お久しぶりです、4年のふうです。

引退してはや2ヶ月、今日はクリスマスイブなのに1限にきています。相変わらず講義や実習やテストに追われる日々です。同期にブログの催促をしていたら、めちゃめちゃ口うるさいブログおばさんみたいになってましたが、後輩には感謝してもらえたのでそれでもいいことにします。

さて、ここからは例に漏れずたぶんとても長くなりますが、最後だと思って何となく読んでください。チームのことについて私が語るのも何だか変なので、個人的なことを中心に書きたいと思います。

いま部活をしていた3年半を振り返ると、なんだか夢の中の出来事だったみたいで現実味がありません。それでも、長かったなぁとは思います。ほんとうにいろいろなことがあった3年半でした。

入部した直後にみんなと比べて大幅に出遅れていてなかなか練習にも入れなかった時は、たしかに体力面など色々きついこともあったけれど、自主練をしてできなかったことが1つずつできるようになる楽しさ、みんなが色々なことを教えてくれて成長をいっしょに喜んでくれるうれしさ、同期や先輩のプレーを見るワクワク感、どれをとってもすごく幸せでした。バレーボールをすることが本当に楽しくて、部活の日が待ち遠しくて、昼休みや空きコマやオフ中にも、ずっと体育館に通っていました。

でもバレーボールをプレーすることを楽しい、好きだと思えたのは、はじめの1年半ぐらいでした。同期や後輩と自分を比べてしまって、思うように成長できない焦り、やりたいプレーがどうしてもできない悔しさ、せめて人として先輩のようにならなくてはと思うのに背中が遠すぎることへの苦しさ。今まで沢山の指導をしてくれていたスタッフさんや先輩方が段々いなくなっていく中でそんな気持ちが大きくなっていってしまう自分がいました。

自分のことばかりでチームのことだけを一途に考えられない自分がこのままここに居続ける意味があるのか、先も見えないのにもう頑張りたくない、という思いが強くなりすぎた時もあり、たくさんの方にご迷惑やご心配をおかけしたと思います。

そんな中で大きかった出来事は、怪我で半年以上プレーから離れたことだったと思います。2年生の冬頃から我慢していた痛みが悪化して、病院では完治には1年かかると言われました。1年も安静にしたらそのまま引退してしまう、でもプレーを続けるのもその段階では難しく、結局七大戦も、秋リーグも、赤門大会も、バレーをすることはできませんでした。

じっとしているのもしんどい状態で毎回の練習に行くのも意味が見出せずにとても憂鬱でしたが、中でもアップすらできない中で1週間つづいた七大戦は想像以上に辛くて、たくさん泣いてしまいました。自分のことでいっぱいいっぱいで、気遣ってくれる仲間にも応えることができなかった時もありましたし、何の気のない仲間の言動に勝手に穿った見方をして傷ついてしまうこともありました。

でも、怪我をしてよかったとは思わないし言ってはいけないと思いますが、プレーが嫌いになってしまっていた時にそこから少し離れて仲間たちを客観的に見ることができたことで、一人一人の努力や、思いや、優しさや、何よりバレーボールというスポーツの素敵なところに気づくことができたと思います。うまくいかなくて悩んでいる仲間を見た時は自分まで心が痛くなったし、苦しんでいたのを見ていた同期が試合で活躍した時には泣いてしまうほどうれしかった。みんなが笑顔でプレーしている姿も、はじめは見るのが辛かったけど、バレーボールの良いところがギュッと詰まった女バレの試合がわたしに元気や勇気をくれ、「女バレが好き」という気持ちを思い出させてくれました。

正直復帰してからも思うようには動けないことが多かったので、プレー自体はあまり好きには戻れなかったのですが、でも、がんばるみんなの姿をずっとそばで見てきたから、チームのことが前より好きになったから、自分にできることは最後までちゃんとやろうと思えたし、できなかった時間の分、仲間と一緒にバレーボールができる時間は大切なものになりました。

だからといって、引退の時、全く悔いがなかったかといえば嘘になります。

4年生の1年は、同期がたくさんがんばっているのに自分にできることが少なすぎて、できていないことも多すぎて、引退のその日までたくさん無力感を味わいました。チームにとって自分が果たして必要だったのか、チームの勝ちに多少なりとも関われたのか、今振り返っても全く自信はありません。チームのためを語ってやっていたことも、やっぱり自我を殺し切れていなくて、やりながら妬みや嫉みなど黒い感情が最後まで残ってしまったのも事実です。

でも、女バレのことが好きだと、途中で辞めなくて良かったと最後の瞬間にはちゃんと思えたのが、わたしにとっては価値のあることだったんじゃないかなと思います。あと、最上級生になってからは引退試合が終わる瞬間まで(たぶん)一度も泣かずにがんばれたのも、ほんの少しだけだけど成長したのかな、と感じられました。

辛かったことも多かったけど、はじめてできたプレーにみんなが一緒に喜んでくれたこと、行ってみたらみんな全然来なくて先輩と2人3時間自主練したこと、同期と2人で延々と対人やフェイントの練習をしたこと、合宿であざだらけになりながらも練習後はみんなで走って海に行ったこと、復帰したての試合で弱々のサーブが入っただけでみんなが盛り上がってくれた声、振り返れば大切で楽しい思い出も数え切れないほどあります。

部活中心と言ってばかりもいられない大学生活の中で、でも気づいたら部活のことが頭のどこにもない瞬間はなかったんじゃないかと思うほどに、3年半を経て女バレはわたしの中で大きな存在になっていました。

 

最後になりますが、お世話になった方々へ。

1年間主務を務めさせていただきましたが、至らぬところが多くたくさんの方にご迷惑をおかけしました。それでも多くのお力添え、ご声援を賜り何とか役目を終えることができました。突然言い出した遠征費補助についても、本当にたくさんご協力を頂き、すぐに実現していただいて、感謝してもしきれません。この役職のおかげもあり個人的にも沢山の先輩方とお話をする機会に恵まれ、直接応援のお言葉を頂けた時は本当に嬉しかったです。柳川会長、松永部長はじめお世話になった赤門クラブの先輩方、ありがとうございました。

男子部主務、そして副務の2人も、たくさん仕事を引き受けて助けてくれてありがとう。

先輩方、スタッフさんにもたくさんご心配をおかけしましたが、ご指導、お気遣いをいただいたおかげでここまでやってくることができました。何度もやめるとか休部するとか言って本当に申し訳ありませんでした。成長した姿を見せられたかはわかりませんが、先輩方からの「おつかれさま」「がんばったね」は誰からのものよりもうれしかったです。

後輩たちにとっては、かっこいい先輩ではなかったかなと思いますが、それでもたくさん後輩として支えてくれてありがとう。がんばる後輩の姿がわたしにとっての力の源で、皆のような後輩を持てたことがわたしの自慢です。辛いことがあった時、逃げ出したくなった時は、あんな人でも引退できてたんだから自分も大丈夫かなぁと思い出してくれたらうれしいなと思います。

同期には、他の誰よりも心配も迷惑もかけてきたと思います。本当にごめんなさい。11人は個性がバラバラで、マイペースで、その言葉に傷ついたことも分かり合えないと思ったことも数知れずです。でも、3年半一緒にいるうちに、それぞれの抜群のユーモアセンスと(笑)、優しさと、強さもたくさん知りました。みんな不器用だから、悩んだ時も直接何か聞かれることは少なかったけど、みんなもそれぞれ色んな悩みがあっただろうに、わたしがどんなに荒んでいても見放さずにさりげなくたくさんそばにいてくれたこと、本当にありがとう。みんながいなかったら絶対に途中で逃げ出してました。最後の試合、色んなことがあった同期全員でベンチでの円陣の輪の中にいられたことが、すごく嬉しかったです。これからも、いつもとは言わないけど時々は会える仲間でいてください。

他にも、男子部のみなさん、七大学(特に京大)の同期、友達、家族など、いろんな人に支えてもらいましたが、キリがないのでこの辺りにしておきます。でも、周りにいてくれた人全てがこの3年半には必要だったと思います。ありがとうございました。

「色々なことを教えてくれたり応援してくれるすべての人に恩返しができるようなひとになりたい」、入部時にそんな目標を掲げて過ごした時間でしたが、今わたしの引退を喜んでくれる方が1人でもいるならば、きっとこの目標も少しは達成できたのかなと思います。わたしがバレー部に入ったことが正解だったのかはまだわかりませんが、これから先この経験が活きる日は必ずくるはずです。そんな時にこの時の気持ちを忘れかけていたなら、このブログを読み返してしっかりと胸に刻んで、進み続けていけたらいいなと思います。

やっぱりとっっても長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただいた方はありがとうございます。これから先もずっと、女子バレー部並びに東大バレー部への変わらぬご支援、ご声援のほど、どうぞよろしくお願い致します。

そして、わたしもこれからずーっと、女バレの後輩たちの3年半が実りあるものになるように応援しています。

改めまして、これまでお世話になった皆様、本当にありがとうございました!!!

#19  ふう