こんにちは。

先日の秋リーグで引退しました4年生の飯高です。

最近はすっかり寒くなり布団から出るのがしんどい季節になってきたなぁと感じています。引退前は部活にあてていた時間でやりたいと考えていたことがたくさんあったと思うのですが、実際のところは研究室にいる時間が少し伸びたといった感じです。まぁそんな気は少なからずしていました。理系の宿命といったところでしょう。

引退ブログということですので、とにかくダラダラと思い出を振り返っていきたいと思います。読んでやってもいいという方はお付き合いください。

・1年10月

入部しました。僕たちの代が入学した年はちょうど某感染症の影響で授業や課外活動の制限がされており、夏ごろまで部活やサークルの活動はできていませんでした。バレー自体高校からなんとなくで始めたものだったので大学で部活に入ってまでバレーをするつもりは入学当初の僕には全くといっていいほどありませんでした。しかしながら、自粛生活を送っているうちに運動したいという欲が高まりに高まり、サークルもいくつか見学に行きましたが、迷った結果、安定して活動もでき、先に入部して部活の様子を報告してくれた後の同期の誘いもあって部活への入部を決めました。感染症がなければ部活には入っていなかったでしょう。そういう意味ではラッキーでしたね。

・1年11月〜

明本さんたちが引退され、河田さんの代になりました。頑張る気はすごくありましたが年明けすぐの練習から自粛期間に突入し、またバレーができない時期が続きました。

・2年4月〜

ほとんど1年としてバレーをしないまま2年になりました。この頃は活動も再開したばかりで、ゲーム練なんかは特に楽しかったです。新入生もたくさん入部してくれて安泰だなぁと思っていました。が、その1年生たちがちょっと上手すぎましたね。もはや感心していました。上手い後輩たちがとてもいい後輩ばかりで助かりました。はくやさんと淀川とわちゃわちゃ練習してた記憶があります。

・2年11月〜

河田さんたちが引退され、川辺さんの代になりました。この代が始まってすぐに足を捻って救急車で運ばれることになり、しばらくバレーができなくなりました。めちゃくちゃショックでした。やっとバレーができるようになったと思いきやコロナで活動停止になりました。

・3年4月〜

3年になると今度は大学がかなり忙しくなり、平日練習も送れるようになりました。1限から授業を受け、昼から実験、終わり次第部活に行き翌朝また1限といった感じのスケジュールで流石にしんどかったです。

・3年7月

ここが僕のバレー部での最大のターニングポイントでしょう。東商戦が駒場にて開催される日の朝、普通にアップをしていたら柳川さんに「飯高さん今日ミドルで使いますよ(わら)」と言われました。というのも同期のミドルのショーウがその直前に留学に行き、残ったミドルが膝の悪い徳永くんと入部したての上久保だけだったのです。ミドル大丈夫かなぁとは思っていましたがまさか自分がするとは思っていなかったので衝撃でした。振り返ってみるとここでミドルに転向したのは正解だったなと思います。もちろんレフトをやりたいという気持ちはかなり強かったので迷いはしましたが。

・3年8月〜

初の七大戦。楽しかったですね。ラッキーなことにブロック賞ももらえました。ここでかなりチームが勢いに乗ったのではないかと思います。個人的にもこの七大戦で成長できたと思います。そして秋リーグ。昇格できました。川辺さんが七大戦のときに「七大の雰囲気が秋リーグにつながる」と言っていたのがまさにという感じだったなと思います。

・3年11月〜

川辺さんたちが引退され、最高学年になりました。とはいえど最高学年になったからといって僕自身の何かが変わったわけでもなく割と伸び伸びとプレーしていました。年明けには突き指と思っていた指が実はヒビが入っていたことが判明し、少し休みました。こうして振り返ると無事に乗り越えることができた冬は一度もありませんでした。未熟です。

・3年3月〜

ここからは試合がいっぱいありました。東商戦は怪我もあり試合に出ることはできませんでしたが、その後の三大戦はとてもいい経験になりました。初めて他大の選手と飲みに行って仲良くなれました。このような繋がりは部活でないとなかなかできなかったと思います。ここで改めて部活入ってよかったなぁと思いましたね。三大戦の直後には福島合宿もありました。バレーを始めてから合宿を経験したことがなかったため、どんなものかと思いましたがひたすらゲームを回す会でしんどかったです。二日目には相手の足を踏んで捻挫しました。みんなボロボロになって東京に帰りました。

・4年4月

ついに4年生になりました。春リーグはもうかなりしんどかったです。場所も遠いし、朝も早いし、5セットマッチで相手は強いしでもう散々でした。後輩たちにはもう一度昇格して今度こそ3部で勝ってほしいなと思います。頑張ってください。

・4年7月〜

双青、(院試、)七大とあっという間に過ぎていきました。この頃は本当にしんどかったです。この頃というか最高学年になってからは、昇格したこともあり試合相手がどこも強く、なかなか勝てなかったので個人的にはずっとしんどいなぁと思っていました。双青は京大の同期と飲んで仲良くなれたのがよかったです。七大は1年生に混じって新人として頑張りました。七大でも他大の人と仲良くなれたことが嬉しかったです。ここも入部しよかったポイントですね。

・4年10月

秋リーグ。昇格ならず。悔しかったですね。最後の順位決定戦は新人戦も経験できなかったこの代で試合ができ、久々のサイドもできたのですごく楽しかったです。最高の引退試合の場を設けてくださりありがとうございました。

という感じでダラダラと振り返ってみましたがちょっと長くなり過ぎました。果たしてここまで読んでくれている方はいるのでしょうか。読んでくださっている心優しい方はもう少しだけお付き合いください。

振り返りでも出てきましたが、僕が部活での生活を通じて本当に良かったと思うことは、交友関係が広がったことです。バレーが多少は上手くなったことなどももちろんプラスですが、それ以上に他大の人や、先輩方、後輩、そして同期に本当に恵まれ、良い人たちと出会えたなぁと心から思います。綺麗事でちょっとしんどいですね。でも本当にそう思います。僕自身かなりのうのうと生きてきたのですが、これほどまでに大学生活が充実したものとなったのは偏に部活のおかげと言えるでしょう。何度かはやめようかと思いましたが引退した今となっては最後まで続けて本当に良かったなぁと思います。後輩たちには無理せずに楽しくバレーを続けて、たまには一緒に飲みにでも行ってほしいなと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!