あけましておめでとうございます。
3年のほのです。
紅白の関ジャニ∞ご覧になったでしょうか?
オモイダマよかったですねぇ…
まるのおちゃらけからの真面目な表情たまらんです…(´∀`)
真面目に書くように部員に指示したのは私なのでこのへんでやめておきます。
可愛い弟子(棒)から指名されたので、弟子よお前は俺かとか、もうまわってくんのかいとか思いつつ最近考えたことをつらつら書きたいと思います。
最近思い出す言葉が2つあります。
一つは「東大の運動会ほど機会損失の大きい場所はない。」
運動会に所属されている方なら一度は聞いたことがあるのではないかと思います。
コピペなどでよくある話でいえば
「東大生は、家庭教師をすれば時給3000円もらえる。一日5時間。週5日。それを1年続けたら、390万円稼げる。そんなに稼げるのは、世界でも5%の人間しかいない。それだけ貴重な時間を使って、俺たちはラクロスをやっている。この意味が、分かるか?」
また、ノーベル賞やそれに匹敵する類まれなる功績をあげるであろう人がすぐそばにいるのが東京大学という環境です。
そんな大げさな話でなくても、私が手首でスパイクを打ったりサーブをネットにかけたりしている間に、周りの人はインターンにいったり学術書を読んだりしているのをひしひしと感じます。
二つ目の言葉は高校時代の英語の先生の言葉です。我が愛光54期は「史上最低の学年」「呪われた54期」と呼ばれ、退学者が40人を超えるというウルトラな学年でした。
「お前らの周りにもこの学校辞めた奴らがおるじゃろう。そいつらはのう、自分で自分の道を選べる奴らなんじゃが。かっこええんじゃが。」
「お前らは現状に甘んじとるだけよ。このまま漫然と過ごしよってものう、ただのつまらん愛光生の1人で終わるわい。それが嫌なら考えてください。やることやってください。結果出してください。」
何が言いたいかと言うと、この一年を私は自分が東大バレー部に存在したことを形で残す一年にしたいと考えています。
これまで試合に出たいプレーで活躍したい、それだけを考えてがむしゃらにやってきました。
その結果、上手くなったよくなったとお褒めの言葉を誰よりも頂いてきたと思います。それは大きな自信になり、ここまで私を強い力で押し進めてくれました。
一方で、後輩にめきめきと追い抜かれ日々焦り苛立ち、いまいちパッとしない自分がいるのも事実です。
「栗田七帝の後やめちゃうかと思ってた。」
4月に同期に言われました。
私もそう思ってました。
じゃあ今なんでこうしているんだろうと考えると、たぶん他の人のように「バレーがすきだから!」と言い切るような、そんなかっこいい理由ではなく
もうちょっとやればもうちょっといける気がする とか
なんかもったいないな とか
そんな感じなんだと思います。
その感覚をだめだと思ったことはありませんし、プレーで向上できるところはたくさんありますが、たぶん全く同じ気持ちであと一年やったとして、引退したら私は「栗田?あぁそんな人いたね。」で終わってしまうと思うのです。
歴史文化学科的に言うと歴史にifはないのですが、私にはどんな機会があったのでしょう、どれだけの機会を失ったのでしょう。
その分の何かを得られているのでしょうか、その機会を失ってまで私が東大バレー部にいる意味はあるのでしょうか。
答えが出るのかはわかりませんが、意味は自分で見出すしかないということは感じています。
いい加減長すぎるので、今考えている作戦の全貌については明らかにしないままにしておきます(笑)
全然伏線回収してないですね(笑)
ただ私が強みにできるものは何かと考えると、「言葉」「観察」に行き着くのかなと思います。そしてそれがチームの勝利に結びつけば大成功です。私の存在意義はあったと言えるでしょう。
真面目に書くの物凄く恥ずかしいですね、飲み会とかで話題にされたら恥ずか死するなぁ(´∩ω∩`*)やめてくださいね(笑)
弟子から指名されたので、じゃあ私は下クラを指名しようかと思います。というわけで次はあんでお願いします!
#6 ほの