秋リーグ&赤門大会結果報告と新チーム始動報告

いよいよ年の瀬も迫り、本格的な冬の寒さが身に染みるようになってきました。2022年もあっという間に過ぎ、時の流れの速さを実感しています。ご無沙汰しています、2年生の小倉です。
今回は秋リーグ、赤門大会の結果報告、並びに代替わりのご報告をさせていただきます。

まず、秋リーグの結果をご報告致します。

1日目

東京大学⚪︎2-0⚫︎埼玉大学(25-20, 25-22)

2日目

東京大学⚪︎2-1⚫︎東京農業大学(26-28, 26-24, 25-14)

東京大学⚪︎2-1⚫︎一橋大学(29-27, 21-25, 25-23)

3日目

東京大学⚫︎0-2⚪︎宇都宮大学(18-25, 22-25)

東京大学⚪︎2-1⚫︎帝京大学(25-17, 23-25, 25-23)

4日目 順位決定戦
東京大学⚫︎0-2⚪︎日本ウェルネススポーツ大学(16-25, 17-25)

最終結果

1位 日本ウェルネススポーツ大学

2位 東京大学

3位 成蹊大学

4位 東京農業大学

5位 埼玉大学

6位 茨城大学

7位 神奈川大学

8位 一橋大学

9位 宇都宮大学

10位 千葉大学

11位 上智大学

12位 帝京大学

以上の通り、今回のリーグ戦は4部2位という結果で終了し、3部昇格となりました。

また、この試合で4年生の先輩方、そして常川コーチが引退されました。4年生はプレー面はもちろん、皆さんのフレンドリーなお人柄でチームを精神的にも引っ張って下さりました。また、常川コーチは組織としてのこのチームのあるべき姿を、時には厳しい言葉も用いて僕達に伝えて下さりました。4年生の先輩方と常川コーチに改めて感謝と尊敬を感じています。本当にお疲れ様でした。

今回は無事、この代の始動時から、さらには長年目標としていた3部昇格を達成することが出来ました。その道のりは決して簡単なものではなく、時にはチーム内で意見の衝突等も起こり、雰囲気が悪くなることもありました。しかし、七大戦を通じてチームとしての一体感が増し、その勢いを保ったままリーグ戦期間中チーム一体となって走り抜けることが出来たことが昇格という結果に繋がった要因の一つなのかなと思います。とはいえ試合結果を見ていただければお分かりの通り、薄氷を踏むような試合展開ばかりで、4年生が抜けた現状を踏まえると3部では厳しい戦いを強いられるだろうなということを部員全員ひしひしと感じています。やっと掴み取った3部の舞台を簡単に手放すことのないように、これからも部員一同精進してまいります。

次に、赤門大会の結果をご報告致します。

現役チーム⚫︎2-3⚪︎OBチーム(25-19, 12-25, 22-25, 25-14, 13-25)

以上の通り、OBチームが勝利、という結果になりました。

この試合は現3年生を主体とする新チーム最初の試合で、つい先日引退されたばかりの4年生を中心としたOBチームと対戦しました。現役チームはまだ始動したばかりということもあり試行錯誤も多く、部員個々人としてもチームとしても課題が沢山見つかった試合となりました。OBチームはとても強く、現役チームも全力を尽くしましたが後一歩及ばずの結果となりました。

新型コロナウイルスの影響もあり、数年ぶりに開催された赤門大会でした。特にメンバーが3年生以下の現役チームは赤門大会は初めての経験で大会運営等慣れないことも多かったですが、OB・OGの先輩方のご助力・ご協力もあり、円滑な大会運営を行うことが出来ました。改めてOB・OGの先輩方に感謝を申し上げます。

さて、先述の秋リーグを境に4年生の先輩方が引退され、新体制としての活動がスタートしました。

今年度は、昨年度に引き続き監督としてS52卒、柳川洋輝先輩、コーチとしてR4卒、中島博雅先輩、そして今回引退された、能丸純太郎先輩を新たに迎え、ご指導頂きます。

新チームでは、サイドアウト時は少し乱れたキャッチからでも常に多彩な攻撃のパターンを用意すること、ブレイク時はサーブで相手を崩し高いブロックを活かしてブレイクを取ることをテーマとし、日々の練習に取り組んでいます。4年生が引退された中、3部の舞台で他チームと対等に渡り合い、次の春リーグでいい結果を残せるようにチーム一丸となって頑張っていきます。

これからも引き続き応援を何卒よろしくお願い致します。

2年 小倉佑斗

引退しました(川辺)

先日の秋リーグをもって引退しました4年の川辺です。

すでに会報用に真面目な文章を2本書いたので、ブログの方はゆるーくのんびり書いていこうと思います。あ、でもあんまりのんびりし過ぎると催促されるのでやっぱり少しだけ集中して書きます。

近況ですが、引退してからは女子部の方で学生コーチをしています。変わらず週4駒場ですが、プレーヤー以外の形でバレーボールをするのは新鮮で、新たな発見もあったりと楽しく過ごせています。引退しましたがこうして現在も今後も、暫くはなんらかの形でバレーボールを続けていくつもりです。色々落ち着いたらクラブチームかなんか見つけて自身でプレーもしたいなぁとも思っています。

てなわけで自分はバレーボールを離れるわけでもなければ、駒場にも通うので後輩に会えなくなるわけでもなく、同期もなんだかんだみんな大学に残るので引退の寂しさは特別感じません。過去に先輩方が引退されていった時の方が寂しさレベルは上です。

とはいえ中学1年生から約10年間続けてきた学生バレーの終幕はやはり大きな節目と言えるでしょう。月並みな表現しか出てきませんが、非常に充実した日々を送ることができました。途中で辞めたいと思ったことがないのは何気に凄いことなんじゃないかと最近になって思います。そうたらしめた要因は、何よりも環境に恵まれたことだと思います。

同期に恵まれ、先輩後輩に恵まれ、ライバルに恵まれ、指導者に恵まれました。ブログの執筆にあたり、まずは、これまでの10年間でバレーボールを通じて自分と関わり、支えてくれた/くださった全ての方々に感謝の言葉を述べたいです。ありがとうございました!

さて、ここからは自分の4年間を雑に振り返ろうと思います。
まとまりのない文章になる気がするので読み飛ばしていただいても構いません。

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【1年の5月、川辺入部】

増田のブログを読んで思い出しましたが、僕も1年生の時一応一瞬だけ入部を迷いました。増田と同じく入学時特有のアレです。まあそれでもほとんど悩まずに入部を決めていた方だと思います。にも関わらず入部宣言最遅タイだったのは、GW遊びたかったからです。当時新歓担当だった河田先輩からの勧誘LINEを躱して旅行に行っていました。楽しかったです。

【1年の7月、双青戦】

初めて本戦の試合に出させてもらいました。試合前の昼休みに遊びでジャンプサーブを打っていたら、当時のコーチの田内さんに、「川辺ジャンサいくか!」と言われ、1セット目終盤にリリーフサーバーとして出場しました。フカしました。貴重なチャンスをいただいておきながら、準備不足と不甲斐ない結果に恥いるばかりです。それでもまた、後のセットで起用していただき、後衛で挽回の機会をいただけたこと、嬉しかったです。

【1年の8月、七大戦in福岡】

セッター対角でスタメン出場しました。この頃から割とコンスタントに試合に出させていただくようになります。下級生としてのびのびとプレーした結果、サーブの個人賞2位をいただきました。初戦2セット目、21-20でのタイムアウト中、常川先輩に「サーブ決めた本数で今日の晩飯が決まるぞ」と言われたので頑張りました。4ブレイク、最後は2連続エースで試合を決めました。その日は焼肉でした。

また、Data Volleyを活用した戦い方を初めて体験し、感動しました。自分たちの代やその前の代で、アナリストがいないなかでも簡単なデータをとってこのようなことをやっていこうという方針を取ったルーツは、個人的にはここにあったりします。

【1年の9月、秋リーグ】
入部してから初めてのリーグ戦。定期戦などとは違う緊張感があり、どの試合もあっという間に感じました。そのせいか、あんまり詳細なことを覚えていません。すいません。

このペースだと催促が来そうなので少しとばします。ひぃ。

【1年の11月〜、代替わり】

代替わりしてからは筋トレをしっかりやるようになります。コロナ明けは肩を少し痛めたりしたこともあって、この時期が4年間で一番自分の体の状態が良かったです。モチベに困ったことがほとんどない自分の中でも、特にモチベが高かった時期であり、火曜の夜練から帰った後とかに、寝る前に「なんで明日練習ないん」て思っていました。

【1年の3月〜2年の8月、活動停止】

新潟に帰っていました。

【2年の8月〜、活動再開】

体育館が新しくなりました。以前の仮設体育館は夏に室内の温度計で40度近くなっていたのを見たことがあります。こっちで半年ぶりの活動再開をしていたら干からびていたんじゃないかな。

この代は一番コロナに振り回されたと思います。特に代持ちだった先輩方は不完全燃焼だったと思いますが、最後に代替試合を行えて、勝って終えられて良かったです。

【3年、河田体制】

ほんの数ヶ月前まで一番下だったのに、気がついたらなんと上から数えた方が早くなっていました。
試合などのイベントがなかったこともあり、油断すると一瞬で時間だけが過ぎていくようなシーズンでしたが、長く一緒に試合に出てきた先輩や、ポジションを争った河田先輩とプレーできる最後の時間だったので自分なりに頑張りました。
それだけに秋季リーグで満足のいくプレーができなかったことや、チームとして勝つことができなかったことの悔しさも大きかったです。

【4年、川辺体制】

詳細は赤門会報の昨年度活動報告(前主将挨拶)にて代えさせていただきます。
断じて書くのが疲れたからとかではありません。

代持ちを経験してあらためて、試合があることのありがたさを感じました。
定期的に試合などのイベントがあるからこそメリハリをつけて練習をでき、チームを運営もしやすくなるのだと。いつ試合があるのかもわからず、無機質に時間が過ぎていくような状況で今年と同じようなチームにできたかというと無理だったと思います。

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こうして振り返ってみると、本当にあっという間で充実した4年間でした。
一方で、僕はよく「悩みとかなさそう」と言われますし実際あまり強く否定できませんが、それでも最後の1年間は特に、主将という立場でやっていく中で、無力感に苛まれたり、練習に行くのが億劫になったりすることが、少なくとも自分史上一番ありました。
いろんなことを考えなければいけないのもそうですが、それに加えていろんなことを考えてしまうんですよね。各部員のコンディションはどうか?モチベはどうか?メニューを考えるにしてもポジション、人によって偏りがないか?球出しがキツくないか?などなど考え出したらキリがないです。上手く手を抜いていかないとパンクするなと思いました。

しっかり苦悩しながらも、それでもやって来られたのはやはりモチベーションを絶やさなかったからです。大学の部活は、高校までの部活以上に、やらされるものではないので、モチベーション無しにやっていけないと思います。辞めていこうとする人にその理由が「モチベーションが無くなったから」と言われたら引き止める術を僕は知りません。

バレーが好きで楽しめて、
試合や練習でチームに貢献して、
大きな怪我や病気などもない。

上昇志向とか以前のモチベーションの源泉として自分は上の三つを考えます。
幸いにも、僕は上記の三つをほとんど欠かさずやってこられました。でも、これらはあって当たり前のものではないと思います。後輩たちにはこれらを維持、獲得するための努力を日々怠らないで欲しいなと思います。

後輩に伝えたいことはこれまでもいろんな場所で色々言ったのでここに書くことは他にそんな残っていません。
そして冒頭でも述べたとおり、あまりお別れ感もないので後輩同期はまたいつでもご飯行ったり、バレーしたりしましょう!

引退ブログ:前女子部主務 凛

こんにちは。先日引退しました、四年のりんです。
引退してからダラダラ過ごしていたらあっという間に一ヶ月半も経ってしまいました。そして一ヶ月半も経ったというのに未だに腰骨と膝のグロテスクなアザが消えません。
学生生活も残り少ないので(泣)、少しでも有意義に過ごせるよう心がけます。

私は大学からバレーを始めましたが、入部を決める時期はかなり悩みました。ですが引退した今考えても、あの時バレー部を選択した自分は間違っていなかったと思います。

小六の時ロンドンオリンピックを見てバレーが好きになり、以来テレビで見るだけでなく試合を生で見に行くくらいバレーファンになりました。中高は違うスポーツをしていましたが、(中高でバレー部に入らなかった理由は割愛)、何度かバレー部に入ればよかったと後悔するくらいには憧れのスポーツでした。

入部後は割と直ぐに怪我をしてしまって、コロナ禍の部停もあり二年生後半まではまともに練習することが出来ませんでした。
退部やスタッフへの転身を考えたこともありましたが、実際に行動に移さなかったのはそれくらいバレーが好きだったからで、一度も試合に出られなかったとしてもバレーの面白さをちゃんと知りたい、そのために少しでも上手くなってプレーをしてみたいと思ったからです。

「え、お前そんなバレー好きそうに見えなかったけど」と思った人がいそうですが、例えば「バレーは面白くない」などと言ってくる人に対してムキになって熱弁してしまうくらいにはバレーが好きです。

迷った時は「なぜバレー部に入ったのか」と自問自答しました。試合に出るためでは無かったはず、上手くなってバレーの面白いところや楽しいところを知りたいからだと思いました。それなら自分のペースでいいじゃないかと言い聞かせました。

そして試合に出ることは無いだろうという自分の予想は大きく外れ、今年の幹部代では通年レギュラーとしてコートに立たせてもらいました。 しかもポジションは一番憧れていたセッターとして。

一年間セッターとして試合に出る中で、見ているだけでは気づけなかったバレーの魅力をたくさん知りました。

他のスポーツより個人技で結果があまり左右されないところ、最後の最後までハラハラさせてくれるところ、ワンラリーごとに一喜一憂できるところ、一瞬のスキが命取りになるところ、コートが狭いからこそいい意味でも悪い意味でも感情を常に仲間と共有できるところ、

特に最後の点に関してはサッカーをやっていた頃は反対サイドにいる人に声はあんまり届かないし、点を決めた時しか集まって喜べなかったので、(つまり点を決めなかったら一生集まれない汗)、バレーならではの醍醐味なのではないかと思います。

試合中に気持ちが折れそうになってもみんなが直ぐに駆け寄ってきて肩を叩いて励ましてくれるのも、ミスをカバーしたらありがとう!!と抱きついてくるのも、ベンチの応援の声が近くから聞こえてくるのもめちゃくちゃいいなと思います。

まだまだ挙げられそうですが、セッターとしてもうひとつあげるとすれば、スパイカーが点を決めた後振り返って、真っ先に目が合う瞬間が好きです。自分のおかげみたいで気分がいいです。

気分がいいと言えば、七大戦の東北戦であおとの2番が決まりセットを取った瞬間、秋リーグ順位決定戦での19-24からの逆転勝ち、これらもきっとこの先も忘れないと思うくらい気持ちのいい瞬間でした。

四年間、短くはありましたが悪くないバレー人生でした。

特に最後の一年はバレーが本当に楽しかったです。憧れのクールでかっこいいセッターとは程遠い、みんなに支えられてやっとコートに立っていられるような頼りないセッターでしたが、「愛のあるチーム」をスローガンにしたこの代でコートに立てたことは私の誇りです。

あの時入部して、最後まで続けてこれて良かったです。

最後になりますが感謝の言葉です。

obogの皆様、日頃からたくさんのご支援、応援をありがとうございました。メールで激励の言葉を頂いたり、今年は会場で実際に面と向かってお話させて頂く機会もありました。皆様の支えがあって初めて現役はバレーに集中出来るのだと改めて気付かされた1年でした。
主務としては至らないところもたくさんあったかと思いますが、久しぶりに開催された大会等も皆様のお力添えがあって無事に執り行うことが出来ました。本当にありがとうございました。

コーチの方々、バレーにおいて右も左もわからない状態の部員に教えるのは大変だったと思いますが根気強く教えて下さったこと、感謝しています。引退後も親身に話を聞いてくださってありがとうございました。
そして今井さん、ゆうりさん、時には厳しく、時には優しく幹部である私たちに向き合って下さったこと、感謝しています。本当にありがとうございました。

直属の先輩方、怪我などで迷惑ばかりかけましたが、皆さんが優しく接して下さり、居場所を作って下さり、時にはチャンスも与えて下さって、そのおかげでここまで続けることが出来ました。本当に感謝しています。今年は練習や試合応援なども来て下さり、久しぶりにお話する機会も沢山あって嬉しかったです。

後輩達、私はみんなと一緒に上手くなろうという意識でやってきたので、みんながアドバイスをくれたり褒めてくれたりして嬉しかったです。特に最後の一年はどんどん上達して頼もしくなっていくみんなに触発されて、サボりたくなる気持ちにムチを打って頑張れました。そして引退メッセージにやたら「笑い上戸」って書かれてましたが、お陰様でたくさん笑って楽しく過ごさせてもらいました、ありがとう。一二年生は癖強なのでそれをちゃんと自覚してのあを困らせすぎないように気をつけてください。笑

同期へ、真面目でストイックすぎる二人が同期で怠惰な私はついて行くのが割としんどかったですが笑、私に無いものばかり持っている二人のことは尊敬してます。実は一年の時から二人と一緒に試合に出ることがずっと目標でした。顔面にボールをぶつけてやろうかと思うことも数え切れないほど何回かありましたが、最後の一年二人と一緒にコートに立ててよかったです。大して上手くもないトスを褒めてくれてありがとうございました。先に社会人になりますが絶対に奢りません。

そして東大女バレ、バレーボールに出会わせてくれてありがとう!

#13 りん

引退しました(能丸)

こんにちは。引退しました能丸純太朗です。

後半まとまりなくだらだらと書いてしまったので、まずはお礼の言葉から入らせてください。

サポートを続けてくださったOB,OGの皆様方、チームをサポートしてくださった歴代監督・コーチの皆様、散々迷惑をかけた過去の先輩方、
4年間行動を共にした同期、練習に付き合ってくれ、暖かく見守ってくれた部員の皆、
振り返ってみると本当に世話になりっぱなしだったなと思います。心から感謝を申し上げます。

そして、不肖わたくしめは男子部のコーチを拝命しました。去年からコーチをしていただいている中島さんとの開成タッグということで、中高共にバレーをし、大学で同じコートでプレーし、しまいには一緒にチームを育てる、と本当に奇跡の巡り合わせで、
流石にエモく感じています。

今年度のチームは、バレーのスキルもさることながら、後輩を巻き込むのが上手な最上級生と活発な下級生がうまく調和している代で、非常に行く末が楽しみです。まず、立ち会わせてもらえることに感謝しています。

運良くバレー部に関わる機会を頂けたので、非力ながらも恩返しできるように頑張らせてもらおうと思っています。

↓↓だらだら↓↓
(振り返りが中心です)

入部動機は今となっては思い出せないですが、バレーに対して真摯に向き合える環境と、フレンドリーな先輩たちが決め手となった気がします。

1年の頃はなかなかに問題を起こしていた気がします。寝坊、忘れ物、また寝坊と、惨憺たる状況だった記憶があります。その頃に自らの出来の悪さに向き合って、更生できたのは人生の財産だなと思っています(笑)

2,3年のコロナ流行の時期は、ほとんど練習できない期間も多く、非常にストレスが溜まりました。(「コロナ いつから」で検索しました。日本だと2020年初頭からの話なんですね。長い)
ようやく練習ができるようになっても、2週間練習してようやく感覚がつかめたと思ったところで、また活動制限・・・で、モチベーションを保つことさえ難しかった記憶があります。まともに活動できるようになったのは3年の秋くらいからでしょうか。

3年の秋、セッターとしてメンバーに入ることにもなり、がむしゃらに練習しました。動画を見て動きを研究して真似したり、試行錯誤していましたが、今思えば細かい体のパーツに意識がいって、むしろ動きが硬くなっていたなと思ったり、少し余裕がなかったです。

これは1年の頃からの話ですが、コーチの常川さんが定期的にコメントをくださったことが、本当に救いだったなと思います。もし1人だったら、さらに迷走していた気がします。

そして、結局自分の初公式戦がまさかの昇格をかけた秋リーグでした。初戦の埼玉大学戦は、今でも忘れません。下手な上に、自信のなさが爆発してしまいました。力になれず、只々不甲斐ない気持ちでした。
結局リーグ戦は1敗で終わることができましたが、迷いがあるプレーも多く、正直不完全燃焼でした。

代が変わり4年になり、急成長を遂げた頼もしい後輩にポジションを明け渡すこととなり、自分の身の振り方にはなかなか困りました。
なかなかチームへの貢献手段は見つからず、結局、プレーの追求をしつつ、できる限り周りを見ることを心がけようという中途半端な結論になりましたが、時折不安になりつつも前向きに完走できたなと思います。
プレーで貢献する可能性が小さくなっても、練習に惜しみなく付き合ってくれたのは本当に嬉しかったです。後輩でも遠慮なくアドバイスを仰げたし、本当にいい人間関係に恵まれたなと思っています。

そして最後の秋リーグ、運よく出場機会を貰えて、その上難しい試合を勝ち切ることができました。3部昇格に細やかながら貢献でき、嬉しいことこの上ありません。
結局技術レベルは不足していましたが、できることで最善を尽くそうと思いプレーした結果、冷静で迷いがなく、結果的に良いパフォーマンスを出すことができました。
色々な部員から祝福を貰えたのま嬉しかったです。どこか自分は影が薄いと思っていたので、自分を見てくれている人はいたんだなと心に沁みました。

振り返ってみると、個人としては技術の上達はさることながら、精神状態のコントロールの重要性と難しさを実感したキャリアだったなと思います。プレッシャーのかけ具合や、本番に臨む時には今あるもので勝負するというメンタリティを作ること、言葉にすると単純ですが、なかなか上手くいかないものです。

また、冒頭と被りますが、やはり本当に世話になった4年間だったなと。4年生になっても、自分が与えるものよりも、人から貰ったものの方が多かったのではないか、と思います。

ここまで熱い人間に囲まれる機会は人生にまたとない経験で、一生モノの財産です。
現役の皆には、是非とも満喫して欲しいですね。

引退しました(桑原)

こんにちは、先日引退しました4年マネージャーの桑原す!

3年間先輩方のを読んできた引退ブログですが、ついに自分の番が来てしまいました。

いざ書いてみると書きたいことが山ほど。思い入れがありすぎたみたいです。4年間の私の考えや想いを4000に詰めました。

前半はお礼、後半は振り返りという構成です長文ではありますが、わってくださった皆さんに読んでいただけると嬉しいです!

コロナの影響で私は、1年の3月から3年の8月までの約1年半、東京大学に入構出来ない日々を送りました。たまにある外部練に参加することしかできず、当たり前に週4で部活に行けていた1年生の1年間がどんなに恵まれていたか、誰よりも痛感したという自負があります。

そのため赤門クラブのOB・OGの皆様、東京大学の職員の皆様のありがたさをより一層感じておりました。東大バレー部を支えてくださり、部員が活動できる場を設けてくださり、本当にありがとうございました。来年からは私も支える側として恩返しをしたいと思います。

引き続き、お世話になった方々へお礼をさせてください。

先輩の皆さん。

バレーもマネも初心者として大学から始めた私は入部当初、知識も少なく、ボールの扱いも酷く、色々とご迷惑かけたと思います。

それでも、プレーヤーの先輩方は私の成長を見守ってくださり、マネの先輩方は基礎から丁寧に教えてくださりました。

渋谷組の先輩方とは毎部活後ご飯に行き、色々なお話ができてとても楽しかったです。ありがとうございました。

コーチとしてもお世話になった常川さん、博雅さん。お二方には本当にお世話になりました。

愚痴や悩み事など、練習の合間などでたくさん聞いていただき、たくさんの励みになるお言葉をくださいました。感謝しています。

美朱さん、璃子さん、葵さん。マネの仕事だけでなく、バレーのルールや、マネのあり方、同期仲の大切さなど、色々なことを教えていただきました。

璃子さんには私たちの最後の秋リーグで写真を撮っていただき、感謝でしかないです。

お三方に1年生の1年間でたくさんのことを教えていただいたおかげで、3年ぶりの試合や行事もなんとか運営できました。育ててくださり、ありがとうございました!

後輩のみんな。

頼りない先輩だったかもだけど、ついてきてくれてありがとう。

いつも「のぶさん!」と話しかけてくれるみんなが愛おしくて、いつもネルギーをもらっていました。みんな可愛い可愛い後輩です。これまでついてきてくれて、頼ってくれて、そして仲良くしてくれて本当にありがとう!

マネの後輩には教える中で厳しいことを言ったかもしれません。特に私が最高学年になってからの1年はマネージャー少ないし、やること多いし、みんなは初めての行事ばかりだし…。結構キツかったと思います。

それでも自分にできることを考えて動いてくれて、後輩が頼もしすぎて私の方こそ助けられていました。仲良くしてくれて本当にありがとう!

女子部や他大学の皆さん。

先輩方より交流や接点は少なかったですが、女子部の皆さんは更衣室で会う際には声をかけてくださり、他大の皆さんはSNSを通じてたまに連絡を取ってくれて、東京に来たときには連絡くれてご飯に行けて、とても嬉しかったです。ありがとうございました!

最後に大好きな同期のみんな。

私が私らしく4年間やり切れたのは、紛れもなくみんなのおかげです。

辛くて苦しくて、マネージャー辞めたいって思ったことはあるけど、部活辞めたいと思ったことはありません。各々悩みがあるのに目の前でバレーボールと真剣に向き合っているみんながいたから、私も頑張ろうと思えました。

一年生の時から、マネだからと壁を作らず仲良くしてくれて…。時には厄介な存在だったかもしれないけど、意見を聞き入れてくれて本当にありがとう。相談事も全部ちゃんと聞いてくれて、「自分らしくいいじゃん」と言ってくれて、本当に嬉しかった。本当にありがとう。最高の同期を持てて幸せ者です。

 

以上がお礼の言葉となります。

本当に周りの方々に恵まれた部活生活でした。

みなさんこれからもご飯行ったり飲み行ったりましょう!

ここからは振り返りコーナーです。

自分の記録用でもあるのでこの場をお借りして書かせていただきます。ぜひ皆さんにもご一読していただけると嬉しいです。

軽く私のプロフィールを今更ながらおさらいしたいと思います。

私は中高6年間剣道部に所属していました。

三段の有段者です。

声がよく通ります。

バレーは中高の授業レベルです。

そんな私がなぜこの部活に入ったか。れは、

・チームスポーツがしたかったから

・みんな全力応援できるから

・当時ハイキューを見ていたから

・マネージャー向いていると友人から言われたから

・駒場キャンパスが家から近かったから(これ大事)

入部理由にしては安直な考えだと思いますが、個人競技の剣道を6年間していた反動でチームスポーツがやりたかったです。

みなさん、剣道は声援禁止なのをご存知ですか?

剣道における応援は拍手のみです。

野次を飛ばすなんてもっての外。ちょっとガッツポーズをしただけで審判から注意されます。

ハイキューを見たのはちょうど剣道部を引退した後。

声援禁止の剣道をしていた私は、チーム一丸となって応援する様子に胸打たれ、大学入学とともに体験に行き、入部することにしました。

入部したいいものの、前述にもある通り、ボールの扱いは酷かったと思います。

とは言え1年生はほんの限られたメニューしかボールを触らず、夏はドリンクをひたすら作っていたら4時間終わっているなんてザラにありました。

ドリンク作りと氷嚢作りと倉庫の掃除極めた1年を過ごしていたらコロナとかいうとんでもないウイルスが流行りましたね。

東京大学に入構できなかった1年半。でもこんなに入れなかったのは我々マネージャーだけ。

プレーヤーは半年間部活停止でしたが、その後1年間マネージャーなしで部活をしていました。

時間管理もトレーニングタイマーを買って対応し、ドリンクも各自で用意し、マネージャーがいなくても部活が回っていました。

「マネージャーなしで部活回っているならマネージャーっている意味あるのかな。」

そう思ってしまいました。

そんな時に先輩や同期と話に出たのが、今となっては定着したマネージャーによるデータ収集でした。少しでもマネージャーの存在価値が上がれば、そう思いました。

部活に参加できない時間でマネージャーの仕事と並行してできるような記録用紙を作りましたが、実践できる場はなく時間だけが経ち2年生が終わってしまいました。

3年に上がると、少しずつ外部練や練習試合が行われ、たまにですがマネージャーも参加できるようになりました。

ですが葵さんが就活で休部していたため、コロナ前まで1年生で、ほとんどボールを触っていなかった私が突然最高学年の立場です。いきなりトップという、意味がわからない、想像のキャパを超えた現実に、焦りと不安でいっぱいでした。部活人生で辛かったランキング2位がこの時です。

ただでさえボールの扱いが酷かった私が、後輩に教えながら、ボールも時間も管理し、新しく導入したデータ記録もし…。

ちゃんと回ってなかったかもですが、怪我人も出ずになんとか練習メニューも回せていたと思います。我ながらよく乗り越えたと思います。

そして!来たる3年の8月!

ついにマネージャーも東大に入構できるようになりました!

申請し続けてくださった主務の先輩方に感謝です。本当に嬉しかったです。

葵さんの休部期間も終わり、本来の3年マネとしての活動ができるようになりました。

しかし、正直私がマネージャーを辞めたくなったのはここからでした。

高校から男バレのマネをしていた経験値の高すぎる2人が私の1年上と1年下で、挟まれていた私は自分の不甲斐なさを日々感じていたからです。周りの目を気にする私の短所が仇になり、これが部活人生で辛かったランキング堂々の1位です。

辛い日々が続きましたが、正解がないマネージャーだからこそ、「自分らしくり切ろう」と最高学年になる直前の秋リーグから思うようになりました。

それでも結局引退1ヶ月前まで、2.3ヶ月に1回しんどいと思う時がありましたが。

自分らしく…。私にしかできないこと…。

私だからチームの勝利に貢献できること…。

それは、よく通る声で選手を鼓舞すること。

誰とでも積極的にコミュニケーションを取ること。

これしかないと思いました。自分の強みでもあり、自分のアイデンティティでもあり、1年生の時から先輩や監督によく褒めていただいたことでもありました。

前の代の秋リーグでも自分の代の春リーグでも七大戦でも秋リーグでも、声が枯れるまで誰よりも応援しました。練習中や試合のタイムアウトでは積極的にみんなに声をかけました。

逆にそれで悩むこともありましたし、過去のマネの先輩と違うマネの形で賛否両論あったと思います。ですが、剣道部引退後にみんなで応援できるこのバレーボールという競技に惹かれた私には、自分の声量を活かした応援をしない選択肢はありませんでした。

私の声がチームにプラスの働きをしていたかは自分では分かりませんが、後輩とも協力して記録したデータたちと全力を尽くした声援が少しでもチームの勝利に貢献していたら、私はとても嬉しいです。

最後の秋リーグ。

感動の景色をたくさん見せてもらいました。

みんなと笑い合えたこと、ハイタッチしたこと、同期と喜び合えたこと、はるかちゃんとゆうちゃんとハグしたこと、一生忘れません。辛いこともたくさんありましたが、この結果のために景色のために頑張っただなと思いました。

「3部昇格」という目標達成の場に立ち会えて幸せでした。ベンチから見たあの光景は一生の宝です。

(下の写真は大好きな1枚です。私泣いていますね。)

以上が振り返りです。本当に色々なことがありましたが、家族の支えもあり、部活ならでは貴重な経験をたくさんさせていただきました。

この部活に後悔はありません。

自分の心の中で決めていた「同期仲を大切にする」「必要とされる人になる」という私個人の目標引退時にもらった同期や後輩からのメッセージカードを読んだ感じ、達成できていたかなと思います。やり切りました。

私の大学生活の全てと言っても過言ではない最高の部活生活でした。

後輩にも後悔のない部活生活を送って欲しいです。

3部での活躍をOGとして見に行ける日を楽しみにしています!頑張れ!

これで私の引退ブログを終わりたいと思います。

長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

東大バレー部にいられて幸せでした。

出会ってくださった皆さんに感謝です。

またどこかでお会いしましょう!

では。

 

 

マネージャー 桑原亘子

引退しました(増田)

先日引退しました。4年の増田です。
部活に割いていた時間を何に充てて楽しもうかとワクワクしていたのですが、卒論バイト卒論…といった具合でなんやかんや忙しい日々を送っております。

引退ブログということですが、「イイ感じの長さ」を目標に書こうと思います。思いを込めるあまりポエミーになっても恥ずかしいですしね、デジタルタトゥーという言葉もありますし気をつけます。
書いてみるとうまくまとまらなかったので箇条書きスタイルにします。程よく飛ばし読みしてください。

○昇格
まずはこれです。これ以上ないほど良い形で引退を迎えることができ、部活への未練を感じすぎることなく清々しい気持ちで引退ライフを送ることができています。
一つ上の先輩方が引退し、残されたのは我々4年生と生意気な後輩たち…そしてコロナによる活動休止や春リーグでの渋い敗北…というかなり不安なスタートを切ったこの代でしたが、終わりよければすべてよしですね。

…とまぁフワッとしたノリで書きましたが昇格は本当に嬉しいです。きっと今後もあの瞬間を思い出すだろうなと。圧倒的リーダーがいるわけでもなく、スーパーエースがいるわけでもないこの代で、チープな言葉ですがまさに「みんなで掴んだ」昇格だったのが嬉しさを際立たせます。

○東大バレー部
近い先輩方と同期は知っていますが、僕は当初バレー部に入るかどうか長く迷っていました。今では入学時特有の「何か新しいこと始めたい」という一時的な精神の乱れに惑わされず本当によかったなと思います。
バレー部で学んだことと言うと大袈裟ですが、入部したことで多少自分の考え方が変わったなと思います。以降ポエミー注意。

僕がバレーボールを続けてきた一番のモチベーションは、うまくなって試合で活躍することでした。スポーツってそういうものだと思います。が、僕の場合それで周りが見えなくなるというか、自分のプレーに一喜一憂しすぎる節がありました。自分の調子がいい日はチームが負けても精神的にノーダメージ、みたいなことも普通にありました。
基本的なスタンスは変わりませんが、この4年間を経て以前の自己中な自分がちょっとはマシになったかなと思います。他人のプレーに大喜び/ブチギレしたり、コートの外からでも必死に声を出したり、手のかかる後輩の扱いについて真剣に考えたり…。
頭では分かっているつもりでしたが、
・チームへの貢献の仕方として、自分がしたいやり方と、実際に一番チームのためになるやり方の乖離が起こることがあって、それは結構しんどいこと
・どちらのやり方を選ぶにせよ、信念を持って全力投球するのが大事であること
・そしてそれを実行している人は、どういう立場にあっても尊敬に値すること
といったことを実感できました。
めちゃめちゃ綺麗事感ありますね。あー恥ずかし。

○後輩
先述しましたが後輩たちは基本的に生意気です。
が、それでも憎めない、というか可愛いんですね。当然今までも後輩がいたことはありますがここまでの愛情(?)を感じるのは大学が初めてです。

まずはプレーで大きく活躍してくれたことに感謝したいです。今回の昇格は後輩たちがいなければ叶わなかったです。
そして慕ってくれたことに感謝です。バレーがめっちゃ上手いわけでもなく、笑いのネタを量産できるわけでもない僕ですが、先輩としてそれらしくイイ感じに扱ってくれたかなと思います。

後輩への期待とかは正直特にないです。ささやかな願いとして、できれば強くあってほしい、居心地の良い部の雰囲気を受け継いで行ってほしい、と思います。
頑張ってください。飯いきましょう。

○同期
4年生は本当に仲がいいよね、といろんな人が言いますが、本当に仲がいいです。
項目作りましたが意外と書くことなかったです。引退しても、そしてこの先社会に出ても、会おうと思えばいつでも会えるような気がします。まぁ飲みにいきましょう。積もる話はその時に。

引退しましたが、あくまでガチのバレーをやる機会が減ったというだけです。どこかのチームでゆるくプレーするか、プロチームに推しを作って応援するか(もちろん東大バレー部も応援します)、あるいは指導者をやってみるか、…と、今後も何かしらの形でバレーと関わっていこうと思います。

最後に好きな写真を貼っておきます。

以上です!!!お読みくださりありがとうございました!!!

#13 増田

引退しました(藤野)

こんにちは。

先日の秋季リーグをもって東大バレー部を引退しました藤野瑛汰です。

近況報告ですが、部活がなくなった時間分そのまま研究をやっているだけで、卒業論文の執筆のために本郷キャンパス工学部2号館及び自宅でひたすらPCをカタカタやっています。来年からは大学院に進学して、引き続き学業中心の生活を送ることになりそうです。

バレーボールをやる機会は激減してしまいそうですが、部活の練習とは違い、結果を意識せずにただただ楽しむだけのバレーを年に数回でもいいのでやりたいです。

4年間のバレー部生活は長いようで短く、あっという間に自分が引退ブログを書く出番が回ってきてしまいました。

まずは、自分たちが東大バレー部としてバレーボールをできるような環境を作ってくださったOB、OGの皆様方、指導してくださったコーチ、監督の方々に感謝を伝えたいと思います。

そして当たり前ですが、バレーボールは個人競技ではなくチームスポーツなので自分1人ではできません。自分と4年間バレーボールを一緒にやってくれた、先輩方、後輩、さらに、練習や試合など至る所でバレー部を支えてくれたマネージャーの方々、そして何より4年間バレー部生活を共にした同期のゆーすけ、のーまる、ますだ、のぶにも感謝したいと思います。

さて、4年間を振り返ってみるとあまりにも内容があり過ぎて頭の中で整理することができません。その整理のためにこの引退ブログを活用したいと思います。この引退ブログを読む方は自分がどのようなバレー部生活を送ってきたのか、ちょっとでも知って「ふーん」と思っていただければ嬉しいです。自分語りがふんだんに盛り込まれているので、流し見でもオッケーです。

1年生

初めはあまり試合に出る機会がなく、悔しいという思いよりも自分の無力感を感じていました。それでも代が変わり、新しいチームになると少しずつ試合に出させてもらうようになりました。試合に出ることで、自分が点を決め、周りのみんなが喜んでくれるという経験をすることができて、この頃は充実したバレー部生活を送っていたと思います。

そして、試合に出始めて1ヶ月ほど経ち、春リーグ目前の1年生の3月頃、新型コロナウイルスの流行が開始し、練習は停止となり、春リーグもなくなりました。

2年生

練習が再開したのは、2年生の8月頃だったかと思います。それまでバレーボールができる機会が全くなく、とりあえずひたすらランニングをしていました。部活がない5ヶ月間で合計500kmくらい走りました。走りすぎました。多分ランニングよりジャンプ系の筋トレとかしてた方が良かったと思います。

七大戦もなく、秋リーグは公式扱いではなく代替試合として行われ、また代が変わりました。この頃は、あるかどうかわからない試合に向けて練習をするという、かなりモチベーションを保ちづらい期間でした。

3年生

この年も春リーグがなくなるという状況からのスタートでした。そして、東大バレー部人生最大の後悔ポイントがやってきます。詳細は省きますが、練習中の単独事故により利き手の右手の第4中手骨(薬指と手首を繋ぐ骨)が真っ二つに折れました。手術を行い、固定はしましたが、骨がくっつくまで4ヶ月もの間、バレーはできないけど部活には行くという生活が続きました。正直、かなりきつかったです。

秋リーグは無事に開催され、それまでにはなんとか復帰できましたが、リーグ初戦で途中から交代で出場し、負けて昇格を逃すという、最悪な結果となってしまいました。怪我がなければ、もっとチームの力になれていたのではないかと思うと、やはりこの怪我が悔やんでも悔やみきれません。そしてまた代が変わり、自分たちの代になりました。大エースだった、はくや(さん)が抜け、さらにスタメンがほとんど抜けた状態からのスタートでした。

4年生

春リーグは4部の12大学中7位という昇格から程遠い結果となってしまいました。この結果に対しても、自分のプレーに対しても、かなり悔しさ、情けなさ、恥ずかしさを感じました。この頃から、焦りを感じるようになり、より練習、トレーニングに取り組むようになりました。

この年から復活した七大戦では、結果としては4戦中2勝2敗でしたが、チームとしても、個人としても、少し成長を感じました。少なくとも春リーグが終わった後から見れば、明らかに良くなっていたと思います。

そして先日の秋リーグ、自分が東大バレー部に入部した時から部の目標として掲げられていた「3部昇格」、これを成し遂げることができました。1年前にスタメンがほとんど抜け、春リーグで半分より下の順位だったチームが秋リーグで昇格。チームとして、部として、確かに成長したと思います。自分としても、昨年よりは少しだけチームの力になれたと思います。

以上、4年間を振り返りましたが、何はともあれ最後に「3部昇格」という結果を残して引退することができて本当に幸せだなと思います。自分たちの代は人数が少なかったので後輩たちにかなり支えてもらってこの結果があると思います。本当に感謝しています。

後輩に伝えたいことはあまりありません。後輩たちは自分たちで考えて好きにバレーをやってください。これからはただの観客として東大バレー部の試合を見に行きたいと思います。頑張ってください。

#3 藤野

〜〜以下、思い出

三大戦の新人戦。当時の大エースはくや(さん)を1年生とみなす法外スレスレの手段を用いて、2戦2勝。問題はない。というか人が足りていなかった。

新歓で立て看板に釘を打ち込むゆーすけ。この立て看ができたと同時にコロナで大学に入れなくなって新入生がこの看板を見ることはなかった。それでも入ってくれた今の3年生ありがとう。新歓代表より。

闇ビーチバレー。このビーチバレーのせいでその後一ヶ月くらいオーバーパスのハンドリングが狂った。けどかなり楽しかった。

最後の七大戦。7大学中生き残った3大学の中でチームは準優勝。個人としてもスパイク賞と猛打賞を取ることができた。院試を捨ててスパイクの方を頑張ったので、何とか報われて良かった。

東京体育館で練習試合があった時の写真。4チームしかいなかったので完全に体育館の規模がオーバーキルだった。スパイクはめちゃくちゃ打ちづらかった。「東京体育館のセンターコートでバレーしたことある」というマウントを取れるようになった。

3部昇格の瞬間。この瞬間のために大学4年間バレーボールをやっていたと言っても過言ではない。3セット目最大6点差からの逆転勝ち。正直結構危なかった。5試合中3試合もフルセットをやって肉体的にも精神的にも疲れた。人生で初めて嬉し涙が出た。

引退ブログ: 前女子部副将 水間(凪)

こんにちは、4年の凪です。
私も遂に引退ブログを書く番がまわってきたのかと思うと、なんだか不思議な気分です。
公の場で自分について語ることはあまり得意ではないので、簡潔なものに留めようと思いますが、同期の引退ブログの箸休め程度に読んでいただければ幸いです。

部活を引退した今、私には何が残っているのか、この4年間で何を得たのかを考えてみると、それは「人との繋がり」と「内面的な成長」の2つなのではないかと思います。

まず、人との繋がりに関しては、入部してから今までに、本当に多くの尊敬できる方々と出会えたことを、とても有難く、嬉しく思っています。バレーの技術に関してももちろんですが、プレーや部活に対する姿勢、物事全般に対する考え方など、人として尊敬できる方々と沢山出会うことができました。東大バレー部の人は年齢の上下に関わらずそのような方ばかりで、現役の頃からずっと素敵な方達の集まりだと思っていました。
また、深い繋がりの仲間をもてたことも部活を続けていたからこそ得られたものの一つだと思っています。私がサークルではなく部活を選んだ理由の一つに、所属する人の雰囲気があったのですが、4年間を通してこの選択は間違いではなかったと感じています。女バレは個性豊かなメンバー揃いですが、皆根が真面目で頑張り屋な人ばかりなので、一緒にいて楽しいのはもちろん、安心感を感じられます。私は中高の部活仲間で今でもご飯に誘うような友達がほぼ1人しかいないような人間ですが、東大女バレで関わった方々とはもっと長い付き合いができればと思っているため、ご飯等自分から積極的に誘えるように頑張ります!(でもたまに誘ってもらえたりもするととても喜びます!)

次に、内面的な成長についてですが、私は中学の時の顧問に「この先プロとしてバレーをやる人は多分いないだろうから、バレーの技術以上に人間として成長してほしいと思っている」と言われたことが心に残っています。私はこの4年間人間的に成長しようと思いながら部活に行っていたわけではないけれど、振り返ってみて思うのは、バレーに向き合うということは自分自身に向き合うということであり、中高以上にバレーに熱中したこの4年間では、入部当初と比べて精神的に一回り大きく成長できたのではないかということです。部活を続けていく上で辛いことはもちろん沢山あったけれど、辛さの分だけ成長できたとも思うので、部活に入ってやっぱり良かったと思っています。

最後に今までお世話になった方々へ感謝の言葉を述べさせていただきます。
現役の活動を支えながら、試合会場に足を運んでいただいたり、ブログやSNSを通して応援してくださったOB・OGの方々、チームのために多くの時間と労力を割き、技術的な指導や精神面のフォローをしてくださった監督・コーチの方々、優しく面倒を見てくれて目指すべき姿を示してくれた先輩方、4年間苦楽を共にし、1番近くで支え続けてくれた頼りになる同期、ひたむきにバレーと向き合う姿でいつも刺激を与えてくれたかわいい後輩たち、
東大バレー部を通して関わった全ての方々に心より感謝申し上げます。

今後はいちOGとして東大バレー部の活躍を楽しみにしています。今まで本当にありがとうございました!

(↑今まで関わってくださった全ての方々にこのBIG LOVEを送ります!)

#15 凪

引退ブログ: 前女子部主将 後藤(あお)

長い2部構成なので①の該当のメッセージだけは読んでくれたら嬉しい。
①お世話になった皆様へのメッセージ
②自己満のために書きたいことツラツラ
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①お世話になった皆様へのメッセージ
<赤門クラブのOB OGの皆様>
1年間様々な形で私達の活動を支えていただきありがとうございました。金銭的な面はもちろん、練習や試合にも度々足を運んでいただいたり、応援のお言葉をくださったりと皆様の支えがあってこそこの1年間やり切ることができました。こうした皆様からの支えの大きさや応援のお気持ちという点は主将となった今年1年は特に強く感じました。また諸先輩方が引退後30年40年経ってもなお仲良く楽しくお話しなさっている姿を見て、なんだか温かな気持ちになるのと同時に自分の4年間の思い出と仲間もそのような素敵な形で将来に繋がったらいいなという気持ちになりました。
<直属の先輩の皆様>
[3個上の先輩方]仲良くして面倒を見てくださる先輩がたくさんおり、とにかく楽しい1年間を過ごさせていただきました。いつも練習に活気があり1番楽しい1年でした。そして引退試合含めて試合に応援に来てくださったり相談に乗ってくださったりと最後まで大変お世話になりました。
[2個上、1個上の先輩方]人数も少なくなり、よりアットホームな環境で密にコミュニケーションをとり、またコロナ禍も乗り越え、一緒に頑張ってきた先輩方だなという印象です。プレーでもチーム内での振る舞いでもそれぞれに尊敬する点がたくさんありました。ご迷惑もたくさんおかけしましたが気長に付き合っていただきありがとうございました。引退後も練習に付き合ってくださり大変助かりました!
<直属の後輩のみんな>
[3年]3人とも半分同期みたいな気分で付き合ってたわ。ラスト1年は3人の支えなしにはプレーでもチームづくりでも全く成立しいてなかったと思う。何度も言うようだけど3人が一個下の後輩で最高でした。ありがとう。応援してる!
[2年] この2年で全員驚くほど上手くなったし、チーム内での存在感も増して頼もしくなったなとヒシヒシと感じてた。代初めの合宿mtgからの変貌に改めてびっくりしてる。最高学年の1個下の在り方がチームにとって非常に重要であるなというのはこの4年間で強く感じたことなので、来年の自分の代のためにもこれからの1年でチームのために自分ができることを模索して意識的に一つでもいいからやっていってくれるといいなあと思ってる。がんば!
[1年]短い間だったけど一緒に部活ができて良かった、ありがとう。おもろい子が多いからいつも笑顔と若いパワーをもらってたわ笑。まだまだこれから長いと思うので成長楽しみにしてる!
<今井さん,ゆうりさん>
本当にこの1年間ありがとうございました。たぶん色々と思わせてしまう部分や悩ませてしまう部分もあったと思うのですが、言うべきことは遠慮なく伝えてくれて(その時の私の器上、処理しきれない点も多々ありましたが)全ての練習に参加して最後まで私たちに付き合ってくれて感謝しかございません。お二人に監督コーチをお願いしてよかったです。
<同期>
4年間おつかれさま。そして本当にありがとう。2人がそれぞれの立場や環境でそれぞれ辛いことに正面から向き合って日々努力していたのはよく知っていたし、本当に心から尊敬していたし、そうした姿に支えられた4年間だった。ラスト1年は例年主将に集まりがちになっていた仕事を多く分担してやってくれたおかげで、バレーやチームのことなど注力したい分野に意識と時間を集中することができたわ。また迷っている時に違った角度の意見をくれたり、長い相談や愚痴にも付き合ってくれたりしてくれてありがとう!(そうでなきゃ多分病んでた(笑)) フツーに好きよ。これからも仲良くしてね笑

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②自己満のために書きたいことツラツラ

<総括>まず今年の結果は秋季リーグ5部9位、3勝3敗という形で目標としていた4部昇格には遠く及ばぬものとなった。故にこの1年は美化できないし肯定もできない。が、それだけ高い目標、理想を描いて挑戦できた証拠だし、また日々は楽しく得たものしかなかったので悔いのない充実した4年間だった。

<2022/9/25> 秋リーグ初日。2連敗。一方的ゲーム展開で明らかな実力差のもとで惨敗。この時点でほぼ4部昇格の目標達成は不可能となった。
惜しい戦いで負けて悔しいとかではなく、相手の実力は認め賞賛せざる得ない。が、最後まで5部上位のチームに比肩する実力に持ってくることができなかった不甲斐なさと無力感に苛まれた。なぜそんなにも落ち込んだ上になおも未消化なのか。(引きずらないタイプのはずだけど、)たぶん理由は2つある。第一にそれはこの4部昇格の達成のために(側からの評価はどうであれ)私自身は私自身のベストを尽くし切ったと自信を持っていえるが故にそれが自分の色々な意味の実力で本気を出せばできるみたいな言い訳ができないからだ。もちろん反省点や改善点はたっくさんある。しかしその時々の自分は正解がわからない中、余計なことを考える自分と葛藤しながらその時に自分が思考・行動できることは最大限行ってきた。自分に期待しがちなために(傲慢ですね )厳しい現実だった。第二に大学生活の大半の時間も意識も部活に捧げたにも関わらずそこで結果を出せなかったことで自分には何も残らないと感じたからだ(特に直後は)。トレードオフとして捨てたものもたくさんある(もちろん後悔はないし新入生に戻っても同じ選択をする)。まとめると自分の実力のなさを身にしみて感じかつ認めたくない&自分の4年間の大学生活が否定されたかのように感じたの2つである。

書いていてまあnegativeかもなと自分でも思う(笑) でも社会の多くの場面で結果が全てという価値観は一定支持されているものであるだろう(資本主義社会だしね)。特に勝利を最優先目的とする体育会の部活ではどんなに崇高な理想(チームの在り方や方針)を語ってもどんなに努力をしてもそれは勝ちという結果の前でしか肯ぜられないだろう。どちらにせよ結果というもので他者は我々を評価せざる得ないし、自分達も同様だ。無念。が、落ち込んでも何も生まれてこないので、ここで得たもの(非常に多岐にわたる。結果を出せなかった事実とその反省も含む。)さらに先に生かしていきたい。少なくとも今のところ、ずっと与えられる側で楽しく幸せな日々を過ごさせてもらってきたのでこれからはそれを少しでも社会に還元する人生を送りたい。

<2021/12/18>代替わり。合宿初日。目標は4部昇格。なかなかに野心的だと感じた。チームコンセプトは愛あるチーム。全員がチームに対してお互いに対して愛を持って主体的に良い影響を与えられるように行動し、ボトムアップで全員でチームを作り全員で勝ちに行くチームを目指した。両方を実現して、最高の仲間と昇格という最高の瞬間を分かちあいたいと思った。理想を口で語るは易いが現実はそう甘くはなかった。結局これらを実現することはできなかった上に、目指す道のりも楽ではなかった。
<ラスト1年全体>(赤門会報に書いたので省略。)
まず個人としては”尊敬される主将”ではなく”応援される主将”を目指した。チーム内の心理的安全性を確保するためにも、自分の変なプライドが邪魔しないためにも、そもそもの自分の技量と器を鑑みて決めた。成否はどうあれ意識し続けることはできた。
またチーム全体に対しては上述の目標やコンセプト以外に①強制力をできる限り使わないでなるべく仕組み仕掛けで対処すること②常に明文化して共通認識をしっかりとることの2つを意識した。このもとで色々とトライアンドエラーを繰り返すのは楽しかった。が、時に強制力も一定使うべきだったかもとは思う部分はある。

次にキツかったことを殊更に強調するのもダサいと思いつつも少しだけ(誰か同じtypeの後輩の参考になれば、、)。やはりチーム、個人の理想と現実のギャップが常に自分を苦しめてきた。いつまで経ってもチームとして結果を出せない日々。個人としては試合中にレセプはミスるわ点は取れないわ全体の雰囲気も悪くなるわで主将なのにエースなのに何をしているんだ自分はという時。(そしてその現実から逃避するかのように自主練や筋トレという行動量で自分を追い込む日々。でも意図なきセンスなき不適当な脳筋な努力では現実は変わらん。)でもその時々で支えてくれる人がいたからやってこれた。感謝。

色々あったけど楽しい瞬間も辛い瞬間もたくさん経験できてすごく充実した4年間だった。(結果が出せなかったのはほんと心残りだが、おばあちゃんになるまで心残りである自信がある、)。入部の決断を正解にできた。入部式の抱負で述べた「チームに+の影響を与える人間になる」も多少はできたはず。大好きなみんなと一緒に頑張ってこれてよかった。みんな本当にありがとう。
#3 あお