こんにちは。

先日の秋季リーグをもって東大バレー部を引退しました藤野瑛汰です。

近況報告ですが、部活がなくなった時間分そのまま研究をやっているだけで、卒業論文の執筆のために本郷キャンパス工学部2号館及び自宅でひたすらPCをカタカタやっています。来年からは大学院に進学して、引き続き学業中心の生活を送ることになりそうです。

バレーボールをやる機会は激減してしまいそうですが、部活の練習とは違い、結果を意識せずにただただ楽しむだけのバレーを年に数回でもいいのでやりたいです。

4年間のバレー部生活は長いようで短く、あっという間に自分が引退ブログを書く出番が回ってきてしまいました。

まずは、自分たちが東大バレー部としてバレーボールをできるような環境を作ってくださったOB、OGの皆様方、指導してくださったコーチ、監督の方々に感謝を伝えたいと思います。

そして当たり前ですが、バレーボールは個人競技ではなくチームスポーツなので自分1人ではできません。自分と4年間バレーボールを一緒にやってくれた、先輩方、後輩、さらに、練習や試合など至る所でバレー部を支えてくれたマネージャーの方々、そして何より4年間バレー部生活を共にした同期のゆーすけ、のーまる、ますだ、のぶにも感謝したいと思います。

さて、4年間を振り返ってみるとあまりにも内容があり過ぎて頭の中で整理することができません。その整理のためにこの引退ブログを活用したいと思います。この引退ブログを読む方は自分がどのようなバレー部生活を送ってきたのか、ちょっとでも知って「ふーん」と思っていただければ嬉しいです。自分語りがふんだんに盛り込まれているので、流し見でもオッケーです。

1年生

初めはあまり試合に出る機会がなく、悔しいという思いよりも自分の無力感を感じていました。それでも代が変わり、新しいチームになると少しずつ試合に出させてもらうようになりました。試合に出ることで、自分が点を決め、周りのみんなが喜んでくれるという経験をすることができて、この頃は充実したバレー部生活を送っていたと思います。

そして、試合に出始めて1ヶ月ほど経ち、春リーグ目前の1年生の3月頃、新型コロナウイルスの流行が開始し、練習は停止となり、春リーグもなくなりました。

2年生

練習が再開したのは、2年生の8月頃だったかと思います。それまでバレーボールができる機会が全くなく、とりあえずひたすらランニングをしていました。部活がない5ヶ月間で合計500kmくらい走りました。走りすぎました。多分ランニングよりジャンプ系の筋トレとかしてた方が良かったと思います。

七大戦もなく、秋リーグは公式扱いではなく代替試合として行われ、また代が変わりました。この頃は、あるかどうかわからない試合に向けて練習をするという、かなりモチベーションを保ちづらい期間でした。

3年生

この年も春リーグがなくなるという状況からのスタートでした。そして、東大バレー部人生最大の後悔ポイントがやってきます。詳細は省きますが、練習中の単独事故により利き手の右手の第4中手骨(薬指と手首を繋ぐ骨)が真っ二つに折れました。手術を行い、固定はしましたが、骨がくっつくまで4ヶ月もの間、バレーはできないけど部活には行くという生活が続きました。正直、かなりきつかったです。

秋リーグは無事に開催され、それまでにはなんとか復帰できましたが、リーグ初戦で途中から交代で出場し、負けて昇格を逃すという、最悪な結果となってしまいました。怪我がなければ、もっとチームの力になれていたのではないかと思うと、やはりこの怪我が悔やんでも悔やみきれません。そしてまた代が変わり、自分たちの代になりました。大エースだった、はくや(さん)が抜け、さらにスタメンがほとんど抜けた状態からのスタートでした。

4年生

春リーグは4部の12大学中7位という昇格から程遠い結果となってしまいました。この結果に対しても、自分のプレーに対しても、かなり悔しさ、情けなさ、恥ずかしさを感じました。この頃から、焦りを感じるようになり、より練習、トレーニングに取り組むようになりました。

この年から復活した七大戦では、結果としては4戦中2勝2敗でしたが、チームとしても、個人としても、少し成長を感じました。少なくとも春リーグが終わった後から見れば、明らかに良くなっていたと思います。

そして先日の秋リーグ、自分が東大バレー部に入部した時から部の目標として掲げられていた「3部昇格」、これを成し遂げることができました。1年前にスタメンがほとんど抜け、春リーグで半分より下の順位だったチームが秋リーグで昇格。チームとして、部として、確かに成長したと思います。自分としても、昨年よりは少しだけチームの力になれたと思います。

以上、4年間を振り返りましたが、何はともあれ最後に「3部昇格」という結果を残して引退することができて本当に幸せだなと思います。自分たちの代は人数が少なかったので後輩たちにかなり支えてもらってこの結果があると思います。本当に感謝しています。

後輩に伝えたいことはあまりありません。後輩たちは自分たちで考えて好きにバレーをやってください。これからはただの観客として東大バレー部の試合を見に行きたいと思います。頑張ってください。

#3 藤野

〜〜以下、思い出

三大戦の新人戦。当時の大エースはくや(さん)を1年生とみなす法外スレスレの手段を用いて、2戦2勝。問題はない。というか人が足りていなかった。

新歓で立て看板に釘を打ち込むゆーすけ。この立て看ができたと同時にコロナで大学に入れなくなって新入生がこの看板を見ることはなかった。それでも入ってくれた今の3年生ありがとう。新歓代表より。

闇ビーチバレー。このビーチバレーのせいでその後一ヶ月くらいオーバーパスのハンドリングが狂った。けどかなり楽しかった。

最後の七大戦。7大学中生き残った3大学の中でチームは準優勝。個人としてもスパイク賞と猛打賞を取ることができた。院試を捨ててスパイクの方を頑張ったので、何とか報われて良かった。

東京体育館で練習試合があった時の写真。4チームしかいなかったので完全に体育館の規模がオーバーキルだった。スパイクはめちゃくちゃ打ちづらかった。「東京体育館のセンターコートでバレーしたことある」というマウントを取れるようになった。

3部昇格の瞬間。この瞬間のために大学4年間バレーボールをやっていたと言っても過言ではない。3セット目最大6点差からの逆転勝ち。正直結構危なかった。5試合中3試合もフルセットをやって肉体的にも精神的にも疲れた。人生で初めて嬉し涙が出た。