先日の秋リーグをもって引退しました4年の川辺です。

すでに会報用に真面目な文章を2本書いたので、ブログの方はゆるーくのんびり書いていこうと思います。あ、でもあんまりのんびりし過ぎると催促されるのでやっぱり少しだけ集中して書きます。

近況ですが、引退してからは女子部の方で学生コーチをしています。変わらず週4駒場ですが、プレーヤー以外の形でバレーボールをするのは新鮮で、新たな発見もあったりと楽しく過ごせています。引退しましたがこうして現在も今後も、暫くはなんらかの形でバレーボールを続けていくつもりです。色々落ち着いたらクラブチームかなんか見つけて自身でプレーもしたいなぁとも思っています。

てなわけで自分はバレーボールを離れるわけでもなければ、駒場にも通うので後輩に会えなくなるわけでもなく、同期もなんだかんだみんな大学に残るので引退の寂しさは特別感じません。過去に先輩方が引退されていった時の方が寂しさレベルは上です。

とはいえ中学1年生から約10年間続けてきた学生バレーの終幕はやはり大きな節目と言えるでしょう。月並みな表現しか出てきませんが、非常に充実した日々を送ることができました。途中で辞めたいと思ったことがないのは何気に凄いことなんじゃないかと最近になって思います。そうたらしめた要因は、何よりも環境に恵まれたことだと思います。

同期に恵まれ、先輩後輩に恵まれ、ライバルに恵まれ、指導者に恵まれました。ブログの執筆にあたり、まずは、これまでの10年間でバレーボールを通じて自分と関わり、支えてくれた/くださった全ての方々に感謝の言葉を述べたいです。ありがとうございました!

さて、ここからは自分の4年間を雑に振り返ろうと思います。
まとまりのない文章になる気がするので読み飛ばしていただいても構いません。

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【1年の5月、川辺入部】

増田のブログを読んで思い出しましたが、僕も1年生の時一応一瞬だけ入部を迷いました。増田と同じく入学時特有のアレです。まあそれでもほとんど悩まずに入部を決めていた方だと思います。にも関わらず入部宣言最遅タイだったのは、GW遊びたかったからです。当時新歓担当だった河田先輩からの勧誘LINEを躱して旅行に行っていました。楽しかったです。

【1年の7月、双青戦】

初めて本戦の試合に出させてもらいました。試合前の昼休みに遊びでジャンプサーブを打っていたら、当時のコーチの田内さんに、「川辺ジャンサいくか!」と言われ、1セット目終盤にリリーフサーバーとして出場しました。フカしました。貴重なチャンスをいただいておきながら、準備不足と不甲斐ない結果に恥いるばかりです。それでもまた、後のセットで起用していただき、後衛で挽回の機会をいただけたこと、嬉しかったです。

【1年の8月、七大戦in福岡】

セッター対角でスタメン出場しました。この頃から割とコンスタントに試合に出させていただくようになります。下級生としてのびのびとプレーした結果、サーブの個人賞2位をいただきました。初戦2セット目、21-20でのタイムアウト中、常川先輩に「サーブ決めた本数で今日の晩飯が決まるぞ」と言われたので頑張りました。4ブレイク、最後は2連続エースで試合を決めました。その日は焼肉でした。

また、Data Volleyを活用した戦い方を初めて体験し、感動しました。自分たちの代やその前の代で、アナリストがいないなかでも簡単なデータをとってこのようなことをやっていこうという方針を取ったルーツは、個人的にはここにあったりします。

【1年の9月、秋リーグ】
入部してから初めてのリーグ戦。定期戦などとは違う緊張感があり、どの試合もあっという間に感じました。そのせいか、あんまり詳細なことを覚えていません。すいません。

このペースだと催促が来そうなので少しとばします。ひぃ。

【1年の11月〜、代替わり】

代替わりしてからは筋トレをしっかりやるようになります。コロナ明けは肩を少し痛めたりしたこともあって、この時期が4年間で一番自分の体の状態が良かったです。モチベに困ったことがほとんどない自分の中でも、特にモチベが高かった時期であり、火曜の夜練から帰った後とかに、寝る前に「なんで明日練習ないん」て思っていました。

【1年の3月〜2年の8月、活動停止】

新潟に帰っていました。

【2年の8月〜、活動再開】

体育館が新しくなりました。以前の仮設体育館は夏に室内の温度計で40度近くなっていたのを見たことがあります。こっちで半年ぶりの活動再開をしていたら干からびていたんじゃないかな。

この代は一番コロナに振り回されたと思います。特に代持ちだった先輩方は不完全燃焼だったと思いますが、最後に代替試合を行えて、勝って終えられて良かったです。

【3年、河田体制】

ほんの数ヶ月前まで一番下だったのに、気がついたらなんと上から数えた方が早くなっていました。
試合などのイベントがなかったこともあり、油断すると一瞬で時間だけが過ぎていくようなシーズンでしたが、長く一緒に試合に出てきた先輩や、ポジションを争った河田先輩とプレーできる最後の時間だったので自分なりに頑張りました。
それだけに秋季リーグで満足のいくプレーができなかったことや、チームとして勝つことができなかったことの悔しさも大きかったです。

【4年、川辺体制】

詳細は赤門会報の昨年度活動報告(前主将挨拶)にて代えさせていただきます。
断じて書くのが疲れたからとかではありません。

代持ちを経験してあらためて、試合があることのありがたさを感じました。
定期的に試合などのイベントがあるからこそメリハリをつけて練習をでき、チームを運営もしやすくなるのだと。いつ試合があるのかもわからず、無機質に時間が過ぎていくような状況で今年と同じようなチームにできたかというと無理だったと思います。

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こうして振り返ってみると、本当にあっという間で充実した4年間でした。
一方で、僕はよく「悩みとかなさそう」と言われますし実際あまり強く否定できませんが、それでも最後の1年間は特に、主将という立場でやっていく中で、無力感に苛まれたり、練習に行くのが億劫になったりすることが、少なくとも自分史上一番ありました。
いろんなことを考えなければいけないのもそうですが、それに加えていろんなことを考えてしまうんですよね。各部員のコンディションはどうか?モチベはどうか?メニューを考えるにしてもポジション、人によって偏りがないか?球出しがキツくないか?などなど考え出したらキリがないです。上手く手を抜いていかないとパンクするなと思いました。

しっかり苦悩しながらも、それでもやって来られたのはやはりモチベーションを絶やさなかったからです。大学の部活は、高校までの部活以上に、やらされるものではないので、モチベーション無しにやっていけないと思います。辞めていこうとする人にその理由が「モチベーションが無くなったから」と言われたら引き止める術を僕は知りません。

バレーが好きで楽しめて、
試合や練習でチームに貢献して、
大きな怪我や病気などもない。

上昇志向とか以前のモチベーションの源泉として自分は上の三つを考えます。
幸いにも、僕は上記の三つをほとんど欠かさずやってこられました。でも、これらはあって当たり前のものではないと思います。後輩たちにはこれらを維持、獲得するための努力を日々怠らないで欲しいなと思います。

後輩に伝えたいことはこれまでもいろんな場所で色々言ったのでここに書くことは他にそんな残っていません。
そして冒頭でも述べたとおり、あまりお別れ感もないので後輩同期はまたいつでもご飯行ったり、バレーしたりしましょう!