こんにちは、せいです。

とうとう引退ブログを書く立場になってしまいました。無事に引退を迎えられて嬉しいような、もう現役の立場で活動する事はなく1歩引いた立場になってしまって悲しいような、不思議な気持ちです。

 

東大バレー部を引退するにあたって、まずこれまで東大バレー部を支えてくださった全ての方に感謝申し上げます。

部長としていつも私たちを見守ってくださった松永さん。突然11人も入ってきた私たちに、メモを作って名前を覚えようとしてくださるのが嬉しかったのを覚えています。

毎回欠かすことなく練習に来てくださった豊田さん。朝一の自主練でも1年生だった私たち数人のために来てくださったこと、忘れません。

コーチをしてくださった竹田さん、川田さん、ゆずさん、けんとさん。女子部の練習はコーチなしでは回らないのだと、4年生になってから身に染みて感じました。

技術的指導を引き受けてくださった高梨さん。バレーに対する考え方、プレーの見方、練習の仕方。いつも新しい発見があり、教えていただけるのを楽しみにしていました。

そして、試合の応援に来てくださる方、大会後の会に出席してくださる方、メーリスやブログなどで現役の様子見守ってくださる方、本当にたくさんのOB・OGの方に支えられてバレー部は活動できているのだと思っています。

改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

さて、これまでに男子部と4人の女子部同期の引退ブログがアップされています(まだ読んでいない方は遡ってきてください!)。自分は何を書こうか考えながら読んできましたが、やはり引退ブログは良いですね。今まで気知らなかった同期の想いを知り、感慨深いものがあります。私はブログを書くのが苦手で、いつもあっさりとした内容になってしまうのですが、最後のブログなので私も思いの丈を綴ってみようかと思います。とっても長くなってしまったのでお時間のあるときに読んでいただければ幸いです。

 

正直なところ、私は大学の運動部に入るつもりは全くありませんでした。バレーは好きだけれども決して上手くはないと自覚していたので、正直大学バレーのレベルについていくことは難しいと思っていました。しかし、新歓練習会に顔を出してみたら、先輩方のプレーのレベルの高さに驚き、それなのに雰囲気は楽しく親しみやすく、気づけばバレー部に入部していました。実は入部するに当たって、大学4年間部活をして1度も試合に出られなくても後悔しないか、自問しました。結果、たとえ試合に出られなくてもきちんと教えてもらえて少しずつでもうまくなれる部活に入ったほうが最終的には楽しめると思い、入部を決めました。

そんなわけで、やはり練習で周りができるのにできないことは多く、部活に100%捧げられるわけでもなく、最後まで試合で戦力になることはできませんでしたが、ここまで続けてこられ、部活に入ってよかったと思いながら終われたことは本当に嬉しく、ありがたいことだと思います。

 

1年生の頃どんな気持ちで練習していたのかはあまり覚えていませんが、4年間の思い出は、と聞かれてなぜか思い出すエピソードがあります。

京大戦で負けた私たちを七大戦までになんとか鍛えるため、高梨さんが指導に来てくださった時期があります。主にレギュラーを鍛えていたのですが、ある時ボール拾いをしていた1年生が呼ばれ、ボールの渡し方を教えられました。ボール出しをする人が極力やりやすいように、その人に正対して、その人と逆の手でボールを渡すこと、タイミングが遅れたりしないこと。そんなことわざわざ言われなくても、と思いかけ、今までできていなかった自分に気づいた時は目から鱗でした。たぶんそれまでにきちんと運動部としての教育を受けてきた子たちは自然にできることだと思います。でも、私はできていなかった。言われるままに行動していた私にとって、コートの外にいてもやるべきことがある、また、コート外の1年生でも指導をもらえた、目を掛けてもらえていると感じられた出来事でした。些細なことと思われるかもしれませんが、これが私の4年間の部活に対する姿勢を決める一因になったように感じています。その後、学年が上がっても、4年生になっても、高梨さんのワンマン(全体練で上がるはずのボールを落とすと突然始まります。キツイです。)の空気を察知してボールを準備するのは私が私に課す密かなミッションでした(笑)

 

もう一つ、2年生の七大戦。七大戦は大きな体育館で開催するので、壁際やアップコートまで飛んでいったボールを拾いに行くのは大変です。だから、ラリー間にボールを拾いに行くのは試合に出ない下級生の役目でした。でもどうにものんびりな私たちは試合に夢中になってしまい、何度やっても初動が遅く、先輩方に「2年生走って!」と言われてやっと走り出していました。自分のトロさに呆れた一件です。私たちは学年11人もいて、何人もに同じ注意をしなければならず、先輩方は手間が掛かったと思います。後輩に教えるよりも自分で動いた方が早い、と思った時もあったかもしれません。プレー以外の面での後輩指導の難しさも、大切さも、4年生になってから痛感しました。それでも私たちをきちんと教育してくださったこと、とても感謝しています。

 

気持ち的に一番辛かったのは2年生の試合シーズンかもしれません。春リーグが始まってから秋リーグが終わるまでは大きな大会が立て続けにあるので、みんな平等に練習している余裕は殆どありません。レギュラーを決め、チーム練をするので精一杯です。当時の私は部活に行って、アップをして、部分練をして、ゲームが始まるとモップを持ってラインズの位置に立っていました。長い日は1時間か1時間半か。自分のレベルは自覚していたので、ゲームに出られないことに不満はありませんでした。ただボールに触れないことが辛かった。ラインズしに部活に来ているわけじゃないのになーと思っていました。今ならどうしてもそうなってしまうチーム事情も、その中でももっとできることがあったことも分かるんですけどね、当時は子供だったんです(笑)。でもそんな時代を乗り越えられたのは、ラリー間のパスに付き合ってくれた、ふうを始め当時のラインズ仲間たちのおかげです。

 

3年生は学科が忙しいのを言い訳にして、部活生としては褒められない姿勢だったと思います。みゆさん、すうさん、うみさん、ごめんなさい。それでもなんとか部活を続け、冬練が終わる頃に、練習に来てくださる先輩方が、せい上手くなったね、と言ってくださるようになりました。すごく嬉しかったです。下手なりに練習してきた成果が他人の目にも明らかになってきたんだなと。

ただ、姿勢の面ではかなり悩みました。入部の動機上、絶対に自分が試合に出るんだ、とは思えませんでしたし、他のすべてを投げ打って部活に打ち込むこともできませんでした。もちろんチームとして勝つことを目指しているつもりでした。ただ他の部員よりも部活にかける時間が短かった。最上級生になり、主将副将がミーティングを重ねているのを見ながら、これでいいんだろうか、と思いました。こんな姿勢の4年生がいたのでは部の空気が緩むのではないか、後輩に示しがつかないのではないか。辛くて辞めたい訳ではなかったけれど、ここできっぱり退部した方が良いのではないかと考えていました。しかし、なんやかんやでタイミングを逃し(笑)、秋まで続けるけることになりました。

 

そのタイミングで、自分の存在意義を改めて考えました。プレーで勝ちに貢献することは難しそうだったので、それ以外でできることはないか、と。決めたのは、スタメンでない後輩たちが置き去りにならないようにすることと、相手チームの分析や自チームの観察などを通して、常にAチームに働きかけることでした。

 

一つ目は自分が下級生の時の経験からです。スパイク練で「バックスイング大きくするといいよ」と先輩に一言アドバイスをもらえると、意識するポイントが分かり練習の質が上がるし、見てもらえているんだと感じられました。また、ゲーム練に入れないのは仕方なくても、放置されている感があるのは嫌だな、と。でも結果的には全然できませんでした。Aチームを鍛えることと全員に目を配ることの両立がこれほど難しいとは思っていませんでした。試合前になるとついAチームの事でいっぱいになってしまい、結局後輩たちにモップや得点板、ラインズをやってもらうばかりになっていたと思います。そうやってチームを支えてくれたこと、本当に感謝しています。ありがとう!でも、後悔が残ります…これから代持ちになるみんなは、コートの外の人のことを忘れないでほしいな、と思います。それから、自分が外に出る機会があるときは(練習試合でメンバー入れ替える時とか、新人戦の練習する時とか)積極的に動いて、いつもやってくれている人がいるんだなと思い出してくれると嬉しいです。(しばらくは人数少なくてみんなスタメンかもしれないけどね)

 

もう一つは、スタメンとサブの間に遠慮があるように感じていたからです。ゲーム練でボールが落ちるとAチームの人は集まって対策を話し合いますが、Bチームはそれに参加せず反対側のコートで待っているという光景がよく見られました。私自身、高度なことはよくわからないとか、スタメン同士でやりやすいように決めてくれればいいや、という気持ちがあり、言葉は悪いですがどこか他人事のような気がしていました。でも改めて考えると、Aチームに直接意見しないと自分がチームの勝ちのために行動したことにはならないな、と思いました。そこでゲーム練でAチームを観察したり、スコアを取ったり、相手チームの分析をしたりして、思ったことはとりあえず口に出してみることにしました。あいつ見当違いのこと言ってるなとか、今更なんだとか、そんなこと言われてもできないよとか、いろいろ思うことはあったかもしれませんが(ごめんね)、みんな耳を傾けてくれて嬉しかったです。一番チームのことを自分の事として捉えられた一年でした。

 

プレー面では最後までみんなに追いつくことができませんでした。最後の一年はサイド陣に怪我が多く、チームとしても苦しい状況が続きました。サイドが足りない時、本来センターのアタッカーをレフトにしてまで外された時は、本当に不甲斐なく思いました。それに納得してしまう自分も情けなく。同期がレシーバーとして、ピンチサーバーとして自分の立場を確立していく中、調子の悪そうな後輩と交代することもできず応援するばかりの自分に、もっと練習していれば、と後悔もありました。それでも4年の京大戦、七大戦、秋リーグでプレーする機会をもらえたこと、嬉しかったです。公式戦に出る機会はないだろうという1年生の頃の私の予想は裏切られました(笑)。

 

4年間を振り返っただけなのにとてもとても長くなってしまいました…この辺で終わります。後輩たちへかっこいい言葉を贈ることはできませんが、どこかで辛くなった時、悩んだ時、少しでも支えになるエピソードがあればいいなと思います。

 

こんな私でも目を掛け、育ててくださった先輩方、明るくて面白くていつも笑わせてくれて、でもバレーではかっこよくてずっと私のお手本だった同期、個性が強くてバレーへの情熱に溢れて熱くて、でも4年生についてきてくれた後輩たち、みなさんのおかげでここまで続けてこられました。ありがとうございました!

これからはOGとして微力ながら東大バレー部を支えていければと思います。とりあえずあと2年は学生なので、できる限り試合の応援に行きます!

 

これまで大変お世話になりました。

そして、これからも東大バレー部を応援しています。頑張ってください!

 

#18 せい