こんにちは。引退しました能丸純太朗です。

後半まとまりなくだらだらと書いてしまったので、まずはお礼の言葉から入らせてください。

サポートを続けてくださったOB,OGの皆様方、チームをサポートしてくださった歴代監督・コーチの皆様、散々迷惑をかけた過去の先輩方、
4年間行動を共にした同期、練習に付き合ってくれ、暖かく見守ってくれた部員の皆、
振り返ってみると本当に世話になりっぱなしだったなと思います。心から感謝を申し上げます。

そして、不肖わたくしめは男子部のコーチを拝命しました。去年からコーチをしていただいている中島さんとの開成タッグということで、中高共にバレーをし、大学で同じコートでプレーし、しまいには一緒にチームを育てる、と本当に奇跡の巡り合わせで、
流石にエモく感じています。

今年度のチームは、バレーのスキルもさることながら、後輩を巻き込むのが上手な最上級生と活発な下級生がうまく調和している代で、非常に行く末が楽しみです。まず、立ち会わせてもらえることに感謝しています。

運良くバレー部に関わる機会を頂けたので、非力ながらも恩返しできるように頑張らせてもらおうと思っています。

↓↓だらだら↓↓
(振り返りが中心です)

入部動機は今となっては思い出せないですが、バレーに対して真摯に向き合える環境と、フレンドリーな先輩たちが決め手となった気がします。

1年の頃はなかなかに問題を起こしていた気がします。寝坊、忘れ物、また寝坊と、惨憺たる状況だった記憶があります。その頃に自らの出来の悪さに向き合って、更生できたのは人生の財産だなと思っています(笑)

2,3年のコロナ流行の時期は、ほとんど練習できない期間も多く、非常にストレスが溜まりました。(「コロナ いつから」で検索しました。日本だと2020年初頭からの話なんですね。長い)
ようやく練習ができるようになっても、2週間練習してようやく感覚がつかめたと思ったところで、また活動制限・・・で、モチベーションを保つことさえ難しかった記憶があります。まともに活動できるようになったのは3年の秋くらいからでしょうか。

3年の秋、セッターとしてメンバーに入ることにもなり、がむしゃらに練習しました。動画を見て動きを研究して真似したり、試行錯誤していましたが、今思えば細かい体のパーツに意識がいって、むしろ動きが硬くなっていたなと思ったり、少し余裕がなかったです。

これは1年の頃からの話ですが、コーチの常川さんが定期的にコメントをくださったことが、本当に救いだったなと思います。もし1人だったら、さらに迷走していた気がします。

そして、結局自分の初公式戦がまさかの昇格をかけた秋リーグでした。初戦の埼玉大学戦は、今でも忘れません。下手な上に、自信のなさが爆発してしまいました。力になれず、只々不甲斐ない気持ちでした。
結局リーグ戦は1敗で終わることができましたが、迷いがあるプレーも多く、正直不完全燃焼でした。

代が変わり4年になり、急成長を遂げた頼もしい後輩にポジションを明け渡すこととなり、自分の身の振り方にはなかなか困りました。
なかなかチームへの貢献手段は見つからず、結局、プレーの追求をしつつ、できる限り周りを見ることを心がけようという中途半端な結論になりましたが、時折不安になりつつも前向きに完走できたなと思います。
プレーで貢献する可能性が小さくなっても、練習に惜しみなく付き合ってくれたのは本当に嬉しかったです。後輩でも遠慮なくアドバイスを仰げたし、本当にいい人間関係に恵まれたなと思っています。

そして最後の秋リーグ、運よく出場機会を貰えて、その上難しい試合を勝ち切ることができました。3部昇格に細やかながら貢献でき、嬉しいことこの上ありません。
結局技術レベルは不足していましたが、できることで最善を尽くそうと思いプレーした結果、冷静で迷いがなく、結果的に良いパフォーマンスを出すことができました。
色々な部員から祝福を貰えたのま嬉しかったです。どこか自分は影が薄いと思っていたので、自分を見てくれている人はいたんだなと心に沁みました。

振り返ってみると、個人としては技術の上達はさることながら、精神状態のコントロールの重要性と難しさを実感したキャリアだったなと思います。プレッシャーのかけ具合や、本番に臨む時には今あるもので勝負するというメンタリティを作ること、言葉にすると単純ですが、なかなか上手くいかないものです。

また、冒頭と被りますが、やはり本当に世話になった4年間だったなと。4年生になっても、自分が与えるものよりも、人から貰ったものの方が多かったのではないか、と思います。

ここまで熱い人間に囲まれる機会は人生にまたとない経験で、一生モノの財産です。
現役の皆には、是非とも満喫して欲しいですね。