こんにちは。前年度女子部主将を務めました、のあです。
1ヶ月前に引退してからは、最近会ってなかった人に会ったり、同期とくだらない会話したりと、なんだかんだ楽しく過ごしています。

実は私は一年前の代替わり期に、引退ブログの内容を考えていました。他にもっと考えることあっただろという感じですが、まぁ男子部の先輩の引退ブログを読んで、私も「昇格しました」って書きたいなと思ったわけです。
いざ書く時がきましたが、思い描いていたものにならないし、さらっと無難なことを書いて終えようと思いました。でも、よく考えたらこれまで引退ブログに綴られた言葉に心を打たれ支えられてきたなと思い、私なりに真面目に書くことにしました。
とはいえ話が長いことに定評のある私の文章なので、かなりの分量になることが予想されます。読んでくださる方は、適度に休憩しながらお読みください。

【感謝】
まずは、4年間お世話になった皆さんに感謝をお伝えしたいです。支えてくださったOBOGの皆さん、アシスタントコーチ軍としてたくさん練習に来てくれた皆さん、一緒に東大女バレですごした先輩方、後輩のみんな、同期、歴代コーチの皆さん、家族、友人のみんな、本当にお世話になりました。4年間を振り返ると、いろんな場面でたくさんの人に支えてもらったなぁと思います。人に恵まれた4年間でしたし、とても充実した日々でした。そう思えるのは、関わってくれた全ての皆さんのおかげです。本当にありがとうございました!

【感じたこと】
私が4年間の女バレ生活で特に感じたことを4つ書き連ねます。
後輩に伝えたいことを書こうかと思ったけど、人それぞれ状況も感じることも違うしな~って思ったら上手くかけませんでした、ごめんなさい。
ということで、もうここから先は基本自分語りしかしていません。正直恥ずかしいのですが、1人くらいには何かしら刺さる可能性もゼロではないので書きたいと思います。

・自分の存在意義は自分で作るしかない
これはプレー面でもそれ以外の面でもそうだと思いました。どのポジションでも、コートに立っていてもいなくても、自分がチームにいる意義みたいなものは自分で作っていかないと生まれないんだなって感じました。
チーム運営の面でも同様で、ただ部活に所属していれば勝手に必要とされるわけじゃないし、誰かが存在意義を与えてくれるわけじゃなくて、自ら何かしらの意義を作っていくからこそ必要とされるという至極当たり前のことに気づきました。当たり前すぎますね笑

・信念を持つことと、互いに尊重することの大切さ
執行代の一年で1番感じたことです。
物事を進めていく時、軸となる信念が無いとブレてしまって、目的が見えなくなったり、ふと振り返ってみて自分が何をしてきたかわからなくなったりするから、信念を持って頑張るのが大事だと実感しました。

いろんな信念をもった人が集まって「チーム」として物事を進めるとぶつかることも当然ありますが、その時はそれぞれの信念を理解した上で、それを尊重してお互いに落とし所を探していくのがとても大切だと感じました。それをするには結構な労力が必要ですが、ちゃんと落とし所を見つけられた時はすごく納得して前に進めます。この代の執行代はものすごく良い関係性でしたが、それは単純な仲の良さが理由ではなく、お互いちゃんと話して、ちゃんと話を聞いて、その上で各々の信念を尊重しあって歩み寄ることができたからだと思っています。
常にこれができるわけではないとは思いますが、労を厭わず可能な限り歩み寄る努力をするのが大事だなぁと、今の私は感じています。

・自分の限界を決めないことの大切さ
私は何かやる前にすぐ後ろ向きに考えて、勝手に無理だと決めつけがちでした。でも周りの人が私の背中を押してくれて、やれるだけやってみようと思って努力し続けた結果、無理だと思っていたことができるようになりました。
自分で自分の限界を決めて単純に逃げていただけだったなと今となっては思います。自分のために本気で何かに取り組めることはこの先そう何度もないから、「どうせ無理だ」なんて諦めずに、「こうなりたい」「こうしたい」という気持ちを大事にして良かったなぁと思います。大事にさせてくれる環境に居られたのも幸せでしたね。
後輩のみんなには、限界を決めずにとにかくやってみるということをしてほしいです。スパッと割り切るのが良い時もあるけど、最後まで足掻いてみるのも良いんじゃないかと思ったりしています。

ちなみに、自分の理想と自分の存在意義とかチームの最善がズレることも当然あって、そこを上手く調整するのはすごく難しいことも痛感しましたが、心の中に「やってやろう」的なものをもってやれば上手く両立できるんじゃないかなーっていうのがこの一年を経て私なりに出した結論です。

・漫然とやらないのが大事
これは新歓コンパで喋ったことの再掲です笑。
大学で部活に入ると、周りからすごいねとか言われることがあります。たしかにすごい部分もあります。でも、部活って入部する時は結構大きな選択だけど、入ってしまうと週4日部活に行かなきゃいけなくて、行ったら3,4時間練習しなきゃいけなくて、練習メニューがあって何かしらやることがあります。なので、案外漫然とやれてしまいます。
私はもともと、部活の日だから部活に行って何も考えずにただ楽しくバレーやってるだけの人でした。でもふと周りを見て、サークルや団体で活動してる人、インターンをしてる人、留学する人、バイト頑張ってる人、、、そういう人の方が日々選択の連続で、私よりたくさん考えて成長して豊かな経験を積んでいるのではないかと思いました。このままだと引退したとき、私なんもしてこなかったな、ってなるのでは、、、と焦りました。
そこから私は、毎練習自分で選んで部活に行こうと思うようになりました。その日何をするために練習に行くのか考えて、それができたか振り返って、また次何をするか考えるようになりました。それはプレーだけじゃなくて、「組織の中で何をするか」もそうです。ただバレーだけやって4年間過ごすのではなく、東大バレー部で私はこれをやった!と胸を張って言える何かをしようと思いました。
まぁそんな感じのことをあるとき思って、いろいろと頑張ってみました。

以上、あくまで私の個人的な考えだし、将来また別の考えに変わるかもしれませんが、今の私の中にあるものを書き記してみました!

【振り返り】
さて、もうここまでで結構な分量なので終わらせてもいいんですけど、一応自分のためにも私の4年間を振り返らせてください。自分にフォーカスしてるので面白みはありません、、、。暇すぎてこの先も読む人は、こんなやつもいたんだ~程度にお願いします。

・大学1年秋
9月頃入部しました。コロナ禍とはいえ、中高と比較したらものすごく恵まれた環境だったので、とてもわくわくしながら入部したのを覚えています。でも、手首と肩の怪我であまり練習ができなかったし、同期2人より圧倒的にバレーが下手だったので引け目と焦りがありました。この時期に急に「誰よりもレシーブ上手くなってやろう」とか思って、ひたすらレシーブ練習をしました。腕があざでグラデーションになっていたのも今となっては良い思い出です。この頃のレシーブ特訓が無ければ今の私はありません。練習に付き合ってくれたゆうりさん、はなさん、ありがとうございました。

・大学2年春
謎に2週間セッターをやりました。けいとぶつかって捻挫したので結局リベロになりました笑
ここから私のリベロ生活が始まります。この時セッターの気持ちをちょっとだけ味わったのは、その先のプレーにも影響した気がします。

・大学2年秋
私の転換期です。けいの留学が決まり、この代の主将を誰にするか話し合った時期です。部活への向き合い方を真剣に考えました。自分を変えてでも苦手なことに向き合わないといけない瞬間がきたんだなと思って、引退まで妥協せず死ぬ気でやろうと決めました。この時から自分の目指すプレーヤー像や主将像、チーム像が明確になり、部活が毎回充実したものになりました。
相談に乗ってくれた福田さんや先輩方、私の決意表明を聞いてくれた同期、先輩、今井さんにはとても感謝しています。そして私の行動を受け入れてくれたあおさん、りんさん、なぎさん、本当にありがとうございました。

ここからの1年は、自分が主将だったらこんな後輩が欲しい!っていう後輩であろうと思い、いろいろと模索しました。練習も、しんどくて手を抜きたくなっても「来年主将になってもそれやるの?」って自分に問いかけ続けてちゃんと頑張れたので、この一年すごく充実していました。

・大学3年夏
初の七大戦、レシーブ賞1位をいただきました。4年間で1番嬉しかった瞬間かもしれないです。中高の部活は週3回1時間の練習で、なんならボールに触れるのなんて30分程度、試合もほぼ無いという環境でやってきて、東大女バレに入ってからも1番下手だし怪我してばかりでした。試合に出られない悔しさも、リベロというポジションの苦しさも味わいました。それでも「バレーが好き」という気持ちを原動力に自分なりに努力した結果、小学校からやってる人、中高週6で練習してた人、試合経験が豊富な人、いろんな人がいる中で個人賞をいただけて、これまでの自分の努力が認められたような気持ちになりました。基本的に自己肯定感が低い私ですが、初めて「私レシーブ得意かも」って思いました。

・大学3年秋
秋リーグ最後の順位決定戦、私のせいで負けそうになって、涙目でプレーしてました笑 それでも笑顔で励ましてくれて、失点を取り返してくれた当時の4年生はかっこよかったです。勝って良かったです。どんな時も崩れないメンタルをもとうと思った試合でした。

・大学3年11月
代替わりしました。リベロからライトになりましたが、当時私に攻撃力を期待していた人はいなかったと思います。でも入部当初からサイドで点を取れるようになりたいと思っていたので、やれるだけやって足掻こうと思い、とにかく自主練しました。助走と壁打ちから始めました笑 そんな感じだったのが、最終的に自分のプレースタイルができて、そこそこセッターにトスを託してもらえるようになりました。私にトスを上げてくれてありがとう。
もうちょっと上手くなりたかった部分もありますが、4年になっても成長できたのは嬉しかったです。

・大学4年冬~春
必死すぎて記憶が曖昧です。とりあえずしんどかったです。特に就活。2度とやりたくありません。

・大学4年夏
七大戦。九大戦と、最後の名大戦のフルセット負けが特に悔しかったです。個人としての悔しいポイント、大きいのは以下2つです。
1つ目は、さわを1人で頑張らせてしまったこと。これ以上ないくらい頑張っているエースを助けられなかった不甲斐なさを感じました。
2つ目は、レセプの安定感のなさ。この大会もレシーブ賞1位でしたが、賞を獲ったところで結局大事な場面でミスる自分が悔しかったです。
結果は本戦3位で、なんとかコーチの川辺さんに賞状を渡せたことだけは良かったですが、個人的には総じて悔しい大会でした。

・大学4年秋
秋リーグ、昇格できなかったです。部活でやる以上は結果が全てだと私は思っているので、すごく悔しかったです。部員みんながものすごく頑張っていたのもわかっていて、それでも何かが足りなくて、そこを埋められなかった自分の力不足を感じました。

後半暗い内容になってしまいましたが笑、執行代の1年、楽しいことも結構ありました。何より、バレーボールがめちゃくちゃ楽しかったです。主将のしんどさとバレーの楽しさは両立できるということを川辺さんが教えてくれましたが、実際本当にそうでした。純粋にバレーボールが楽しかったし、このチームで戦うのが楽しかったです。
秋リーグ前に私が「私、本気で昇格したいんです」と言った時、後輩のみんなが「昇格しましょう」「勝ちましょう」「私もです」と言ってくれたのも、とても嬉しかったです。
私は先頭に立って引っ張るというよりは、チームを支えつつみんなと一緒に走っていこうと思っていたので、なんだかすごく嬉しかったです。一緒に頑張ってくれて本当にありがとう。

主将としての一年は、ダメな自分、できない自分に直面させられる毎日でした。めちゃくちゃ頑張らないと普通のことができなくて、当たり前のことを当たり前にやるのが精一杯、普通の主将になるのが精一杯でした。
それすらも周りの人の支えがなければ無理で、特に、知識、経験、技術、性格、どれをとっても主将としては至らない点ばかりの私を1番に支えてくれたのが、同期の2人と川辺さんでした。心から感謝しています。たくさん迷惑をかけましたが、最後まで支えてくれてありがとうございました。3人には書こうと思ったらまだまだ感謝を書けますが、重いってまた言われそうなのでやめておきます。

【締めます。】
いろいろあった4年間でしたが、女バレに入って良かったです。尊敬できる人や大好きな人にたくさん出会うことができたし、周りの人の優しさや心に秘めてるもの、熱い部分にたくさん触れることができました。本当に素敵な人ばっかりで、人に恵まれた4年間を過ごさせてもらいました。
そして、4年間さわとけいと3人で支え合いながら頑張れて、肩を並べてコートに立てて、3人で引退できたことが何よりも幸せでした。女バレに入って1番良かったことは、最高の同期と出会えたことです。本当にありがとう。

私のバレー生活はここで終わりですが、これからも東大バレー部OGとして後輩のことをずっと応援しています。強くなって、たくさん勝ってくれたらもちろん嬉しいですが、何よりもみんなが女バレで過ごす日々を楽しんでくれたら嬉しいです。
私は私で、バーンってした文章をガッとまとめる力と、擬音を使わずに説明する力を身につけていけるよう、頑張りたいと思います。
改めて、関わってくれた全ての皆さん、ありがとうございました!

非常に長くなってしまいましたが、当初考えた内容より濃くなったので許してください、、、。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

2023年12月17日