こんばんは。
1年の熊越祐介です。
大学に入って上クラスの先輩からくーまんというあだ名をもらいましたがバレー部での定着率は低いです。
最初らへんは「くまーん」とどっかの国みたいにして呼ぶ先輩もいらっしゃいましたが3日以内に聞かなくなりました。
正直なんでもいいです。
出身は大阪の南の方で、今やメジャーリーガーとなったダルビッシュ有さんと同郷です(チャリで15分ぐらい?)。
高校は大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎です。
長いですが池田校舎と平野校舎と天王寺校舎の3つがあるので略さず表記していただけると嬉しいです。
中学はバレー部で、高校は硬式野球をやっていました。
大学入った当時は運動会バレー部に入るなんて全く思っていませんでした。
「テニサーに入って、バイトしてお金貯めて、語学しっかり勉強して休みに海外旅行!」するつもりでした。
が、自分の選択に後悔はありません。
なかなか暇な時間がない生活ですが、性格上忙しい方が物事に集中できるようなので(笑)。
いくらでもチャンスは作れるなー、と夏学期が終わって感じています。
そして自分で驚くほどバレーをやりたいと思っています。
今は東松原に住んでいて、1年で唯一のチャリ通学(≒暑さとの闘い)です。
最近ようやく自炊に慣れて自分で作る晩御飯の味に満足し始めています。
昨日思わずtwitterでつぶやいたら「余韻に浸るな」と某IDEくんに一蹴されてしまいました。
でも今日もおいしく作れたので幸せです。
それでも洗い物や洗濯をしてなかなか手が空かないと母親の偉大さを痛感します。
バイトでも求職の段階から苦労したので父親の偉大さを感じます。
一人暮らしは親の力を嫌というほど思い知らされます。
バレーの話がないですね・・・
僕は京大戦の新人戦ではセンターで出させてもらい、今度の七帝戦の新人戦ではレフトで出させてもらう予定です。
最近は紅白戦でもBチームのライトやレフトに入れてもらっていますが、自分の力量不足やAチームの壁の高さを身を持って体感しています。
技術の向上はもちろんのこと、筋トレも継続して体を作って、一刻も早く一選手として自立したいです。
バレーとは関係ありませんが上京してきて思ったことをいくつか。
・東京は略語が多い。
「ボキャ貧」(ボキャブラリーが貧弱)とか初めて聞いたときは耳を疑いました。
あと略語じゃありませんが「ワンチャン」も初耳でした。
そんな造語いっぱいいるんかなぁ。
・東京の人は歩くのが不規則。
下北沢とかを自転車で走るとよく思います。
歩いてたおばちゃんがはたと服屋の前で止まりまた動き出す様子はブラウン運動さながらです。
・「イカ東」への抵抗
ことあるごとに一部の東大生はイカ東(いかにも東大生)を批判しますが
イカ東になるまいと髪を染めたり勉強の手を抜いたり「リア充」を目指したりして「努力」する人たちこそが実は転回的に「イカ東」と呼ばれていいんじゃないか、と思っています。
ぐだぐだになってしまいましたがとりあえず次の木場くんにまわします。
面白くなかったのは彼が後ろに控えているからです。
木場は予想外です。
木場は予想外です。
大事なことなので2回書きました。
以上くまこしでした。
どうぞよろしくお願いします。