「男子部」カテゴリーアーカイブ

新歓ブログ⑤

新入生の皆さん、合格おめでとうございます。2年の島田です。この投稿では男子バレー部の1年間のおおまかなスケジュールについて説明させていただきます。

4〜5月   春季リーグ戦
6月下旬   双青戦
8月中旬   七大戦
10〜11月   秋季リーグ戦
2月下旬   東商戦
3月中旬   三大戦

<詳細>
春季・秋季リーグ戦
大学バレーボール連盟が主催する公式戦で、休日を使って1ヶ月にわたって行われます。関東の大学が9部に分けられ、それぞれの部でリーグ戦が行われます。私たち東大バレー部は現在4部に所属しており、3部への昇格を目標に練習しています。

双青戦
京都大学との定期戦で、今年は東大で開催されます。なぜ双青戦と呼ぶかというと両校のスクールカラーが青色だからです。本戦に加え、一年生が出場する新人戦もあります。

七大戦
東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、名古屋大学、大阪大学、北海道大学の七大学が総当たり戦を行うリーグ戦です。開催地は7つの都市で一年ごとに切り替わり、今年は名古屋で開催されます。約1週間開催地に滞在します。どの大学も応援に力が入っており、この中で一番盛り上がる大会です。1日目には新人戦のトーナメント戦があります。

東商戦
一橋大学との交流戦です。こちらも新人戦があります。

三大戦
東北大学、九州大学を東京にお呼びして、2日間にわたって行われます。初日が本戦と練習試合、二日目が新人戦と練習試合、という流れになっています。

ほとんどの試合で新人戦があるので1年生からでも試合に出て活躍できます。この他に、3月中旬に合宿があったり、12月上旬に赤門大会と呼ばれるOBとの試合があったりとイベントが盛りだくさんなのでお楽しみに!

新歓ブログ④

こんにちは。男子部新2年マネージャーの松田夏凜です!今回の新歓ブログではマネージャーの仕事について書かさせていただきます。

活動日は火木土日の週4日でマネージャーも週4日参加します。

平日の流れを簡単に紹介します。

17:00-17:30

マネージャーは練習開始の約20分前に集まり、準備を始めます。ボールの準備、メニューの書き出しなどを行なっています。最近は17:30~練習開始のため17:00くらいに体育館に行きます。

17:30-20:30

練習中はボール出しの補助、ボールアップ、タイムキーパー、ドリンク補充などをしています。

20:30-21:00

片付け。21:00ギリギリまで練習することがあるため、素早く荷物をまとめて練習終了時に倉庫に入れるだけの状態まで荷物をまとめることが理想です。

21:00

ミーティングが終わり次第帰宅。

試合では、スコア付け、データ収集などを行っています。

バレーボール未経験、マネージャー未経験でもやる気次第でどうにかなります!サークルと違って部活は忙しいですが、その分やりがいはあります!!

部活やマネージャーに興味がある方はぜひ一度見学にいらしてください!お待ちしております!!

新歓ブログ③

練習場所 東大駒場キャンパス第2体育館
曜日   火・木(17:00〜21:00)、土(8:30〜12:00)、日(9:00〜13:00)

はじめまして、東大バレー部2年の平崎 健治です。僕からは普段の練習について話そうと思います。

東大では練習は週に4日、1日4時間の練習を行なっています。これは強度を維持しながらもキャンパスライフも楽しめる良い塩梅の頻度だと個人的には感じています。後述しますがもっと練習がしたいという人は部活後や部活のない日に駒場にあるジムで筋トレをすることもできるので安心です。
練習においてはバレー部定番のメニューから、チームの目標に合わせたメニューなど幅広く行なっており、存分に技術の向上に励むことができます。練習前に対人のペアで目標を話し合い練習後にその反省をすることで、毎回の練習に明確な目標を持って意識高く取り組めるようになっているのに僕は感動した覚えがあります。最近はチーム内でのコミュニケーションのさらなる活発化を目指しており、上下級生の垣根を超えてアドバイスをしあってチーム全体のレベルアップを図っています。
大学バレーにおいてはフィジカルの重要性もぐんと増すのですが、バレー部はトレーニングにも力を入れています。活動場所の第二体育館2階に設置されたジムを利用でき、週二回の筋トレがノルマとして課されています。その甲斐あってかバレー部では素晴らしい大胸筋を目にすることもできます。
本気でバレーをするためにはこの上ない環境がバレー部にはあります。ぜひとも一度練習にいらしてみてください。

新歓ブログ②

こんにちは。
今年度から東大男子バレー部二年生になります甲斐大智です。遥々宮崎から上京してきた身として、一人暮らしと部活の両立について書いていこうと思います。一人暮らしをしている新入生のみなさんに、部活をしつつ、一人暮らしをするという楽しさが伝わったら嬉しいです。

さて、一人暮らしをするとなると、洗濯や片付け、準備など圧倒的に1人でやらなければいけないことが増えます。加えて、部活をするとなると、さらに洗濯物も増えたり、時間管理が大変になったりするかもしれません。でも大丈夫です。なんやかんや慣れますし、僕の周りの同期や先輩は、みんなそれぞれ工夫しながら楽しく一人暮らしできています。そして、みんなそれぞれ趣味や勉強にも勤しみ、一人暮らしの醍醐味である「自由」を謳歌している人が多いです!しかも、部活をして朝早く起きる習慣もつけば、より一層いろんなことに精を出して取り組むことができると思います!

そして、東大バレー部には、練習後9時ごろに先輩後輩混ざり合ってご飯を食べに行くという伝統があります。もちろん、新入生には先輩が毎回ご飯を奢ってくれます!そのおかげで、ご飯代が高くなってしまうこともありませんし、何よりもチームメイトと仲良くなることができます。東大バレー部の仲は、このご飯の時間によって醸成されていると言っても過言ではありません。新入生のみなさんも、遠慮せず美味しい料理を奢ってもらって筋肉つけましょう!

一人暮らしをしながら部活にも励めば、より一層世界も広がると思います。不安に思うこともあると思いますが、このバレー部で同じ時間を過ごして楽しくバレーに打ち込みましょう!このブログを読んで少しでも興味を持ってくれた方はぜひ練習を見に来て見てください!そして一緒にご飯も食べましょう! 最後まで読んでいただきありがとうございました。

新歓ブログ①

はじめましてこんにちは、男子バレーボール部新2年生の大日向勇人です。
今回の新歓ブログでは入部までの流れや必要な手続きについて説明させていただきます。2024年4月現在、新学期が始まって間もない東大では、バレー部に限らず運動会の部活の多くが新入生歓迎行事の真っただ中です。バレー部では、サークルオリエンテーションでの新入生への口頭説明会やその後の新入生歓迎練習会などを通して、現役部員と新入生が交流する機会を豊富に設けています。その後、練習の体験が原則としてGW期間中まで受け付けられており、通常であれば何回か体験として参加した後、入部をするという流れになります。そして本格的に入部を決心していただけた場合は、帰りのミーティングの際に部員に入部意思を宣言してもらえれば、晴れて正式に東大バレー部の仲間入りとなります。
以上が新入生の一般的な入部までの流れになります。しかし、部員の中には入部時期がイレギュラーなケースもありますので、一つ具体的な事例をご紹介しておきたいと思います。何を隠そう、この文章を書いている本人こそが2年生になる前の春休みに入部を決心したレアケースなのです。私の場合は諸事情により1年生の間はほぼ毎日アルバイトをする必要があり、進学振り分け制度の影響で学業も忙しかった都合上、部活動に割く時間的・金銭的余裕がありませんでした。そんな中で、体育の授業でバレー部のH君と偶然知り合い、バレー部の熱心な活動内容や部員の皆さんの人柄を知っていくにつれて、東大バレー部に強く惹かれるようになりました。その後生活に余裕が生まれ始めた春休みのタイミングを見計らって、何度か練習に参加させていただいてから、改めて入部する運びとなりました。入部してからというもの、部員の皆さんが新参者の自分にも温かく、学年の垣根無く接してくださったおかげで、入部前よりはるかに充実した学生生活を送ることができており、関係者の皆様には大変感謝しております。
このように新歓期間に限らず、バレー部ではプレーヤーやマネージャー(マネージャーのみ他大学の方も可)ともに入部を歓迎しています。TwitterやInstagramといったSNSで、最新の情報発信や練習の見学・参加受付を行っていますので、希望される方は当部のSNSまでお気軽にご連絡ください。
以上で今回の新歓ブログを終わりとさせていただきます。長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。我々バレー部一同は、高い意識をもってバレーボールをともに楽しめる仲間たちを心よりお待ちしております。

引退しました(徳永)

お久しぶりです。前年度主将を務めました徳永です。

引退してから約4週間が経過しましたが、すっかり部活がない生活になりました。いまは引退して一区切りということもあり、これからの人生がとても楽しみです。

3年もの間、生活の軸になっていたバレーボールですが、終わると意外と気持ちは離れるものですね。大事にしていたものから簡単に気持ちを切り替えられるというのは、今や未来を向くという意味では人間の素晴らしい能力であると思います。同時に、簡単に手放せてしまうという意味では人間の残念な点でもあるなと、悲しくも感じます。

引退してからは運動する機会が減ってしまいました。普通に寂しいですね。運動は健康な生活を送っていく上でやはり大事でしょう。少し間が空いたら、柔道でもしようと思います。柔道の体型になってしまったら、赤門倶楽部の大会では使い物にならないかもしれませんが、2個上の先輩方と同期で余るほどのミドルがいるので大丈夫でしょう。

さて、連日更新されている引退ブログですが、後半になるほど書きやすいなと思いますね。分量も、内容も、他の人が書いたモノに合わせられるのですから。

途中まで同期のブログは短くまとまっていました。いい流れでした。実は僕自身もあまりしっかりと書く気は無かったのです。短く軽く書こうと思っていました。

ところがどっこい、昨日更新された我らが副将のブログがなんと6000字にもわたる大作でした。困りましたね。内容が良かったので許容しますが。。はぁ。

間をとってほどほどに書こうと思います。

では、暫しお付き合いください。

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振り返って見ると、バレー部は僕にとっての大きな居場所でした。

バレー部に入部した理由は『部活』という環境が好きだったからです。部活くらい深い人間関係を形成できるコミュニティってあまり無いと思います。

一緒にいる時間が長いこと、そして、共通の目標を目指すこと。これが部活における人間関係を良いものに仕立て上げているのではと強く感じます。

そんなわけで、当時の自粛型生活によって溜まっていたバレー欲にもつられたこともあり、見学もせずにバレー部に入部をしました。ちなみに悩んだのはレスリング部と柔道部です。

逆に言うとそれ以外の理由はあまりなかったですね。他に圧倒的にしたいスポーツもなかったですし、大学の外に気持ちを注ぎたいと思えるものもなかったです。

さて、そんな感じで見学もせずに入ったバレー部でしたが、入って見たらとても心地よい環境でした。

右も左もわからない1年生を、当時の主将はじめ先輩方がすごく気にかけてくださっていたように思います。

2年生の時もコーチや先輩方にも大切にされ、下級生として良い期間を過ごせました。楽しかったです。麻雀も教わりました。

先輩方に大切にしていただいたと思いますし、僕がこの部活を好きになる礎をくださりました。本当にありがとうございます。

そして、この時期に生まれた「この部活が好きである」という気持ちと「この部活をもっと良くしたい」という気持ちが、後々、主将を務める中での大きな原動力となりました。

そして、この時期に入った同期のみんなにも感謝です。(後からの入部ですが、もちろんミネヤも。笑)

コロナで見学もできなかったり、普通の大学生活が送れていない中で入った学年でしたが、当初は9人も入りました。少し曲者が揃ったように思いますが。。

下級生の頃になかなかモチベーションを保つことが難しいメンバーもいたと思うけど、ほんとうに長く続けてくれて嬉しいです。

2,3年生になるにつれ後輩も入ってきました。彼らは皆、バレーボールに対して熱心であり、バレーボールが上手でした。

そして、何かしらの点において素直さや誠実さ、人としての軸を持っていました。

そんな彼らとなら良いチームを作って、勝っていけると思っていました。

本当に多くの時間ともにバレーボールをし、部活以外でも多くの時間を共にしました。

良い時間を過ごさせてもらいました。ありがとう。

そして、最終学年では主将を務めました。僕のプレーレベルとバレーの知見で主将をするというのは、チャレンジングなことでした。

ただ、下級生の頃に醸成された「この部活をもっと良くしたい」という思いを軸に取り組みました。(1年間で良くなったかは分からないですが、色んな変化は起きました。)

さて、結果はというと、皆さんご存知の通り、なかなか勝ち星が挙げられない1年間になりました。

勝てるメンバーだと思っていましたし、今でもそう思います。

しかし、1年間負け続きの結果になっていましました。

結果を重視する派の人

過程を重視する派の人

どちらも大事なのは前提として、僕の好みは過程派です。かなりの過程派です。内容の悪いトップより内容の良いラスです。

そんな僕ですが、この1年間に関しては、やはりどこかで結果として、日々の取り組みが反映されるような、勝ちを作りたかったです。

申し訳ないですね。そして、そんな中、皆、部活動に精を出して取り組んでくれて、ありがたいです。

主将を務めた1年間で思ったことは多くありますが、申し訳なさと、感謝。ほんとうにこの2つに尽きます。

そして、後輩には、勝って良い時間を過ごして欲しいなと、とても思います。

それぞれの代持ちの1年が良いものになるように、切に願っています。

ほんとうに、善く過ごして欲しいなと思います。

さて、こうやってバレー部生活を振り返りましたが、自分としては率直に、入ってとてもラッキーだったなと思います。

さらに、少し嫌な話かもしれませんが、後から振り返ったときに、「〇〇で良かった」と思うのって、僕は結構当たり前の話だと思います。人間そういうようにできていると思います。(そう思えていることが幸せなのかもしれないですが。)

なので、それが本当に良かったのかと、真摯に向き合う姿勢をどこかで持つことが大事なのだと考えます。

その考えのもと、自分の気持ちを割り引いて客観的に見ても、この部活に入ったことはそれなりに幸運だったと感じます。良いことですね。それだけで十分です。

最高に幸運だったかは、今後の人生が決めることな気がします。

さて、バレー部での3年間、特に主将を務めた時期を振り返り、足りなかったものは多くあります。

基本的に自身の中で完結するものですし、決して多くの人の参考になるとは思っていませんしが、特筆すべき2つを書くことにします。

もしも参考になる人がいたら、読んで欲しい、くらいです。

(正直、書かなくてもよかったのですが、僕が思う”ほどほど”の字数に到達していなかったので。。。)

1つはバレーを追求する心と技術です。

バレー部に入る人はその時点である程度バレーボールが好きで、上手くなりたいと思っているはずです。

ですが、やはりそれにはいくらでも上がいます。

どれくらいバレーが好きか、どれくらい自分のバレーボールを追求できるか、はバレーの成長やバレー部にいることへの充実度にも繋がってきます。

高校から始めた僕ですが、この部分で中学から始めている上手な後輩との差を感じます。そして、彼らはバレーボールを根本的に好きであり、バレーを追求することも上手だとも思います。

やはりバレーが上手な人には、バレーをうまくなるための、心や考え方のOSが一定備わっているように見えます。

東大バレー部において、バレーに対する意識や好き度が異なるレベルが入ってくるのは当たり前だと思いますし、それが低いからといって決して悪いことだと思いません。

ただその前提のもと、(特に境遇が似ているような後輩達には、)学年が上がるにつれバレーを好きになれるように、そしてバレーを好きになることすらも、上手くなっていくように工夫していって欲しいなと思います。

もう1つは『信じる』ことです。

信じるというのは、実に深い概念だなと、最近つくづく感じます。

「どれだけチームメンバーを信じられていたか?」

「自分が打ち出す方針をどれだけ信じていたか?」

「自分達が勝つことをどれだけ信じていたか?」

という問いはどこまでいっても際限ないですし、これらのいずれも、もっといい形で持てればよかったと思います。

特にメンバーを信じるというところをもっと突き詰めたかったですね。

今後何かしらの壁にぶつかったり、あるいは悩むことがある人もいるかもしれません。

その時に、チームメイトなのか、自分自身のポテンシャルなのか、はたまた別のものなのか。

何かはわかりませんし、それは人によって違うと思いますが。時には何かを思い切って信じてみて欲しいなと思います。

信じるというのは、人間に与えられたかなりすごい力の1つですし、人は必ず常々何かしらを信じながら生きています。

(そして、その人が信じているものこそが、その人の性格や考え方に大いに出ているのだろうなと、言い換えればその人の根本なのではないかとも思っています。)

形は人それぞれですが、何かを信じることで開けるものがあるのではと、そう思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

なんとかトリを飾れるくらいのボリュームにはなったのかなと思います。

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最後になりますが…

仏教には縁起という概念があります。

(深く理解しているわけではないですが、)全てのものは他との関係によって成り立っているというその思想は、22歳の自分には真に見えます。

大学の大半を過ごした東大バレーボール部。その中で出会った多くの方々。

やはり僕は、バレーを通じて関わってくださった皆さんとの『縁』の中に生かされています。

そのことを再認識し、そして大きな感謝を持って本ブログを終えたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

20231125

引退しました(佐藤)

引退ブログ(2023.11/23

お久しぶりです。先日、男子部を引退しました、佐藤です。

初冬の風物詩とも言える引退ブログラッシュも気付けば終盤ですね。

ChatGPTを巧みに操ってくる同期のブログに見劣りしないように、質より量で書きました

の近況と言うと、ヘルニアのせいで文字通り重たくなってしまった腰を上げ、ほぼ手付かずであった卒論に追いかけられる日々を過ごしています。デスクワークが増えたので、相変わらず腰痛とのお付き合いです。齢22にして、腰痛と共に末永く生きていく覚悟ができている僕は、果たして生物として弱いのか、強いのか。なんて考えてしまう日が、ないではない訳ではないです。

てな感じで、この度は卒論を書く筆を一度休めて、引退ブログを執筆させて頂きます。

大方の予想通り長々としたブログになりましたが、最後まで読んで頂けますと幸いです。

まず初めに、感謝の挨拶からさせてください。

これまで4年間活動を支えてくださったOB・OGの皆様、ならびに監督・コーチの先輩方。

また東大バレー部で共に時間を過ごした先輩方、後輩たち。そして何より同期のみんな。

皆様に支えられて、東大バレー部で本当に充実した4年間を過ごすことができました。

から、感謝申し上げます。

心から感謝を申し上げた後に言うのもなんですが、僕の東大バレー部人生は、

コロナに始まり、コロナを挟んで、ヘルニアに終わる4年間でした。

言っても、決して退屈な4年間ではなく実際のところは、結構楽しかったです

コロナもヘルニアも経験して、なんなら主務(七大戦の主管付)も会計も、オマケの運動会総務部も感染症対策委員会も、部活外の仕事もかなりハードでしたが、それでも楽しかった言えてしまう自分がいます。不思議なものですね。いま僕がこう思えているのは、素敵な仲間に恵まれたからです。

僕と出会ってくれたみなさん、ありがとうございます。

さて、前置きはそこそこにして、僕のブログは部構成でまとめさせて頂きます。

長々と書きたいことを書き連ねることになりますがぜひ最後までゆるりとお付き合いください。

【第一部】佐藤陽の東大バレー部の思い出ベスト3!

まずはポップに書き始めようってことで、思い出の発表でもしてみます

第3位 「3年生時の秋リーグの一橋戦」

この試合は、同じセッターの能丸大先輩が、途中出場から大活躍した試合です。試合のか月前くらいに「最後の悪あがきしてるわ」とか唐突に言い出して、練習自主練して、最後の秋リーグで本当に出番が来て、先輩やでって見せつけてくる感じ。こんな事言いたくないですが、流石にかっこよかったです。ポンコツキャラな節があります(しかないです)が、本当に熱心でお世話になった先輩だったので、普通に嬉しすぎて泣きました。バレーの試合見て、二段トス泣くなんてこと、今後一切ないと思いますたくさんのエネルギーを貰いました。まあ素敵な思い出ですね。

この場を借りて、能丸さん、4年間本当にありがとうございました。

第2位 「最後の順位決定戦

最後の年はヘルニアとの闘いでした。引退試合の順位決定戦に出場することも、半ば諦めかけている時期もありました。それだけに、最後の秋リーグの順位決定戦で、1セット分コートに立つことができて、満足なプレーはいかずともユニフォームを着てトスを上げることができて、率直にとても嬉しかったです。同期のみんなと、やっと最後に同じコートに立てたのも嬉しかったです。3セット目の終盤も、これ以上ないお膳立ての状況を貰って、セッター後輩かじけんと我らがキャプテンにトスを上げることができて、自分にもこんな大役が回ってくるのかと感慨深いです。最後にトスを上げるのが、2人で良かったです結構まじめに。応援してくれたみんなも含めて、最後に最高の機会をありがとう。

第1位 「東大主管の七大戦

4年生時の七大戦は、ヘルニアでプレーができない自分にできる事は何かという自分が向き合ってきた問いの答え合わせの時間でした「呼応」などというテーマを自分の中に掲げてプレーはできなくても、自分の行動と態度と言葉で、少しでもチームのみんな支えになって、背中を押してやろうと、そんな信念で臨みました。準備の時期は、精神的にきついタイミングも何度かありました。七大戦の準備に追われる最中でも、就活やら院試やら自分の将来も考えなければならなかったり、バレーボールができないという現実と向き合ったり、本番の直前期には同じセッターの同期が1人辞めてしまったりと、なかなかに多難な日々でした。大会期間中に激デカ台風が来る予報に愕然としたのも、今となっては良い思い出です(笑)本番の5日間もかなり過酷で、みんなしんどい中、本当によく頑張ってくれたと思います。本当にありがとう。

七大戦を通して感じたのは、チームっていいなってことでした

まず、七大戦の主管運営にあたって尽力してくれたみんな、本当にありがとう僕の引退ブログなんぞ読んでくれているかわかりませんが、女子部のみなさんも、本当にありがとうございます。差し入れをしてくれたみなさんも、ありがとうございます。本当にいくらでも、ありがとう」が出てきます。言うなれば、この世に何種類か存在する感謝の内の1、「止め処ない感謝」です。みに淀みもないです。

このチームで良かったと、心から思える七大戦だったからこそ、試合に負けてしまったのは悔しかったです。いっぱい泣きました。慰めてくれた左利きコンビ、この場を借りて、一応謝罪しておきますごめんなさい。

来年は勝とう。再来年もその次も。絶対に応援に行きます。

それから、決して自慢ではないですが、

七大戦の期間中も終わってからも、僕には勿体ないくらい温かい言葉をたくさん頂きました。

恩返ししたい

「陽さんの分もかましてきます

「佐藤さんがいてくれて良かった」

陽さんから元気貰ってました

陽さんのおかげですね

陽さんみたいになりたいと思った

他にもたくさん、ありがとうございます。

今も思い出して全然泣けそうです。光栄です

色々思い返すと、本当によき仲間に恵まれて自分は幸せだなと感じます。入部したての頃は、「東京大学バレーボール部」とチームメイトに対して、ここまでの愛着を抱くようになるとは、想像していませんでした。それに、部員のみんなからこんなに温かい言葉の数々を貰えるとも、思っていませんでした。

バレー部に入って良かったと、今は心から思います。危うく、アカペラサークルでボイパを極める道を選ぶところでした

「このチームが好き」「このチームで良かった」と思える感覚って、心地よいものです。後輩のみんなも、せっかくバレーボール部で頑張っているのだから、最低でも3回くらい、「このチームで良かった」と心から言える経験をして欲しいなと、思っています。これは単なる僕の願望なので、初詣に行ったら絵馬にでも書いておきます

本当にたくさんの良い思い出をありがとうございました!!!

【第二部】佐藤陽:オリジン

みなさんは、どんな時にバレーボール好きだな!って気持ちになりますか

この10年間のバレー人生で、自分が一番バレーボールを心から好きだと思った瞬間は、自分のトスを打って決めて貰う快感を覚えた時でした。自分でスパイクを決めるよりも何倍か嬉しかったその瞬間に、「チームスポーツ」としてのバレーボールに目覚めたと思います。

そう。バレーボールは「チームスポーツ」です。

「チーム」という視点を欠いた状態で強いバレーボールはできないと思います。

「チーム」として洗練されていくことを目指すのが、チームスポーツだと思います。

じゃあ、この「チーム」って、何ですか?

チームのためにできることをしましょう

部活に入っていたら、一度は耳にしそうな言葉です僕も使ったことがあります。

でも時折、この言葉の言う「チーム」恐ろしさを感じる時があります。

それは、この言葉の言う「チーム」自分の考えている「チーム」と違うかもって感じる時です。

この言葉が使われる時、そこで言う「チーム」の意味付けはつまるところ、この言葉の使い手の解釈に依存しています。だからこそ使い手側は、それが「(使い手が頭の中に描いたチームの話であることに十分注意を払う必要があると思います肝心なのは、それぞれがそれぞれの中に、独自の「チーム」観を持っているという事実に自覚的になることでしょう「チームのため」を過剰に強調し、全体主義的な方向に導こうとすることは、今の時代だとチームハラスメント」だとか言われてしまう気がします。

とは言ったものの僕はチームの一体感とか大切だと思っている部類の人間です。

コートの中だけでなく、ベンチにいる人も、ギャラリーにいる人も、目の前のバレーボールにのめり込んで、応援まで含めて全員で闘えるチームが好きです。ただ、その手の一体感を作る方法は「チームのために」と連呼する以外にも、たくさんあるような気がします。例えば、仲間チームに対する愛着があればその愛着を自分の行動のモチベーションに変えることができると思います反対に、チームメイトに対して愛着湧かない関係性のチームでは、いくら「チームのため」と叫んでも誰も動かないと思います少なくとも、東大バレー部での最後の一年間、ヘルニアで満足にプレーができない僕の原動力は、チームと仲間に対する大きな愛着みんなが僕にくれるこれまた大きな愛着した

「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」

この「みんな」は、“Allではなく、Everyone”だと思います。

チームという全体をなす一人ひとりが、自分まで含めた“Everyone”を大切にしましょう

そういう意味の言葉な気がします。

改めて。やはり、バレーボールは、「チームスポーツ」です

僕がこの10年間バレーボールを通じて追いかけてきたのは、ボールではなく

本当は、ボールの先に転がっている仲間と熱くなれる瞬間とかだったような気がします

最後にもう一度。

みなさんは、どんな時にバレーボール好きだ!と思うでしょうか?

僕はやっぱり、自分のトスを決めて貰う瞬間です。ありがとう!と言って、「ナイストス!」と言われて、ハイタッチする時が一番好きです。でもこの経験は、チームがあって仲間がいてこそのものです。

チームがあって、仲間がいる。だからバレーボールは楽しい。

この世のスポーツで一番楽しいバレーボールと、

それを共に楽しめる仲間との出会いに、マジで感謝。

拝啓読者の皆様。イナイレ見てください。)

【第三部】後輩たちへ

新チームが始まって、まもなく1か月が過ぎようとしています。元気に頑張っていますか?

全員のびのびバレーボールを楽しめていたら、それが僕にとっては一番の吉報です。

みんなにとってこれからの1年間は、3部昇格と3部で勝つことが目標の1つなると思います。

そして、それが一筋縄ではいかない目標であることは、この1年間で痛感したと思います。

このことを踏まえて、みんなはこれから今よりも「強なる必要があります。

ここで僕がしたいのは、その「強さ」の意味をよく考えてほしいというです。

例えば、バレーの技術至上主義的な価値観で、チームは「強く」なるのか。

もちろん、バレーの技術面の強さは、試合の勝敗に最も直結するろう部分です

でも僕のこの10年間の経験、技術の差がひっくり返る試合は少なからず存在しています。

負けた理由を技術不足のせいにするのは簡単です。でもバレーボールの試合には、技術以外の要因も大なり小なり絡んでいると思います。特に、お互いのチームの技術レベルが拮抗している試合、技術以外の要因が勝敗を決定付けていると思います。では、その要因とは何なのか。「強く」なろうとしていく、みんななりに考えてみてほしいです。

一方で、技術が向上することは、「強く」なる上での前提条件ではあると思います

チーム内の技術の向上を、どのように実現していくか。これもまた多角的に考える必要があります。

練習を工夫すること、選手間でフィードバックし合う関係性を作ること、やれることはたくさんありますここで僕が大切だなと感じるのは、「好きこそものの上手なれ」という先人の教訓です楽しいと思えている時期だから上手くなるのか、上手くなっている時期だから楽しいのか。それは僕にもよくわかりません。でも仮に前者だとするならば、みんながバレーボールを楽しいと思えるような空気をチーム内でっていくことは、それなりの意味があると思います。ムードメーカーや精神的支柱と呼ばれる存在がその価値を認められているのは、こうした空気作りに長けているからなのでしょう。

きっと「強さ」にも色んな種類があってひとりひとりの「強さ」にちゃんと価値があります。

反対に、ひとりひとりが、それぞれに異なる種類の弱さを抱えています

特定の種類の「強さ」だけを絶対視し、特定の種類の「弱さ」だけを責め立てるチームには、あんまりなって欲しくありません。それぞれの「強さ」も「弱さ」も平等に理解して、平等に責めて、平等に尊重して、補い合える。ひとりひとりがこういうことを自然とできるチームが、僕は好きです。

ここに書いたのは、僕が思い描く理想のチーム像①の話です。

しかながら「今の時代を作れるのは今を生きている人間だけだよ」と、かの冥王レイリーも仰っていました。この言葉の通り、これからのチームを作っていくのは、他の誰でもなく、これから東大バレー部で過ごしていくみんなです。みんななりに考えて、時に柔軟に、時にこだわって、みんならしいチームを作ってください。

これから悩むことも少なからずあると思います

頑張っても結果が出なかったり、結果が出てもそれに気付いて貰えなかったり

チームに不満が湧いたり、部活の外に悩みが多すぎてバレーに集中し切れなかったり。

しんどい時は、自分を大切にすること。そして仲間を頼ること。

僕が見てきた限り、後輩たちは、仲間に頼るのが下手くそなやつばっかりですついでに、自分を大切にするのが下手くそなやつもちらほらいます。その辺は仲間を信じて、支え合って頑張ってください。

それから一日一日を大切にすること。

月並みな話ですが、最後の一年は特にこれを実感しました。

今日できなかった何かを、明日になって後悔することがないように

あっという間に過ぎてしまう日々の中で、継続と挑戦を欠かすことがないように頑張ってください。

普段ふざけすぎている反動で、お堅い長文になってしまいました。すいません。

試合はぜったいに見に行きます。勝とう。それから、今後とも仲良くしてください。

みんなのバレー部ライフが、より充実した楽しいものになることを祈っています。以上。

【おわりに】

気付けば、このブログも6,000字を越えました。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

書きたいことが多すぎて、なかなかコンパクトにできませんでしたが長々と文章を書くのは結構得意なので、今後はこの長所を論文の執筆にも生かしていこうと思います。

結びの挨拶として、最後に同期への言葉を添えておきます。

「同期」とは言いつつ、入るタイミングもバラバラで、出入りも多くて、同じコートにみんなで入る機会もほとんどなかったですね。4年間も一緒に居ながら、同期全員揃っている思い出がほとんどない、というか皆無なのが、少し寂しいような、自分たちらしいなと感じるような、そんな感じです。

「仲が良い」と大きい声で言えるような代ではないですが、みんなと同期なことが、凄くしっくりきています。

みんなと同期で良かったです。ありがとう。

後輩たちの試合、一緒に見に行きましょう。ぜったいに。

後輩たちの試合、一緒に見に行きましょう。ぜったいに。
東大バレー部、4年間ありがとう。
#10 佐藤 陽

引退しました(三田)

男子部マネージャーの三田晴花です。

このブログを開いて頂き、ありがとうございます。

私は、先月の秋リーグをもって引退しました。最近は、四六時中考えていた部活のことを考えなくて良くなり、解放された気分もありますが、寂しさも感じています。

この4年間を振り返って、とても充実した時間を過ごすことができたなと思っています。

東大男子バレー部は、選手たちが主体的に考えることができ、自分以外の人に気を配って活動することができるチームだと思います。ただ、そんなチームだからこそ、マネージャーがいなくても練習ができてしまいます。自分の存在価値って何だろうと考えたり、考えなかったり。みんなの為に何ができたかと聞かれると困ってしまいますが、自分なりに楽しく真剣に部活に取り組むことができてよかったです。

最後に、この場を借りて部活を通して関わった皆様に感謝申し上げます。

OB・OGの皆様、不自由なく部活動をできる環境を与えてくださりありがとうございました。応援に来た際に、私にも声をかけてくださる方がいて本当に嬉しかったです。

監督、コーチ、同期、先輩方、後輩達、皆さんが私を東大バレー部の仲間に入れてくれました。迷惑をかけることも多々ありましたが、本当ありがとうございました。

そして、部活に入ることを咎めず、応援し、支えてくれた親にも感謝の気持ちでいっぱいです。

改めて、東大バレー部を選んでよかったなと思っています。

4年間本当にお世話になりました。同期との写真で終わりにしたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

マネージャー 三田

引退しました(大井)

こんにちは、先日引退しました、大井です。

 

引退から数週間が経ち、部活に注いでいた時間は卒業論文のために使われています。卒業論文のテーマはずばり、「土砂災害と大規模言語モデル」です。大規模言語モデルとは、言語を単語の出現確率をもとにモデル化したもので、世界を席巻するChatGPTもその1つです。大規模言語モデルは多種多様なタスクに適用できることが期待されています。本題から逸れてしまうので、説明はここまでにします。卒論頑張ります。

 

さて、引退ブログを書くように言われましたが、引退ブログでは何を書けばいいのでしょうか?何も思いつかないので、研究でもお世話になるChatGPTに構成を考えてもらいました。

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タイトル: 「青春の彩り、部活動引退の日」

1. 序章: さよならの時が来ました

2. 第一章: 部活動との出会い

3. 第二章: 成長と挑戦

4. 第三章: 仲間たちとの絆

5. 第四章: 感謝の言葉

6. 第五章: これからの未来へ

7. エピローグ: 青春の贈り物

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なかなか良い構成ですね(笑)。大作の予感がします。でも、他にも色々作ってもらいましたが、どれもしっくり来なかったので自分で書くことにします。人間の意地を見せます。普段文章を書くことはあまりないので、冗長な文章になっていると思いますが、伸び代を感じながらお読みください。

 

僕のバレー部生活を振り返ると、人と大きく異なるところがあります。それは在籍期間が短いということです。僕は3年生になった時に入部しました。その上半年間留学もしていたので、実際に活動した時間はより短くなってしまいますね。それでもバレー部に入ってよかったと思っていますし、とても満足しています。正直なことを言うと、1年生のうちから入っていれば、現在とは違うことも多かっただろうな、と思うこともあります。でも「まだまだ続けたい!」と思いながら引退できることは幸せなことなのかもしれません。

 

僕が入部するまで何をしていたかというと、別の部活に入っていました。大学に入学した時、「サークルはチャラチャラした人しかいない」(完全に偏見です。)と思っていたので運動部に入部しました。コロナで半年間は大学に来られませんでしたが、少し落ち着いた1年生の秋に入部しました。それでもコロナ禍の真っ只中です。緊急事態宣言などで練習が断続的になり、もういいや、となってしまい2年生の夏に退部することにしました。それからはぼちぼち大学生活を送っていましたが、まだまだスポーツをしたいなと思ったので3年生になってバレー部に入りました。

 

バレー部に入るのはとても勇気のいることでした。続けられる自信はあまりありませんでしたが、やってみないと分からないなと思い入部しました。始めはとても楽しかった…訳ではありませんが、元々バレーが好きですし、話してくれる友達もいたので何とか続けられました。そんなこんなで留学の日が来ました。3年生の冬のことです。

 

留学先でもバレーは続けました。同じ大学のバレー部ですが、留学先と東大とでは中身は全く違います。まず、練習が週2回しかありません。週末はよく試合があったので実質週3や週4になることもありましたが、1回の練習時間は2時間です。東大は週4で1回4時間なので、練習時間に大きな差があります。レベルは東大のほうが高く、東大では見向きもされないようなプレーでも、留学先では周りの人に褒められます。そのせいか留学先の部活はとても楽しかったです。一方、留学先の部活に慣れれば慣れるほど、東大に戻ったときは練習についていけるかが不安でした。

 

4年生の夏、一抹の不安を抱えながら帰ってきましたが、すぐにそれは杞憂だったと分かります。自分の中で、留学に行く前と後とで明確に変わったことがあります。それは、みんなとよく話すようになったことです。海外の風に吹かれて性格が明るくなったのか、日本語で伝えたいことが100%伝えられる嬉しさからなのか、原因はよくわかりませんが、とにかく人と話すようになりました。

 

人と話してみると、それぞれの部活に対する思いを知ることができます。バレーが好きで、理想のプレーのために努力をしている。そんな部員たちの真摯な姿を見ると応援したくなりますし、何より自分も負けていられないなと思います。気づけば週4の練習にも楽しく参加していました。オフになった日でも自由参加の練習に参加している自分には驚きました。1年前では考えられません。こんな風に愛と勇気をもらっている間に気がつけば引退の時期になってしまいました。素晴らしい部員たちと出会い、一緒にバレーができたことは一生の財産です。

 

最後になってしまいましたが、お世話になった方々への感謝の言葉で締めさせていただきます。一緒にバレーをしてくれたバレー部のみなさん、活動を支援してくださるOBOGの皆様、見守ってくれた家族や友人、本当にありがとうございました。おかげさまで素晴らしい大学生活となりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

大井

引退しました(飯高)

こんにちは。

先日の秋リーグで引退しました4年生の飯高です。

最近はすっかり寒くなり布団から出るのがしんどい季節になってきたなぁと感じています。引退前は部活にあてていた時間でやりたいと考えていたことがたくさんあったと思うのですが、実際のところは研究室にいる時間が少し伸びたといった感じです。まぁそんな気は少なからずしていました。理系の宿命といったところでしょう。

引退ブログということですので、とにかくダラダラと思い出を振り返っていきたいと思います。読んでやってもいいという方はお付き合いください。

・1年10月

入部しました。僕たちの代が入学した年はちょうど某感染症の影響で授業や課外活動の制限がされており、夏ごろまで部活やサークルの活動はできていませんでした。バレー自体高校からなんとなくで始めたものだったので大学で部活に入ってまでバレーをするつもりは入学当初の僕には全くといっていいほどありませんでした。しかしながら、自粛生活を送っているうちに運動したいという欲が高まりに高まり、サークルもいくつか見学に行きましたが、迷った結果、安定して活動もでき、先に入部して部活の様子を報告してくれた後の同期の誘いもあって部活への入部を決めました。感染症がなければ部活には入っていなかったでしょう。そういう意味ではラッキーでしたね。

・1年11月〜

明本さんたちが引退され、河田さんの代になりました。頑張る気はすごくありましたが年明けすぐの練習から自粛期間に突入し、またバレーができない時期が続きました。

・2年4月〜

ほとんど1年としてバレーをしないまま2年になりました。この頃は活動も再開したばかりで、ゲーム練なんかは特に楽しかったです。新入生もたくさん入部してくれて安泰だなぁと思っていました。が、その1年生たちがちょっと上手すぎましたね。もはや感心していました。上手い後輩たちがとてもいい後輩ばかりで助かりました。はくやさんと淀川とわちゃわちゃ練習してた記憶があります。

・2年11月〜

河田さんたちが引退され、川辺さんの代になりました。この代が始まってすぐに足を捻って救急車で運ばれることになり、しばらくバレーができなくなりました。めちゃくちゃショックでした。やっとバレーができるようになったと思いきやコロナで活動停止になりました。

・3年4月〜

3年になると今度は大学がかなり忙しくなり、平日練習も送れるようになりました。1限から授業を受け、昼から実験、終わり次第部活に行き翌朝また1限といった感じのスケジュールで流石にしんどかったです。

・3年7月

ここが僕のバレー部での最大のターニングポイントでしょう。東商戦が駒場にて開催される日の朝、普通にアップをしていたら柳川さんに「飯高さん今日ミドルで使いますよ(わら)」と言われました。というのも同期のミドルのショーウがその直前に留学に行き、残ったミドルが膝の悪い徳永くんと入部したての上久保だけだったのです。ミドル大丈夫かなぁとは思っていましたがまさか自分がするとは思っていなかったので衝撃でした。振り返ってみるとここでミドルに転向したのは正解だったなと思います。もちろんレフトをやりたいという気持ちはかなり強かったので迷いはしましたが。

・3年8月〜

初の七大戦。楽しかったですね。ラッキーなことにブロック賞ももらえました。ここでかなりチームが勢いに乗ったのではないかと思います。個人的にもこの七大戦で成長できたと思います。そして秋リーグ。昇格できました。川辺さんが七大戦のときに「七大の雰囲気が秋リーグにつながる」と言っていたのがまさにという感じだったなと思います。

・3年11月〜

川辺さんたちが引退され、最高学年になりました。とはいえど最高学年になったからといって僕自身の何かが変わったわけでもなく割と伸び伸びとプレーしていました。年明けには突き指と思っていた指が実はヒビが入っていたことが判明し、少し休みました。こうして振り返ると無事に乗り越えることができた冬は一度もありませんでした。未熟です。

・3年3月〜

ここからは試合がいっぱいありました。東商戦は怪我もあり試合に出ることはできませんでしたが、その後の三大戦はとてもいい経験になりました。初めて他大の選手と飲みに行って仲良くなれました。このような繋がりは部活でないとなかなかできなかったと思います。ここで改めて部活入ってよかったなぁと思いましたね。三大戦の直後には福島合宿もありました。バレーを始めてから合宿を経験したことがなかったため、どんなものかと思いましたがひたすらゲームを回す会でしんどかったです。二日目には相手の足を踏んで捻挫しました。みんなボロボロになって東京に帰りました。

・4年4月

ついに4年生になりました。春リーグはもうかなりしんどかったです。場所も遠いし、朝も早いし、5セットマッチで相手は強いしでもう散々でした。後輩たちにはもう一度昇格して今度こそ3部で勝ってほしいなと思います。頑張ってください。

・4年7月〜

双青、(院試、)七大とあっという間に過ぎていきました。この頃は本当にしんどかったです。この頃というか最高学年になってからは、昇格したこともあり試合相手がどこも強く、なかなか勝てなかったので個人的にはずっとしんどいなぁと思っていました。双青は京大の同期と飲んで仲良くなれたのがよかったです。七大は1年生に混じって新人として頑張りました。七大でも他大の人と仲良くなれたことが嬉しかったです。ここも入部しよかったポイントですね。

・4年10月

秋リーグ。昇格ならず。悔しかったですね。最後の順位決定戦は新人戦も経験できなかったこの代で試合ができ、久々のサイドもできたのですごく楽しかったです。最高の引退試合の場を設けてくださりありがとうございました。

という感じでダラダラと振り返ってみましたがちょっと長くなり過ぎました。果たしてここまで読んでくれている方はいるのでしょうか。読んでくださっている心優しい方はもう少しだけお付き合いください。

振り返りでも出てきましたが、僕が部活での生活を通じて本当に良かったと思うことは、交友関係が広がったことです。バレーが多少は上手くなったことなどももちろんプラスですが、それ以上に他大の人や、先輩方、後輩、そして同期に本当に恵まれ、良い人たちと出会えたなぁと心から思います。綺麗事でちょっとしんどいですね。でも本当にそう思います。僕自身かなりのうのうと生きてきたのですが、これほどまでに大学生活が充実したものとなったのは偏に部活のおかげと言えるでしょう。何度かはやめようかと思いましたが引退した今となっては最後まで続けて本当に良かったなぁと思います。後輩たちには無理せずに楽しくバレーを続けて、たまには一緒に飲みにでも行ってほしいなと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

引退しました(溜)

こんにちは。先日の秋季リーグをもって東大バレー部を引退しました溜です。

近頃はバレーボールに代わって水泳に精を出すようになり、本郷のプールでバシャバシャと水沫を上げています。寝室の竹かごに押し込めたミカサ製のゴムまりは久しく空を飛ばず、ボールが指に張り付く感触が過去のものになりゆくのを感じます。

引退ブログの意義って何だろう? 定点観測かな? そんな考えから 今思うことをただ書き連ねます。 宜しければお付き合いください。

感謝

引退の日に伝えた通り、入部時よりも増してバレーボールを好きになれたのはチームメイトや監督, コーチのお蔭です。
先輩たち、根気強くレシーブを教えてくれてありがとう。
同期諸君、くだらないことで一緒に笑ってくれてありがとう。
後輩たち、頼りない我々を助けてくれてありがとう。

また上記の方々や赤門クラブの皆様は勿論のこと、我々の活動は多くの方の助けによって成立しています。入部した2020年には新型コロナ禍による活動休止を経験し、代持ちの2023年には晴れて例年通りの定例戦を経験した我々はそのありがたさが最も身に染みていると言っても過言ではないでしょう。重ねてお礼を申し上げます。 東大バレー部のユニフォームに袖を通せて幸せでした。

あっという間

あっという間、は言い過ぎですね。 それでも思ったより早く東大バレー部で過ごす時間は尽きたのです。もはや自分が4年生なのか疑問に思えてきます。
悔いはあるか? : 無い。
バレー上達のために全力を捧げたなんて口が裂けても言えませんが、駒場第2体育館で皆と過ごした時間は宝物です。

やっぱりバレーボールが好き

このサイトを見ている人は大体そうでしょう。 私もバレーボールが大好きです。東大バレー部に入って良かった。春リーグ見に行こうかな。 新しい東大バレー部の姿を、願わくば快勝する姿を見るのが楽しみです。

#12 タマリ

七大戦(大井)

こんにちは、4年生の大井です。

今回は七大戦についてお話ししたいと思います。
8月14日から18日にかけて、東京大学主管のもと七大戦が開催されました。
結果は以下の通りです。

新人戦 7校中3位
準々決勝 vs京都大学 1-0 ◯
準決勝 vs九州大学 0-1 ✕
3位決定戦 vs東北大学 2-1 ◯

本戦 7校中7位
vs名古屋大学 2-1 ◯
vs東北大学 1-2 ✕
vs北海道大学 0-2 ✕
vs大阪大学 0-2 ✕
vs京都大学 0-2 ✕
vs九州大学 0-2 ✕

本戦は1勝5敗、最下位という結果になりました。サーブレシーブの精度や拮抗した展開が続く中での粘りのなさが敗因になったと考えております。悔いの残る結果となってしまいましたが、各々がチームの課題について考える良い機会になったと思います。今大会で明らかになった課題を改善し、この代の集大成となる秋リーグではよりよいプレーを目指します。

大会を通して活躍した選手に贈られる個人賞では、2年福岡がベストサイド賞と猛打賞2位を、3年西山がレシーブ賞1位を獲得しました。2人とも個人賞受賞おめでとうございます。これからの活躍も期待しています。

今年の七大戦は東京大学が主管校でした。大会の数ヶ月前から膨大な仕事量があり、特に大会期間中は非常にタフな日程でした。それでも円滑な運営ができたのは、運営メンバーを中心に部員全員が主体的に行動したからです。七大戦という伝統の一端を担えたことを嬉しく思います。

最後になってしまいましたが、現地までお越しいただいた保護者様・先輩方をはじめ、ご声援くださった関係者の皆様、ありがとうございました。日々の活動をサポートしてくださっているOB・OGの皆様、本当に感謝しています。その期待に応えるため、秋リーグに向けて日々の練習に励みます。今後ともよろしくお願いいたします。

大井

双青戦(飯高)

9月に入り朝晩には涼しく感じられる日も増えてきたように感じている4年生の飯高です。

遅くなってしまいましたが、約2ヶ月前の猛暑の中開催されました双青戦に関して書かせていただきます。

7月15日に京都大学主管のもと双青戦が開催されました。

BBSなどをご覧になられた方はすでにご存知かもしれませんが、東京大学男子部は新人戦でセットカウント1-1、得失点差により勝利し、本戦はセットカウント1-3で敗北という形で今年の双青戦を終えました。

新人戦に関しましては2セットマッチで行われました。第一セットを取られ、あと一点取られたら引き分け以下になるという状況下でしっかりと得失点差での勝利を掴むことができ、中心となって戦った一年生それぞれにとってとても良い経験になったと思います。コロナの影響で新人戦を経験することのできなかった身である僕としては羨ましいと思うと同時に、一年生のみんなにはぜひこの経験を活かして欲しいと思います。

本戦に関しましては5セットマッチで行われました。東大は強みであるサイドからの攻撃を中心に戦いましたが、京都大学の攻撃にディフェンス面で対応し切ることができず敗北してしまいました。ミドルである僕としては反省点の多く残る試合となりました。

今回の双青戦では去年にはなかった懇親会も開催していただき、京都大学の方とも交流することができました。特に個人的には双青戦が引退試合であった4年生の皆さんと交流することができたのが本当に良かったです。

主管していただいた京都大学の方、暑い中会場に足を運んでくださり、応援してくださった先輩方、本当にありがとうございました。

僕たち4年生の引退試合となる秋季リーグ戦まで1ヶ月を切りました。目標である3部への復帰を目指して練習していきますので、今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。

飯高

自己紹介⑥

初めまして。男子部一年、理科一類の島田康生です。新入部員としての自己紹介ブログを書かせていただきます。

身長175cm、ポジションはレフトです。出身は兵庫県の甲陽学院高等学校で、中学校一年生の時に双子の兄とバレー部に入部しました。ハイキュー!!の宮兄弟に憧れていた時期もありました。高校での部活動は嬉しいことも辛いことも多かったのですが、バレーは数少ない本気になれたことだったので、入学前から、大学で運動会のバレー部に入部することは決めていました。

現在、東大バレー部で活動し、先輩方のプレーを間近で見ることでいつも刺激を受けています。部員全員が真摯にバレーと向き合っており、チームの雰囲気も居心地が良くて、練習はとても楽しいです。また、基礎的なことから実践的なことまで、先輩方から丁寧なアドバイスをいただき、日々成長を実感しています。

部活における目標は、この人に上げたら決めてくれる、と思われるようなプレイヤーになることです。これは高校時代の目標でもあるのですが、自分ではそのようなプレイヤーになれてはいないと思うので、今まで以上に努力して、目標を成し遂げられるように頑張ります。まだまだ未熟な点が多いですが、手本となる先輩を見習い、同期と切磋琢磨しながら、技術面、精神面共に成長できたらと思っています。

拙い文章ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

自己紹介⑤

こんにちは。男子部マネージャー2年の板橋真利那です。今回は2年生ですが自己紹介のブログを書かせていただきます。稚拙な文章ではありますが、よろしければ最後までお付き合い下さい。

初めに私の自己紹介をさせていただきます。私は現在、共立女子大学 家政学部 食物学科 食物学専攻2年生です。出身高校は千葉県立幕張総合高校で、3年間弓道部に所属しておりました。コロナ禍で大会が中止になってしまい、不完全燃焼な思いもしましたが、自分なりに充実した高校生活を送ることが出来ました。

次に2年生から男子バレー部のマネージャーとして入部した経緯をお話させていただきます。私は大学1年生の時は色々なサークルに所属しておりました。テニス、日本舞踊、合気道など様々なジャンルのことを経験させていただきましたが、元々運動が苦手ということもあり1年も経たずに辞めてしまいました。辞めたことにより、大学やサークル、遊びと常に何かをしていた時には感じなかった、自分には何もないという焦燥感を抱くようなりました。そして一つのことに熱くなり、共に高め合う仲間が欲しいと思うようになりました。そこで自分でプレイするよりもサポートをする方が好きだと気が付き、マネージャーとして部活に入部させていただきました。

マネージャーとして私が出来ることは限られていると思いますが、出来ることを精一杯行い、少しでもプレイヤーの力になれたら嬉しいです。若輩者ですがご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

自己紹介④

こんにちは。男子部一年の岩井杏平(いわいきょうへい)です。今回は自己紹介のブログを書かせていただきます。

出身は埼玉県の県立浦和高校です。身長は170cmです。バレーボールは中学一年から始めました。身長は低かったのですが、小学校の体育でやったバレーボールが楽しかった、何か新しいことを初めて見たかった、といった小さな理由が始めたきっかけです。中学の練習試合でスパイカーをやったらあっさり両膝を剥離骨折したという苦い経験をしてからは、ポジションはずっとリベロです。(高校で少しだけセッターもやってました。)

中学高校と部活には勉強と同等、もしくはそれ以上に真剣に励んできました。そのため忙しい青春生活を送ってきたので、大学からはサークルなどに入りのんびり過ごしたいなーと思っていたのですが、長い受験期が明けいざ新歓で部活やサークルを巡ると、高校よりも一段と高いレベルでプレーするバレー部の先輩方を見て、もう一度この部活という環境で真剣にバレーボールがしたいと思うようになりました。そのうえ新歓の時から優しく声をかけてくださったり、練習後にご飯を奢ってくださったりといった先輩方の楽しそうで寛大な雰囲気に惹かれ、入部を決意いたしました。

入部してまだ間もないですが、先輩方のプレーを見ると自分の実力不足を嫌でも自覚させられます。フットワークやオーバーカット、強いボールの処理やメンタル面まで、課題は練習が終わるたびに次から次へと浮かび上がってきますが、この恵まれた環境で真摯に練習に励み、成長したいと思っております!

さて、大学生活の大部分をバレーに捧げる決意をしたわけですが、忙しい毎日になるのは理解しております。ですが、仲間たちと切磋琢磨しながら共に高め合い、助け合い、充実した毎日を送りたいと思っています。あと、勉学を放棄しないようにできるだけ努めるつもりです。

拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。

自己紹介③

こんにちは。男子部一年の松田夏凜(まつだかりん)です。今回は新入生の自己紹介ということでブログを書かせていただきます。

出身高校は神奈川県の横須賀学院高校です。バレーボールは父が経験者で幼い頃から試合を観戦する機会が多かったことや現在弟がバレーボールを習っていることから身近に感じるスポーツの一つでした。私はバレーボールは未経験で高校ではチアダンスをしていました。私はチアダンスを通じて団体競技の魅力を知りました。同じ目標に向かって進み、成長し合える仲間がいることはとても大切であると私は考えます。チアダンスではあと数点足りず全国大会に出場するという目標を達成することができませんでした。自分の練習に取り組む姿勢に後悔することもありました。バレーボール部では悔いの残らないようにマネージャーとして力を尽くしたいです。プレイヤーとしてバレーボールをする機会は無かったものの、マネージャーとしてバレーボールに関わることができて幸せです。ご迷惑をお掛けしてばかりですが少しでもチームに貢献できるように頑張ります。

拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

自己紹介②

こんにちは。男子部一年、理科一類の平崎健治(ひらさきけんじ)です。今回は入部挨拶と自己紹介ということでブログを書かせていただきます。
僕の出身高校は兵庫の甲陽学院高校です。関西出身です。上京後、日に日に口調に標準語が混じり出していることが最近の悩みです。
身長は171cmでバレーを始めたのは高校からです。ポジションはライトでした。大学でバレーをやる上でサークルではなく部活動を選んだのは、やはりバレー経験が浅く下手な自覚があり、バレーが上手くなりたかったからです。そしてその目標のために東大バレー部はとても適した環境だと今思っています。先輩からのアドバイスはそのどれもが僕にとっては考えたこともないような新鮮なもので、高校までとはまるで違うバレー生活を送っているようです。大学では部活と勉強を両立することは簡単なことではありませんが、最近はそこに確かな充足感を感じています。
心技体、そのどれもが大変未熟な自分ではありますがこの東大バレー部で大きく成長できるよう頑張ります。拙い文章ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。