話しかけてくれるみんなが愛おしくて、いつもネルギーをもらっていました。みんな可愛い可愛い後輩です。これまでついてきてくれて、頼ってくれて、そして仲良くしてくれて本当にありがとう!

マネの後輩には教える中で厳しいことを言ったかもしれません。特に私が最高学年になってからの1年はマネージャー少ないし、やること多いし、みんなは初めての行事ばかりだし…。結構キツかったと思います。

それでも自分にできることを考えて動いてくれて、後輩が頼もしすぎて私の方こそ助けられていました。仲良くしてくれて本当にありがとう!

女子部や他大学の皆さん。

先輩方より交流や接点は少なかったですが、女子部の皆さんは更衣室で会う際には声をかけてくださり、他大の皆さんはSNSを通じてたまに連絡を取ってくれて、東京に来たときには連絡くれてご飯に行けて、とても嬉しかったです。ありがとうございました!

最後に大好きな同期のみんな。

私が私らしく4年間やり切れたのは、紛れもなくみんなのおかげです。

辛くて苦しくて、マネージャー辞めたいって思ったことはあるけど、部活辞めたいと思ったことはありません。各々悩みがあるのに目の前でバレーボールと真剣に向き合っているみんながいたから、私も頑張ろうと思えました。

一年生の時から、マネだからと壁を作らず仲良くしてくれて…。時には厄介な存在だったかもしれないけど、意見を聞き入れてくれて本当にありがとう。相談事も全部ちゃんと聞いてくれて、「自分らしくいいじゃん」と言ってくれて、本当に嬉しかった。本当にありがとう。最高の同期を持てて幸せ者です。

 

以上がお礼の言葉となります。

本当に周りの方々に恵まれた部活生活でした。

みなさんこれからもご飯行ったり飲み行ったりましょう!

ここからは振り返りコーナーです。

自分の記録用でもあるのでこの場をお借りして書かせていただきます。ぜひ皆さんにもご一読していただけると嬉しいです。

軽く私のプロフィールを今更ながらおさらいしたいと思います。

私は中高6年間剣道部に所属していました。

三段の有段者です。

声がよく通ります。

バレーは中高の授業レベルです。

そんな私がなぜこの部活に入ったか。れは、

・チームスポーツがしたかったから

・みんな全力応援できるから

・当時ハイキューを見ていたから

・マネージャー向いていると友人から言われたから

・駒場キャンパスが家から近かったから(これ大事)

入部理由にしては安直な考えだと思いますが、個人競技の剣道を6年間していた反動でチームスポーツがやりたかったです。

みなさん、剣道は声援禁止なのをご存知ですか?

剣道における応援は拍手のみです。

野次を飛ばすなんてもっての外。ちょっとガッツポーズをしただけで審判から注意されます。

ハイキューを見たのはちょうど剣道部を引退した後。

声援禁止の剣道をしていた私は、チーム一丸となって応援する様子に胸打たれ、大学入学とともに体験に行き、入部することにしました。

入部したいいものの、前述にもある通り、ボールの扱いは酷かったと思います。

とは言え1年生はほんの限られたメニューしかボールを触らず、夏はドリンクをひたすら作っていたら4時間終わっているなんてザラにありました。

ドリンク作りと氷嚢作りと倉庫の掃除極めた1年を過ごしていたらコロナとかいうとんでもないウイルスが流行りましたね。

東京大学に入構できなかった1年半。でもこんなに入れなかったのは我々マネージャーだけ。

プレーヤーは半年間部活停止でしたが、その後1年間マネージャーなしで部活をしていました。

時間管理もトレーニングタイマーを買って対応し、ドリンクも各自で用意し、マネージャーがいなくても部活が回っていました。

「マネージャーなしで部活回っているならマネージャーっている意味あるのかな。」

そう思ってしまいました。

そんな時に先輩や同期と話に出たのが、今となっては定着したマネージャーによるデータ収集でした。少しでもマネージャーの存在価値が上がれば、そう思いました。

部活に参加できない時間でマネージャーの仕事と並行してできるような記録用紙を作りましたが、実践できる場はなく時間だけが経ち2年生が終わってしまいました。

3年に上がると、少しずつ外部練や練習試合が行われ、たまにですがマネージャーも参加できるようになりました。

ですが葵さんが就活で休部していたため、コロナ前まで1年生で、ほとんどボールを触っていなかった私が突然最高学年の立場です。いきなりトップという、意味がわからない、想像のキャパを超えた現実に、焦りと不安でいっぱいでした。部活人生で辛かったランキング2位がこの時です。

ただでさえボールの扱いが酷かった私が、後輩に教えながら、ボールも時間も管理し、新しく導入したデータ記録もし…。

ちゃんと回ってなかったかもですが、怪我人も出ずになんとか練習メニューも回せていたと思います。我ながらよく乗り越えたと思います。

そして!来たる3年の8月!

ついにマネージャーも東大に入構できるようになりました!

申請し続けてくださった主務の先輩方に感謝です。本当に嬉しかったです。

葵さんの休部期間も終わり、本来の3年マネとしての活動ができるようになりました。

しかし、正直私がマネージャーを辞めたくなったのはここからでした。

高校から男バレのマネをしていた経験値の高すぎる2人が私の1年上と1年下で、挟まれていた私は自分の不甲斐なさを日々感じていたからです。周りの目を気にする私の短所が仇になり、これが部活人生で辛かったランキング堂々の1位です。

辛い日々が続きましたが、正解がないマネージャーだからこそ、「自分らしくり切ろう」と最高学年になる直前の秋リーグから思うようになりました。

それでも結局引退1ヶ月前まで、2.3ヶ月に1回しんどいと思う時がありましたが。

自分らしく…。私にしかできないこと…。

私だからチームの勝利に貢献できること…。

それは、よく通る声で選手を鼓舞すること。

誰とでも積極的にコミュニケーションを取ること。

これしかないと思いました。自分の強みでもあり、自分のアイデンティティでもあり、1年生の時から先輩や監督によく褒めていただいたことでもありました。

前の代の秋リーグでも自分の代の春リーグでも七大戦でも秋リーグでも、声が枯れるまで誰よりも応援しました。練習中や試合のタイムアウトでは積極的にみんなに声をかけました。

逆にそれで悩むこともありましたし、過去のマネの先輩と違うマネの形で賛否両論あったと思います。ですが、剣道部引退後にみんなで応援できるこのバレーボールという競技に惹かれた私には、自分の声量を活かした応援をしない選択肢はありませんでした。

私の声がチームにプラスの働きをしていたかは自分では分かりませんが、後輩とも協力して記録したデータたちと全力を尽くした声援が少しでもチームの勝利に貢献していたら、私はとても嬉しいです。

最後の秋リーグ。

感動の景色をたくさん見せてもらいました。

みんなと笑い合えたこと、ハイタッチしたこと、同期と喜び合えたこと、はるかちゃんとゆうちゃんとハグしたこと、一生忘れません。辛いこともたくさんありましたが、この結果のために景色のために頑張っただなと思いました。

「3部昇格」という目標達成の場に立ち会えて幸せでした。ベンチから見たあの光景は一生の宝です。

(下の写真は大好きな1枚です。私泣いていますね。)

以上が振り返りです。本当に色々なことがありましたが、家族の支えもあり、部活ならでは貴重な経験をたくさんさせていただきました。

この部活に後悔はありません。

自分の心の中で決めていた「同期仲を大切にする」「必要とされる人になる」という私個人の目標引退時にもらった同期や後輩からのメッセージカードを読んだ感じ、達成できていたかなと思います。やり切りました。

私の大学生活の全てと言っても過言ではない最高の部活生活でした。

後輩にも後悔のない部活生活を送って欲しいです。

3部での活躍をOGとして見に行ける日を楽しみにしています!頑張れ!

これで私の引退ブログを終わりたいと思います。

長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

東大バレー部にいられて幸せでした。

出会ってくださった皆さんに感謝です。

またどこかでお会いしましょう!

では。

 

 

マネージャー 桑原亘子

引退しました(増田)

先日引退しました。4年の増田です。
部活に割いていた時間を何に充てて楽しもうかとワクワクしていたのですが、卒論バイト卒論…といった具合でなんやかんや忙しい日々を送っております。

引退ブログということですが、「イイ感じの長さ」を目標に書こうと思います。思いを込めるあまりポエミーになっても恥ずかしいですしね、デジタルタトゥーという言葉もありますし気をつけます。
書いてみるとうまくまとまらなかったので箇条書きスタイルにします。程よく飛ばし読みしてください。

○昇格
まずはこれです。これ以上ないほど良い形で引退を迎えることができ、部活への未練を感じすぎることなく清々しい気持ちで引退ライフを送ることができています。
一つ上の先輩方が引退し、残されたのは我々4年生と生意気な後輩たち…そしてコロナによる活動休止や春リーグでの渋い敗北…というかなり不安なスタートを切ったこの代でしたが、終わりよければすべてよしですね。

…とまぁフワッとしたノリで書きましたが昇格は本当に嬉しいです。きっと今後もあの瞬間を思い出すだろうなと。圧倒的リーダーがいるわけでもなく、スーパーエースがいるわけでもないこの代で、チープな言葉ですがまさに「みんなで掴んだ」昇格だったのが嬉しさを際立たせます。

○東大バレー部
近い先輩方と同期は知っていますが、僕は当初バレー部に入るかどうか長く迷っていました。今では入学時特有の「何か新しいこと始めたい」という一時的な精神の乱れに惑わされず本当によかったなと思います。
バレー部で学んだことと言うと大袈裟ですが、入部したことで多少自分の考え方が変わったなと思います。以降ポエミー注意。

僕がバレーボールを続けてきた一番のモチベーションは、うまくなって試合で活躍することでした。スポーツってそういうものだと思います。が、僕の場合それで周りが見えなくなるというか、自分のプレーに一喜一憂しすぎる節がありました。自分の調子がいい日はチームが負けても精神的にノーダメージ、みたいなことも普通にありました。
基本的なスタンスは変わりませんが、この4年間を経て以前の自己中な自分がちょっとはマシになったかなと思います。他人のプレーに大喜び/ブチギレしたり、コートの外からでも必死に声を出したり、手のかかる後輩の扱いについて真剣に考えたり…。
頭では分かっているつもりでしたが、
・チームへの貢献の仕方として、自分がしたいやり方と、実際に一番チームのためになるやり方の乖離が起こることがあって、それは結構しんどいこと
・どちらのやり方を選ぶにせよ、信念を持って全力投球するのが大事であること
・そしてそれを実行している人は、どういう立場にあっても尊敬に値すること
といったことを実感できました。
めちゃめちゃ綺麗事感ありますね。あー恥ずかし。

○後輩
先述しましたが後輩たちは基本的に生意気です。
が、それでも憎めない、というか可愛いんですね。当然今までも後輩がいたことはありますがここまでの愛情(?)を感じるのは大学が初めてです。

まずはプレーで大きく活躍してくれたことに感謝したいです。今回の昇格は後輩たちがいなければ叶わなかったです。
そして慕ってくれたことに感謝です。バレーがめっちゃ上手いわけでもなく、笑いのネタを量産できるわけでもない僕ですが、先輩としてそれらしくイイ感じに扱ってくれたかなと思います。

後輩への期待とかは正直特にないです。ささやかな願いとして、できれば強くあってほしい、居心地の良い部の雰囲気を受け継いで行ってほしい、と思います。
頑張ってください。飯いきましょう。

○同期
4年生は本当に仲がいいよね、といろんな人が言いますが、本当に仲がいいです。
項目作りましたが意外と書くことなかったです。引退しても、そしてこの先社会に出ても、会おうと思えばいつでも会えるような気がします。まぁ飲みにいきましょう。積もる話はその時に。

引退しましたが、あくまでガチのバレーをやる機会が減ったというだけです。どこかのチームでゆるくプレーするか、プロチームに推しを作って応援するか(もちろん東大バレー部も応援します)、あるいは指導者をやってみるか、…と、今後も何かしらの形でバレーと関わっていこうと思います。

最後に好きな写真を貼っておきます。

以上です!!!お読みくださりありがとうございました!!!

#13 増田

引退しました(藤野)

こんにちは。

先日の秋季リーグをもって東大バレー部を引退しました藤野瑛汰です。

近況報告ですが、部活がなくなった時間分そのまま研究をやっているだけで、卒業論文の執筆のために本郷キャンパス工学部2号館及び自宅でひたすらPCをカタカタやっています。来年からは大学院に進学して、引き続き学業中心の生活を送ることになりそうです。

バレーボールをやる機会は激減してしまいそうですが、部活の練習とは違い、結果を意識せずにただただ楽しむだけのバレーを年に数回でもいいのでやりたいです。

4年間のバレー部生活は長いようで短く、あっという間に自分が引退ブログを書く出番が回ってきてしまいました。

まずは、自分たちが東大バレー部としてバレーボールをできるような環境を作ってくださったOB、OGの皆様方、指導してくださったコーチ、監督の方々に感謝を伝えたいと思います。

そして当たり前ですが、バレーボールは個人競技ではなくチームスポーツなので自分1人ではできません。自分と4年間バレーボールを一緒にやってくれた、先輩方、後輩、さらに、練習や試合など至る所でバレー部を支えてくれたマネージャーの方々、そして何より4年間バレー部生活を共にした同期のゆーすけ、のーまる、ますだ、のぶにも感謝したいと思います。

さて、4年間を振り返ってみるとあまりにも内容があり過ぎて頭の中で整理することができません。その整理のためにこの引退ブログを活用したいと思います。この引退ブログを読む方は自分がどのようなバレー部生活を送ってきたのか、ちょっとでも知って「ふーん」と思っていただければ嬉しいです。自分語りがふんだんに盛り込まれているので、流し見でもオッケーです。

1年生

初めはあまり試合に出る機会がなく、悔しいという思いよりも自分の無力感を感じていました。それでも代が変わり、新しいチームになると少しずつ試合に出させてもらうようになりました。試合に出ることで、自分が点を決め、周りのみんなが喜んでくれるという経験をすることができて、この頃は充実したバレー部生活を送っていたと思います。

そして、試合に出始めて1ヶ月ほど経ち、春リーグ目前の1年生の3月頃、新型コロナウイルスの流行が開始し、練習は停止となり、春リーグもなくなりました。

2年生

練習が再開したのは、2年生の8月頃だったかと思います。それまでバレーボールができる機会が全くなく、とりあえずひたすらランニングをしていました。部活がない5ヶ月間で合計500kmくらい走りました。走りすぎました。多分ランニングよりジャンプ系の筋トレとかしてた方が良かったと思います。

七大戦もなく、秋リーグは公式扱いではなく代替試合として行われ、また代が変わりました。この頃は、あるかどうかわからない試合に向けて練習をするという、かなりモチベーションを保ちづらい期間でした。

3年生

この年も春リーグがなくなるという状況からのスタートでした。そして、東大バレー部人生最大の後悔ポイントがやってきます。詳細は省きますが、練習中の単独事故により利き手の右手の第4中手骨(薬指と手首を繋ぐ骨)が真っ二つに折れました。手術を行い、固定はしましたが、骨がくっつくまで4ヶ月もの間、バレーはできないけど部活には行くという生活が続きました。正直、かなりきつかったです。

秋リーグは無事に開催され、それまでにはなんとか復帰できましたが、リーグ初戦で途中から交代で出場し、負けて昇格を逃すという、最悪な結果となってしまいました。怪我がなければ、もっとチームの力になれていたのではないかと思うと、やはりこの怪我が悔やんでも悔やみきれません。そしてまた代が変わり、自分たちの代になりました。大エースだった、はくや(さん)が抜け、さらにスタメンがほとんど抜けた状態からのスタートでした。

4年生

春リーグは4部の12大学中7位という昇格から程遠い結果となってしまいました。この結果に対しても、自分のプレーに対しても、かなり悔しさ、情けなさ、恥ずかしさを感じました。この頃から、焦りを感じるようになり、より練習、トレーニングに取り組むようになりました。

この年から復活した七大戦では、結果としては4戦中2勝2敗でしたが、チームとしても、個人としても、少し成長を感じました。少なくとも春リーグが終わった後から見れば、明らかに良くなっていたと思います。

そして先日の秋リーグ、自分が東大バレー部に入部した時から部の目標として掲げられていた「3部昇格」、これを成し遂げることができました。1年前にスタメンがほとんど抜け、春リーグで半分より下の順位だったチームが秋リーグで昇格。チームとして、部として、確かに成長したと思います。自分としても、昨年よりは少しだけチームの力になれたと思います。

以上、4年間を振り返りましたが、何はともあれ最後に「3部昇格」という結果を残して引退することができて本当に幸せだなと思います。自分たちの代は人数が少なかったので後輩たちにかなり支えてもらってこの結果があると思います。本当に感謝しています。

後輩に伝えたいことはあまりありません。後輩たちは自分たちで考えて好きにバレーをやってください。これからはただの観客として東大バレー部の試合を見に行きたいと思います。頑張ってください。

#3 藤野

〜〜以下、思い出

三大戦の新人戦。当時の大エースはくや(さん)を1年生とみなす法外スレスレの手段を用いて、2戦2勝。問題はない。というか人が足りていなかった。

新歓で立て看板に釘を打ち込むゆーすけ。この立て看ができたと同時にコロナで大学に入れなくなって新入生がこの看板を見ることはなかった。それでも入ってくれた今の3年生ありがとう。新歓代表より。

闇ビーチバレー。このビーチバレーのせいでその後一ヶ月くらいオーバーパスのハンドリングが狂った。けどかなり楽しかった。

最後の七大戦。7大学中生き残った3大学の中でチームは準優勝。個人としてもスパイク賞と猛打賞を取ることができた。院試を捨ててスパイクの方を頑張ったので、何とか報われて良かった。

東京体育館で練習試合があった時の写真。4チームしかいなかったので完全に体育館の規模がオーバーキルだった。スパイクはめちゃくちゃ打ちづらかった。「東京体育館のセンターコートでバレーしたことある」というマウントを取れるようになった。

3部昇格の瞬間。この瞬間のために大学4年間バレーボールをやっていたと言っても過言ではない。3セット目最大6点差からの逆転勝ち。正直結構危なかった。5試合中3試合もフルセットをやって肉体的にも精神的にも疲れた。人生で初めて嬉し涙が出た。

七大戦 本戦

真夏の暑さもなくなり始め、涼しく感じられる日も増えてきました。もう秋になるのかと季節の移り変わりを感じています。

入部のとき以来のブログになります。3年生の飯高です。タイトルの通り七大戦について書きたいと思います。

8月15日から19日にかけて、仙台にて東北大学主管のもと七大戦が開催されました。

BBSやTwitterをご覧になられた方は既にご存知かもしれませんが、東京大学は新人戦で北海道大学に敗れ初戦敗退、本戦で大阪大学に2-1で勝利、名古屋大学に0-2で敗北、北海道大学に2-0で勝利、東北大学に1-2で敗北、九州大学、京都大学との試合は中止となり、棄権校が出たため名古屋大学、大阪大学との3校中2位という結果で七大戦を終えました。

昨年、一昨年は七大戦が新型コロナウィルスの感染拡大の影響を受け中止となっていましたので、現在3年生の僕にとっても初めての七大戦でした。

今まで経験してきた練習試合やリーグ戦などとは全く異なる空気感があり、奇抜な髪色やコスプレをしていた人が多くいたことはもちろん、鳴り物や応援歌などでの応援がある試合が初めてだったので、とても新鮮で、チームで戦っている感覚がより強かったように思います。

チームとしても個人としても成長が感じられる期間で、特に後半の試合では好調な選手が多かったように感じました。一方で、自分たちの質の悪いミスで自滅してしまった試合もあり、秋リーグに向けての課題も見つかりました。

4年生にとって最後の大会となる秋リーグも迫っているので、目標である3部昇格に向けて練習していきたいと思います。今後とも応援よろしくお願いします。

飯高

七大戦 新人戦

男子部1年の新屋孝汰です。今回は七大戦の新人戦をテーマにブログを書かせていただきます!

でもその前に、改めて簡単な自己紹介をさせていただきます。私は自然豊かな南国・鹿児島の鶴丸高校出身です。でも正直東京のほうが暑い気がします…。バレーは小4からはじめて、ポジションはセッターです。小学生の時はライトでした。プレーは全体的に未熟ですが、喫緊の課題はサーブの安定化です!秋リーグに向けて打ちまくろうと思います。

では、新人戦の方について書かせていただきます。

新人戦結果

東京大学18―25北海道大学

結果は以上の通りです。双青戦に引き続き、新人戦で勝ち星をあげることができませんでした。内容としては、ミスが多く、流れをつかむことができませんでした。また、勝負所での弱さがはっきりと出てしまいました。実力不足を痛感する、悔しい結果となりました。今回の反省をもとに、日頃から丁寧なプレーを心掛け、次につなげたいと思います!今後とも新人チーム、本戦チームとも東大男子バレーボール部の応援の程よろしくお願いします。

 

新屋

自己紹介⑤ 松浦大陽

はじめまして。男子部一年、文科三類の松浦大陽(まつうら たいよう)です。今回は、自己紹介のブログを書きます。

僕の身長は179cm、中高6年間バレーボールをしていて、ポジションはレフトですが、セッターもやったことがあります。得意なプレーは二段トスです(元セッターなので)。僕の出身は青森県の八戸高校です。あのど田舎の青森です。冬は1mくらい雪が積もる時もあります。中学校は田んぼの真ん中にあったので毎日畦道を通って登下校していました。青森の電車は多くて2両程度なのに東京は10両ぐらいあって毎回驚いています。東京のビルはとても高いです。この前初めてサイゼリヤに行きました。ミラノ風ドリアは安いのに美味しかったです。今度はロイヤルホストとかココスとかに行ってみたいです。田舎者丸出しですみません。

上京してからは毎日が発見と驚きの連続です。それは東大バレー部に入ってからも同じです。先輩のスパイクは強いし、レシーブも綺麗だし、サーブも速くて僕には全然取れないし、毎日常識が覆されるような思いです。なによりこんな良い環境でバレーができるのが本当に嬉しいです。練習中やミーティングではよく先輩にアドバイスをもらいますが、その1つ1つが僕にとってはとても新鮮で、とてもありがたいことです。そんな環境でバレーがしたいと思い、入部を決意しました。

実力的には未熟な自分ですが、伸び代は1番だと思っています。誰よりも上手くなることを目指して頑張ります。勉強も、結構頑張ります。よろしくお願いします。

稚拙な文章でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。

自己紹介④ 新屋孝汰

こんにちは。男子部一年、文科一類の新屋孝汰(しんやこうた)です。今回は入部挨拶と自己紹介ということでブログを書かせていただきます。

出身は鹿児島県の鶴丸高校です。ポジションはセッターで、身長は169cmです。バレーボールは小学校四年生から始めました。小学校の頃は大きい方だったのですが、中学からは身長も止まって、気づいたら小さい方になってしまいました。でも、そのおかげで東大を受ける機会に巡り会えたと今では思うことにしています(笑)。

小学校の時はライトをしていましたが、何だかハンドリングはいい気がしていて、中学に入ったタイミングでセッターに転向しました。勝つことに全力を注いでいたバレー生活は、本当に楽しかったです。

僕は今までのバレー人生の中で、他の人よりも大きな喜びと挫折とを味わった自負があります。しばらくバレーを嫌いになった時期もありました。でもやっぱりバレーがしたくなって、大学でもバレー部に入らせていただきました。

バレー部にはいい先輩がたくさんいて、練習も本当に楽しいです!
技術的にも精神的にもまだまだ未熟ですが、大学バレーで両方とも磨きたいと思います。楽しみながら頑張ります。

拙い文章ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

自己紹介③ 上久保幸陽

こんにちは。男子部一年、理科一類の上久保幸陽(うえくぼこうよう)です。今回は新入部員として自己紹介のブログを書かせていただきます。
身長は176cmで、出身は埼玉の県立浦和高校です。バレーボールは中学一年からやっています(といっても中学の部活はゆるゆるでしたが)。小学校ではサッカーをやっていましたが、サッカーがそんなに好きでなかったので、中学では新しいスポーツを始めようと思い、経験者が少なくてレギュラーになれそうといった不純な動機からバレーを選びました。
高校ではポジションはミドルをやっていました。大学でも変わらずミドルをやっています。ミドルとしては身長が無い方なのでジャンプ力をつけたり他のプレーを磨いたりして差別化できるようにしたいです。
近況ですが少し前にバスから降りるときに足首をひねり捻挫をしてしまったうえ、軽い捻挫だとたかを括り中途半端に放置してしまったため悪化し、直近の1ヶ月間まともに練習ができず辛かったです。幸運なことに高校までの6年間でバレーをしている最中に怪我をしたことはないのですが、僕自身が鈍臭いため他のところで怪我をしがちです。このブログを書いている時点では練習を少しずつできるようになってきているので、今後怪我をしないように油断せず生活しようと思います。
最後に大学の部活を通しての目標ですが、練習を通してバレーの技術を向上させることや体力をつけることはもちろんのこと、部を部員中心で運営していく中で色々な経験を積んで心身ともに成長していきたいと思います。
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

1年 # 16 上久保

自己紹介② 福岡幸大

はじめまして。文科二類一年の福岡幸大です。身長は183cm、出身は東京の暁星高校です。高校の頃のポジションはレフトでしたが、大学では人手不足のミドルをはじめ、いろいろなポジションを経験してみたいと思っています。
今回は新歓ブログを書かせていただくことになりました。よろしくお願いします。

僕は中学1年の時、中学受験で爆増した体重を減らすために運動部を探していたところ、友達に誘われるがままになんとなくバレーを始めましたが、バレーボールの楽しさに惹き込まれ、6年間続けて今に至ります。

大学入学当初からバレーを続けることは考えていたものの、部活としてやるか、自由な時間を多く取れるサークルで続けるかを迷っていました。ですが、練習に体験で参加した際の先輩方がカッコいいスパイクを決める姿のほか、まだ入部を決めてもいない自分に対する丁寧な技術指導、さらに練習後にはストレッチを手伝っていただき、さらにさらにご飯までご馳走してくださる優しさに感激し、4年間をバレーボールと心中する覚悟を決めました。

突然ですが高校と大学の部活で最も変わったと感じる点は個人の主体性が非常に重要になってくるところだと思います。高校では顧問の先生が毎回の練習に顔を出し、常に指示を受けることができる恵まれた環境でプレーをしてきたため、いつしか顧問の指示を待っている自分がいました。ですが、大学では顧問の先生がいるわけではなく、自分のプレーの問題点とその原因は自分で見つけ、改善しなければなりません。僕はまだまだ自分で考える力が足りませんが、先輩の助けを借りながら、また、同期と切磋琢磨しながら少しずつ成長していきたいです!