お久しぶりです。4年アナリストの森口です。

 

私のブログは新歓ブログを除けば2018年3月以来となります。この部でブログを書くのは6回目です。

私の近況としましては、2018年の4月から法学部法学総合コースに進み、就活も無事に終えました。2020年の春からは霞ヶ関で国家公務員として国家財政に携わる省で働くことになりました。

 

今回は引退ブログということで、記事をお送りしたいと思います。

 

まず、前回の私のブログ記事を再掲しておきたいのですが…、

https://www.todaivb.jp/men/2018/03/6178/

このブログを書いた約2か月後に私は休部するに至りました。理由はいろいろありますが、自身のチーム内での存在意義を見出せなくなったことと自分なりに様々な可能性を模索したいと考えたことでした。この点、チームスタッフの皆さん、先輩の皆さん、同期、後輩のみんな(特に森口が投げだしたせいで過重負担になった髙谷さん、分析を任されることになった現3年生)、本当に申し訳ございませんでした。

休部のことをつらつらブログにするのは(来年の新入生も見る可能性もあるので)適切ではないと重々承知しているつもりなのですが、少しだけ書かせてください。

自分として休部したことに後悔はありません。おそらくあのまま残ったとしても、誰かしらと大揉めしているか、自分の相棒のLet’s noteをたたき割っているか、自分が精神を病むかのどれかだったと思うので。いろいろな意味で自分はあのチームに必要とされていなかった、そう今でも思っています。やはりチームですので、前掲のブログでも自分で書いているように「合意形成」が重要で、その合意に納得できなくても渋々従うのが基本なのですが、それすらも自分としてはもはやできなくなりつつあったのだろうと感じています。この点、誰のせいで自分は休部したなど一切思っていません。ただただチームの方針・考え方に自分が合わせられなかった、その一点だと思っています。

 

休部という名目でしたが、自分としては復帰するつもりはありませんでした。そのままバレー部とは距離を置くつもりでした。

そんな中、同期で主将の福田から「チーム運営において森口の力が欠かせない。是非復帰してほしい」という話をいただき復帰を決断しました。

こうして復帰するわけですが、久々もしくは初めて見る森口が幹部代として帰ってくることを受け入れてくれた同期・後輩の皆さんには本当に感謝してもしきれません。

 

このあたりで休部報告ブログは終わりにして、本題の引退ブログに入っていきます。

 

最後の1年は本当に楽しくバレー部に携わらせてもらったと思っています。これはなぜかと考えた時に、大きな要因として、そこそこの結果がついてきてくれたことを挙げられると思います。

もちろん3部昇格が達成できなかったことは至極残念です。一方で、一橋戦での勝利・七大戦の準優勝など、満足がいくとは言いたくありませんが、下馬評を覆す結果が残せたのではないか、そう思っています。

 

じゃあ、お前はどうやってチームに貢献したのか、と聞かれると、取った点数は0なので直接的には一切貢献していません。これがチームスタッフの宿命というかあるべき姿です。

自分の3年半は少なくともチームにいてプラスの存在になることを追い求めたつもりでした。最後の1年間は、練習中に盛り上げるべく声を出すことを意識したり、後輩に積極的に声をかけたり(うざかった皆さん、ごめんなさい)とチームを円滑に回すために何ができるかを考えることを意識したつもりでした。

アナリストとしてどう貢献したのか?という問いには非常に答えづらいのです。自分の戦略がハマって勝った試合がたとえあったとしても、それはコートにいるプレーヤーがいるからこそ勝ったに過ぎないと思うからです。ですが、今年は西村監督・田内コーチ・主将の福田といういわゆる「首脳」と呼ばれる方々が積極的にコミュニケーションをとってくださり、自分のやるべきことが明確になり、プレーヤーにもわかりやすい情報の提供や現実的な戦術ができたかなぁと思っています。アナリストとしてとても恵まれた環境で活動ができた一年でした。

 

ありきたりで恐縮なのですが、各方面への「お礼ブログ」で締めたいと思っています。個人的に私の欠点だと思っているのですが、形式的というか保守的ということがありまして、こうして名前を挙げていく方々の順番や分量などをとても気にしてしまうので、あまり書くのは苦手なのですが…

 

まず赤門クラブの皆様。何をやっているのかよくわからないアナリストの活動に理解を示してくださり、また金銭的にも多額の支援をしていただき、ありがとうございました。今後、私も1人のOBとして東大バレー部を盛り上げていければ…と思っています。

松永部長、宇垣副部長、西村監督。積極的に声をかけてくださり、非常に励みになりました。

田内コーチ、そして石川前監督。アナリスト自体、うさんくさいチームスタッフではありましたが、うまく活用しようとしてくださり、自分としても何が求められているのかということがひしひしと伝わってきたので、自分の役割を見つめながら活動ができました。

アナリストの先輩、藤原さん。藤原さんが誘っていただいていなかったら今の自分はありません。時には厳しく、時には厳しく、たまに優しく(冗談です)ご指導いただき、入部してから2年間は藤原さんという大きな背中を追い続けることがひそかな楽しみでもありました。

ジェイテクトのアナリスト、池原さん。プロの世界に2度もお呼びいただき、大きな経験を得ることができました。また、私がリーグ中にプロチームに帯同することを寛容にもお認めいただいたすべての皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

先輩。下北沢でご飯を食べながらした話から、戦略の話まで、自分として先輩方から学ぶこと、吸収したことは数え切れません。扱いにくい後輩だったと思うのですが、先輩方から気をかけていただいたことが自分としても大きな励みになりました。

後輩。アナリストという不思議な先輩で距離もつかみづらかっただろうと思います。そんな中でも頼りにしてくれる後輩も多くいて、自分として後輩の存在からやりがいを感じられることも多かったです。また、後輩の存在なくして今の4年生の代の運営は成り立たなかったと思います。

そして同期。仲が悪いと各方面から言われ、実際にあまり仲が良くなかったなぁと思います、途中までは。最後の数カ月の同期内での団結力はすさまじく、同期と一緒にいられなく引退というものが恐ろしく感じるほどまでになりました。いろいろとわがままなチームスタッフではあったと思う(急遽アナリストを手伝わせることになってしまった南原、本当にありがとう)のですが、同期には本当に助けられました。せっかくなので同期旅行にもいきましょう、はい。

 

 

自分自身、入部したときは、こんなの3年半も続けられるのだろうかと幾度も思った記憶があります。アナリストという自分としての新しい取り組みに戸惑い、チームでの立ち位置を模索しつづける3年半だったと思います。

そんな中で様々な方の助けをいただき、自分として納得できる、また、大きく成長できた3年半を過ごさせていただきました。森口のアナリスト人生において関わっていただいたすべての皆さんにもう一度感謝を申し上げたいと思います。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

またお会いする機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

 

アナリスト 森口