こんにちは。4年の栗岡です。
谷田部の期待を受けつつ、真剣に書いていこうと思います。
先日、ついに引退しました。中学校から数えて10年間のバレー部人生でした。
谷田部も書いていましたが、1セット差で入れ替え戦に進出することは叶わず、3部3位という結果です。
最終戦である順位決定戦では今までで最高のゲームができて、良かったと思う反面これをもっと早くできていれば、という悔しさも強く感じましたね。
僕は東大バレー部では、幸いにも1年の初めから試合に出させていただき、4年までほぼレギュラーで出ることができました。
というよりも、今にして思えば中学でも高校でも1年の初めから試合に出させてもらっていました。特に中学でのデビュー戦は思い出深く、パスもできない状況でチームの欠員が原因で突然出ることになり(しかもセッター)、初球いきなりボールをキャッチトスするという幕開けでした。そのあと全員に笑われたのは言うまでもありません。試合に出る機会に恵まれたおかげで上手くなることができ、とてもあり難かったと同時に、自分の実力以上に評価していただくことが多かったな、というのが素直な感想です。
話を戻すと、1年から試合に出ておきながら本当に最悪な人間性をしておりまして、色々な方に迷惑をかけ怒らせという問題ばかり生む部員でした。そんなトラブルメーカーが4年間部活を続けられたのも、主将を任せてもらえるようになったのも、一重に先輩や同期、後輩たちやスタッフの方々のおかげです。本当にありがとうございました。
そんな波乱万丈なバレー部生活でしたが、その中での思い出を恣意的に切り取って書いてみます。一度もウケなかったロシア人、谷田部がなぜかツボに入っていたICカード、ロケーションも相まって高評価だった富士山、そして幻の大当たりである劇的ビフォー・アフター。色々なことがありました。
さて真面目に書くと、個人的にはやっぱり富士中での自主練が記憶に強く残っています。4年の時には行けなくなってしまいましたが、3年間毎回田内さん・京さんとは顔を合わせていました。3人で練習することもちょいちょいあって、なんだかんだ一番お世話になったお2人でした。そのおかげでいまだにこのお2人へのトスの感覚は残っています。
だらっと書いてしまいましたが、ぜひ後輩みんなには自主練をやってもらいたい、というメッセージとして受け取ってほしいです。富士中行こう。
さてさて、長くなってきたのでこのへんで切りますが、12月の赤門大会では同期や先輩方と一緒に、現役に勝ちにいこうと思います。今から楽しみです!
最後に、常日頃僕たちを気にかけてくださり、ご指導いただいたスタッフの方々、ご支援・ご声援をいただいたOBの皆さま、迷惑ばかりかけつつも僕を引っ張っていただいた先輩方、僕に不満を持ちつつも最後までついてきてくれた後輩たち、そして、4年間をともにし喧嘩もしつつともに練習や試合に励んできた同期に、心からお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。
後輩たちには、何としても昇格してもらいたいですね!
特にセッター3人(いとしゅんの健康・川田のジャンプ力・なぎまのメンタル)には個人的にかなり期待しています!
日曜日から練習再開ですね。
体力的にキツい期間になると思いますが、頑張ってください!!!
#3 栗岡 知也