引退ブログ(さわ)

 

お久しぶりです。前年度副将を務めました、さわです。

引退してからは案の定卒論卒論の日々ですが、土曜の朝にゆっくり寝られるようになってちょっと嬉しいです(現役の時もゆっくり寝ちゃっていたこともありましたが笑)

ブログを書くのを先延ばしにしていたら引退から1ヶ月以上も経って、謎にこの代の引退ブログの大トリを飾ることになってしまいました💦ただ、年越す前までには書かねばと思って焦って書いてますし、元々過去はあまり振り返らない主義なので、幼稚で浅い内容かもしれないです、ご了承ください。

私の引退ブログは「お友達編」「なんとかなるよ編」「ありがとう編」の三編に分けてお送りしようと思います。

お友達編

引退してみて、週4であってた人達に会わなくなるのは寂しいもんで、部員のみんなとくだらない話をして爆笑してた日々が楽しかったな〜と懐かしくなったりします。そう思えるだけでも、東大女バレに入った価値があったなと思ってます。というのも、私の入部理由が「友達を作るため」だったからです。

元々ド陰キャなので、ちゃんとしたコミュニティに属さないと、一人で学校と家を往復する4年間になってしまうと思って女バレに入部しました。最初の頃は人見知りを発揮していたものの、4年間週4で必ず会うというのは強力なもので、いつしか女バレのみんなといる時間が一番気楽に自由にいられるようになりました。先輩ともいじりいじられる関係になれましたし、後輩も「さわさんさわさん!」ってたくさん話しかけてくれて、先輩後輩というよりも友達みたいな距離感だったのがすごく嬉しかったです。(むしろ先輩らしいことできなくてごめんって感じでもありますが…)そして言うまでもないですが、同期とここまで深い関係を築けたことが本当に嬉しいです。東大女バレに入った一番の財産はこの同期と出会えたことですし、そうお互い言い合えていることが幸せだなと思っています。

また、部活かつチームスポーツということで、ある種強制的にコミュニケーションを取らなければいけない環境だったからこそ、全然自分とタイプの違う人とも深く関わり合う良い経験になったなと思っています。ほんとにびっくりするくらい色んな考えの人がいるんだなと感じて、理解し合うのが大変だったりもしましたが、そんな人達に出会えて面白かったなとも思っています。

こんなこと言ったらあれですが、私はバレーボールというスポーツ自体への執着が他の人よりも薄く、私一人でもバレーをしたい!というタイプではありません。でもだからこそ、を理由に4年間バレーボールを続けてきましたし、振り返ってみてもやはり東大女バレはそれに値するコミュニティだったなと思っています。そんな環境を与えてくれた先輩、後輩、同期、コーチの皆さん、ありがとうございました。

なんとかなるよ編

4年間私なりに色々考えて感じたことがありますが、やはり最後の一年が一番学びがありましたし、一番印象に残ってるので、最後の一年にフォーカスした話をします。最後の1年を通して一番感じたのは、「なんとかなる」です。普段から結構なんでもなんとかなると思ってるタイプではありますが、正直執行代始める前は、自分が執行代なんか務められるのか、昇格なんて高すぎる目標なんじゃないかとなかなか不安でした。

でもこうやって執行代をやり遂げることが出来ましたし、昇格の夢は叶いませんでしたが自分が想像してた何倍も繋いで繋いで決めきる強いチームになったと思っています。これらは私の力だけで成し遂げたものじゃないですし、特にのあや川辺さんからしたら「うちらがなんとかしたんだわ!」って感じかもしれませんけど、そんな力強い仲間が周りにいてくれたことも含めて「なんとかなる」もんだなぁと思ってます笑。

とはいえ、「執行代」や「エース」などの肩書きが付けば、人間案外その肩書きに相応しくなるように頑張るもんですね。もちろん黙っててもそうはなれなくて、七大戦の名古屋戦なんかは重圧で手が震えたりもしましたが()、逃げ出したい時も肩書きや周りの期待がいい感じに逃げ道を塞いでくれたなって感じています。お陰様で、チームメイトやチーム全体にちゃんと目を向ける機会も増え、自分のチームという意識を強く持つことが出来ましたし、その分チームの勝敗に対する悔しさや喜びも今までより強く感じることが出来ました。自分の技術力もこの一年が、一番伸びたんじゃないかなと個人的には思っています。

まぁなので後輩たちも、新しい立場になったり、新しいことに挑戦する時に不安になると思いますが、案外なんとかなると思ってていいんじゃないかなとさわさんは思います。

ありがとう編

改めて、4年間関わってくださった皆さんお世話になりました。

歴代コーチの方、先輩方へ

最初の頃は特に、だらしないし聞く耳は持たないし自己中だしで、ほんと厄介な後輩で迷惑ばかりかけてすみませんでしたって気持ちでいっぱいです。それなのに、見捨てずにたくさんアドバイスしてくださり、ありがとうございました。

後輩のみんなへ

助けられてばっかりの頼りない先輩だったと思うけど、一緒にたくさん切磋琢磨させてもらったし、私が自身をなくした時も「今のナイスキーです!」「さわさんならできますよ!」って背中を叩いてくれてありがとう。なんとかなるよ編でも言ったけど、そうやってみんなが私を諦めないでいてくれたことが原動力になっていたなと思います。これからのみんなの成長を陰ながら応援してます。

同期と川辺さんへ

色んなところで感謝を述べてるのでここでは割愛します笑

最後に

入部当時は漫然と4年間過ごして「友達できたしいっか〜」って感じで引退する未来も想像してたのですが、想像以上の仲間に恵まれて、想像してなかったくらいめちゃくちゃ楽しいことも、めちゃくちゃ悔しいことも辛いことも、学びもたくさんあって、「東大女バレに入ってよかった」と思って引退できたことをすごく嬉しく思っています。

冒頭でも述べた通り、”今感じてること”に過去の経験も包含されてると思ってるので、細かい振り返りはしません笑。最後まで読んでくださりありがとうございました!では!

さわ

引退ブログ(けい)

お久しぶりです、けいです。早いものでもう引退から1ヶ月経ってしまいました。引退前は部活がなくなることで本当に何もやることがなくなるんじゃないか、土日は何をして過ごそう、と結構真面目に悩んでいたんですが、意外にもバタバタしながら過ごしています。引退ブログを書くのも遅くなってしまいました、すみません。ということでこの投稿までに時間がかかった割には内容が薄い、というか幼稚なものになっているのですが、どうかご容赦ください。完全に私が書くのが遅かったからのあに先に上げてもらったんですが、のあの引退ブログが内容濃すぎてその次にこんなに薄い文章を読まれると思うとお恥ずかしい限りです。

 

振り返るとこの4年間はあっという間で、途中時の進みがとても遅いように感じる時期だってあったのに今やもう4年になって引退をしていて、すごく不思議な感覚です。引退をして思うのは、4年間を通して東大女バレを私にとってホームのように感じさせてくれるに至ったいろんな人の存在とたくさんの経験に対する感謝です。振り返って、たくさんの人と関わって一緒のチームで頑張っていく中でチームに対する愛とか帰属意識みたいなものが段々と自分の中で育っていったなと感じています。以下私の4年間の思いをつらつら書いていこうかなと思いますが、これはシンプルに自己満振り返りなのでご容赦ください。

 

実は私は女バレに入部してから結構長い間、周りの人に対して部活に入っている、女バレに入っていると胸を張って言えなくて、なんとなく苦しさを感じる日々もありました。多分この頃の私は、周りの子達が色々新しいことを始める中、大学でも部活に入って生活の大半を部活動に捧げるという選択肢が本当に正解だったのか自信がなかったんだと思います。散々迷って女バレに入部したからこそ他にやりたかったことに対する思いも立ち切れていなくて、部活の中で何か苦しいことや嫌なことにぶつかる度に、やっぱりあの時こうしとけばよかったんじゃないかって思ってしまって揺らいでばかりいたように思います。(お恥ずかしながら引退するまでその傾向はあったんですが)モチベーションの波が下級生の頃は特に激しくて、頑張れるときと頑張れない時の差が大きかったです。当時の私としてはそんな中でも必死に頑張ろうとはしていたんですが、先輩方の期待に十分に応えられないこともあったんじゃないかなと思います。ある先輩に「自分の選択は自分で正解にするんだよ」って言ってもらったその言葉で入部したのに、結局それを体現しきれない時期でした。でも、バレーが好きで上手で、熱くて面白い先輩方とバレーをするのは本当に楽しかったし、先輩方の存在があったからもっと上手くなりたいしみんなで勝ちたいという風に思えるようになりました。全然気の利かない、出来の悪い後輩だった気がしますが、それでもたくさん気にかけてくださって本当にありがとうございました。

 

私が三年生になってからはコロナもだいぶ落ち着いてきてそれまでずっとなかった大会やイベントも復活してきて、他の大学のチームと接する機会が増えたことで自分自身東大女バレの一員としての自覚が強まったと感じています。初めての双青戦、七大戦の時にはすっごくワクワクして1ヶ月前くらいから楽しみにしていたのを覚えています。対外試合を通してやっと東大を背負ってプレーしているんだという実感が生まれて純粋に楽しかったし、モチベもとても上がりました。練習外でメンバーと過ごせる時間も増えて、より自分らしくいられるようになった気がします。そんな中、この代の途中で部から離れ留学するするわけですが、結構自分勝手なことをしたのにも関わらず、留学前も後も変わらず1メンバーとして同じ温度感で接してくれた先輩方、同期、後輩たちには感謝してもしきれません。一度離れた時、そして戻った時に自分の今のホームは女バレだなあと強く感じました。留学から帰ってきた時にはもう自分たちの代が半分くらいのところまできていたわけですが、帰ってきて初めて見た春リーグの試合で、私がいなかった8ヶ月の間のみんなの努力、特に同期の頑張りを窺い知りました。みんなそれぞれ見違えるくらいに上手になっていて、自分がいなかった間のみんなの頑張りに負けないくらいの頑張りを、そして半年間二人でチームを作り上げてくれた同期に報いる努力を、残りの半年でしなければいけないと感じたのを覚えています。そうは思ったものの実際に最後の半年何ができたかと言われればわからないし、最後まで日々のモチベに左右されてしまったりと未熟だったなと思います。一応自分なりに考えてチームの中で振る舞ってもいたのですが、結局自分のままでしかいられなかったなと。何か自分の中で壁を乗り越えてアクションをとることができた日は多くはなかった気がします。だから同期に対しては結局最初のチーム作りの一番大変な期間にいられなかったことに対する罪悪感と、それを最後の半年で挽回できなかったことに対するごめんねの気持ちがどうしても残ってしまいます。それでもこんな私を同期として、最上級生として認めてくれた同期と後輩たちにはありがとうの気持ちでいっぱいです。みんなとするバレーは本当に楽しかったし、試合中自分もコートの中に入りながらゾクゾクするような瞬間や心の底から一点を喜べる場面がたくさんありました。私のバレー人生をみんなとのバレーで締めくくれて幸せです。

 

 

 

こうやっていろんな時期があり、私はいつしか女バレが私のホームだと感じるようになり、そして自分が女バレの一員であることを誇りに思えるようになりました。具体的なきっかけがあったわけではないですが、先輩方、後輩、コーチの方々、同期、みんなと過ごした日常の積み重ねと一緒に熱くなった経験が結局そう思わせてくれたんじゃないかなと感じています。女バレでは何も隠すことがないレベルで素で過ごしていて、特に同期は(そして時には後輩も)なんだこいつって何千回と思ったと思うし実際に同期からは何百回も言われてますが、それくらい女バレが自分の中で居心地の良い、大切な居場所になっていたなと思います。正直、大学に入学時、本当の意味で自分らしくいられて心の底から笑い合えて尊敬できる仲間に出会えると思っていませんでした。だから本当に女バレでコーチの方々、先輩方、後輩、そして同期と出会えたことは、東大に入って、女バレに入って心から良かったと思えることの一つです。ありのままの私を受け入れてくれて、私に居場所だと思えるコミュニティを与えてくれて、皆さん本当にありがとうございます。そんなチームの中で、どの代も、一緒に昇格目指して本気で頑張れたのは、掛け替えの無い経験です。誰かと一緒に熱くなれる経験ってそうそうないし、そんな4年間を送れたことを幸せに思います。もしかしたら他の選択をしても楽しい大学生活を送れていたのかもしれないけど、女バレに入部した選択は間違っていなかったと今は心から思えます。

 

最後に後輩へ。私の後悔をシェアしておくと、やっぱり長期的に同じ熱量で頑張りきれなかったことです。もちろん毎日部活以外にもいろんなことがあって、部活内外のことでその時々のモチベって変わっちゃうかもしれないけど、そんな時もちょっと踏ん張ってチームのこと思って頑張れたら悔いの無い4年間が過ごせるんじゃないかなと思います。おそらくみんな既に私よりはできているから余計なお世話な気がするけど、私は一瞬一瞬を頑張れてもそれが長期的に続かないことが多くて、あそこでちゃんと踏ん張れていたらもっと上手くなれていたしチームにももっといろんな面で貢献できていた気がします。皆んなには4年間振り返った時に後悔を残して欲しくないから、もしモチベが下がってしまった時には自分が女バレにいる理由が何だったのか思い出して頑張り抜いてくれると嬉しいです、もちろんしんどくはならない程度に。心から応援してます。

その時々で楽しかったこと、嬉しかったこと、一生懸命になったこと、辛かったことや苦しかったこと、もっと色々あるんですが、文章力がないのでまとまりがなくなってしまうのと、抱いていた感情を鮮明に思い出せなかったりもするので、すごくコミュニティベースみたいな話にはなってしまいましたが、こんな感じの引退ブログにさせていただこうと思います。ここまで読んでくださってありがとうございました。

けい

 

 

引退ブログ(のあ)

こんにちは。前年度女子部主将を務めました、のあです。
1ヶ月前に引退してからは、最近会ってなかった人に会ったり、同期とくだらない会話したりと、なんだかんだ楽しく過ごしています。

実は私は一年前の代替わり期に、引退ブログの内容を考えていました。他にもっと考えることあっただろという感じですが、まぁ男子部の先輩の引退ブログを読んで、私も「昇格しました」って書きたいなと思ったわけです。
いざ書く時がきましたが、思い描いていたものにならないし、さらっと無難なことを書いて終えようと思いました。でも、よく考えたらこれまで引退ブログに綴られた言葉に心を打たれ支えられてきたなと思い、私なりに真面目に書くことにしました。
とはいえ話が長いことに定評のある私の文章なので、かなりの分量になることが予想されます。読んでくださる方は、適度に休憩しながらお読みください。

【感謝】
まずは、4年間お世話になった皆さんに感謝をお伝えしたいです。支えてくださったOBOGの皆さん、アシスタントコーチ軍としてたくさん練習に来てくれた皆さん、一緒に東大女バレですごした先輩方、後輩のみんな、同期、歴代コーチの皆さん、家族、友人のみんな、本当にお世話になりました。4年間を振り返ると、いろんな場面でたくさんの人に支えてもらったなぁと思います。人に恵まれた4年間でしたし、とても充実した日々でした。そう思えるのは、関わってくれた全ての皆さんのおかげです。本当にありがとうございました!

【感じたこと】
私が4年間の女バレ生活で特に感じたことを4つ書き連ねます。
後輩に伝えたいことを書こうかと思ったけど、人それぞれ状況も感じることも違うしな~って思ったら上手くかけませんでした、ごめんなさい。
ということで、もうここから先は基本自分語りしかしていません。正直恥ずかしいのですが、1人くらいには何かしら刺さる可能性もゼロではないので書きたいと思います。

・自分の存在意義は自分で作るしかない
これはプレー面でもそれ以外の面でもそうだと思いました。どのポジションでも、コートに立っていてもいなくても、自分がチームにいる意義みたいなものは自分で作っていかないと生まれないんだなって感じました。
チーム運営の面でも同様で、ただ部活に所属していれば勝手に必要とされるわけじゃないし、誰かが存在意義を与えてくれるわけじゃなくて、自ら何かしらの意義を作っていくからこそ必要とされるという至極当たり前のことに気づきました。当たり前すぎますね笑

・信念を持つことと、互いに尊重することの大切さ
執行代の一年で1番感じたことです。
物事を進めていく時、軸となる信念が無いとブレてしまって、目的が見えなくなったり、ふと振り返ってみて自分が何をしてきたかわからなくなったりするから、信念を持って頑張るのが大事だと実感しました。

いろんな信念をもった人が集まって「チーム」として物事を進めるとぶつかることも当然ありますが、その時はそれぞれの信念を理解した上で、それを尊重してお互いに落とし所を探していくのがとても大切だと感じました。それをするには結構な労力が必要ですが、ちゃんと落とし所を見つけられた時はすごく納得して前に進めます。この代の執行代はものすごく良い関係性でしたが、それは単純な仲の良さが理由ではなく、お互いちゃんと話して、ちゃんと話を聞いて、その上で各々の信念を尊重しあって歩み寄ることができたからだと思っています。
常にこれができるわけではないとは思いますが、労を厭わず可能な限り歩み寄る努力をするのが大事だなぁと、今の私は感じています。

・自分の限界を決めないことの大切さ
私は何かやる前にすぐ後ろ向きに考えて、勝手に無理だと決めつけがちでした。でも周りの人が私の背中を押してくれて、やれるだけやってみようと思って努力し続けた結果、無理だと思っていたことができるようになりました。
自分で自分の限界を決めて単純に逃げていただけだったなと今となっては思います。自分のために本気で何かに取り組めることはこの先そう何度もないから、「どうせ無理だ」なんて諦めずに、「こうなりたい」「こうしたい」という気持ちを大事にして良かったなぁと思います。大事にさせてくれる環境に居られたのも幸せでしたね。
後輩のみんなには、限界を決めずにとにかくやってみるということをしてほしいです。スパッと割り切るのが良い時もあるけど、最後まで足掻いてみるのも良いんじゃないかと思ったりしています。

ちなみに、自分の理想と自分の存在意義とかチームの最善がズレることも当然あって、そこを上手く調整するのはすごく難しいことも痛感しましたが、心の中に「やってやろう」的なものをもってやれば上手く両立できるんじゃないかなーっていうのがこの一年を経て私なりに出した結論です。

・漫然とやらないのが大事
これは新歓コンパで喋ったことの再掲です笑。
大学で部活に入ると、周りからすごいねとか言われることがあります。たしかにすごい部分もあります。でも、部活って入部する時は結構大きな選択だけど、入ってしまうと週4日部活に行かなきゃいけなくて、行ったら3,4時間練習しなきゃいけなくて、練習メニューがあって何かしらやることがあります。なので、案外漫然とやれてしまいます。
私はもともと、部活の日だから部活に行って何も考えずにただ楽しくバレーやってるだけの人でした。でもふと周りを見て、サークルや団体で活動してる人、インターンをしてる人、留学する人、バイト頑張ってる人、、、そういう人の方が日々選択の連続で、私よりたくさん考えて成長して豊かな経験を積んでいるのではないかと思いました。このままだと引退したとき、私なんもしてこなかったな、ってなるのでは、、、と焦りました。
そこから私は、毎練習自分で選んで部活に行こうと思うようになりました。その日何をするために練習に行くのか考えて、それができたか振り返って、また次何をするか考えるようになりました。それはプレーだけじゃなくて、「組織の中で何をするか」もそうです。ただバレーだけやって4年間過ごすのではなく、東大バレー部で私はこれをやった!と胸を張って言える何かをしようと思いました。
まぁそんな感じのことをあるとき思って、いろいろと頑張ってみました。

以上、あくまで私の個人的な考えだし、将来また別の考えに変わるかもしれませんが、今の私の中にあるものを書き記してみました!

【振り返り】
さて、もうここまでで結構な分量なので終わらせてもいいんですけど、一応自分のためにも私の4年間を振り返らせてください。自分にフォーカスしてるので面白みはありません、、、。暇すぎてこの先も読む人は、こんなやつもいたんだ~程度にお願いします。

・大学1年秋
9月頃入部しました。コロナ禍とはいえ、中高と比較したらものすごく恵まれた環境だったので、とてもわくわくしながら入部したのを覚えています。でも、手首と肩の怪我であまり練習ができなかったし、同期2人より圧倒的にバレーが下手だったので引け目と焦りがありました。この時期に急に「誰よりもレシーブ上手くなってやろう」とか思って、ひたすらレシーブ練習をしました。腕があざでグラデーションになっていたのも今となっては良い思い出です。この頃のレシーブ特訓が無ければ今の私はありません。練習に付き合ってくれたゆうりさん、はなさん、ありがとうございました。

・大学2年春
謎に2週間セッターをやりました。けいとぶつかって捻挫したので結局リベロになりました笑
ここから私のリベロ生活が始まります。この時セッターの気持ちをちょっとだけ味わったのは、その先のプレーにも影響した気がします。

・大学2年秋
私の転換期です。けいの留学が決まり、この代の主将を誰にするか話し合った時期です。部活への向き合い方を真剣に考えました。自分を変えてでも苦手なことに向き合わないといけない瞬間がきたんだなと思って、引退まで妥協せず死ぬ気でやろうと決めました。この時から自分の目指すプレーヤー像や主将像、チーム像が明確になり、部活が毎回充実したものになりました。
相談に乗ってくれた福田さんや先輩方、私の決意表明を聞いてくれた同期、先輩、今井さんにはとても感謝しています。そして私の行動を受け入れてくれたあおさん、りんさん、なぎさん、本当にありがとうございました。

ここからの1年は、自分が主将だったらこんな後輩が欲しい!っていう後輩であろうと思い、いろいろと模索しました。練習も、しんどくて手を抜きたくなっても「来年主将になってもそれやるの?」って自分に問いかけ続けてちゃんと頑張れたので、この一年すごく充実していました。

・大学3年夏
初の七大戦、レシーブ賞1位をいただきました。4年間で1番嬉しかった瞬間かもしれないです。中高の部活は週3回1時間の練習で、なんならボールに触れるのなんて30分程度、試合もほぼ無いという環境でやってきて、東大女バレに入ってからも1番下手だし怪我してばかりでした。試合に出られない悔しさも、リベロというポジションの苦しさも味わいました。それでも「バレーが好き」という気持ちを原動力に自分なりに努力した結果、小学校からやってる人、中高週6で練習してた人、試合経験が豊富な人、いろんな人がいる中で個人賞をいただけて、これまでの自分の努力が認められたような気持ちになりました。基本的に自己肯定感が低い私ですが、初めて「私レシーブ得意かも」って思いました。

・大学3年秋
秋リーグ最後の順位決定戦、私のせいで負けそうになって、涙目でプレーしてました笑 それでも笑顔で励ましてくれて、失点を取り返してくれた当時の4年生はかっこよかったです。勝って良かったです。どんな時も崩れないメンタルをもとうと思った試合でした。

・大学3年11月
代替わりしました。リベロからライトになりましたが、当時私に攻撃力を期待していた人はいなかったと思います。でも入部当初からサイドで点を取れるようになりたいと思っていたので、やれるだけやって足掻こうと思い、とにかく自主練しました。助走と壁打ちから始めました笑 そんな感じだったのが、最終的に自分のプレースタイルができて、そこそこセッターにトスを託してもらえるようになりました。私にトスを上げてくれてありがとう。
もうちょっと上手くなりたかった部分もありますが、4年になっても成長できたのは嬉しかったです。

・大学4年冬~春
必死すぎて記憶が曖昧です。とりあえずしんどかったです。特に就活。2度とやりたくありません。

・大学4年夏
七大戦。九大戦と、最後の名大戦のフルセット負けが特に悔しかったです。個人としての悔しいポイント、大きいのは以下2つです。
1つ目は、さわを1人で頑張らせてしまったこと。これ以上ないくらい頑張っているエースを助けられなかった不甲斐なさを感じました。
2つ目は、レセプの安定感のなさ。この大会もレシーブ賞1位でしたが、賞を獲ったところで結局大事な場面でミスる自分が悔しかったです。
結果は本戦3位で、なんとかコーチの川辺さんに賞状を渡せたことだけは良かったですが、個人的には総じて悔しい大会でした。

・大学4年秋
秋リーグ、昇格できなかったです。部活でやる以上は結果が全てだと私は思っているので、すごく悔しかったです。部員みんながものすごく頑張っていたのもわかっていて、それでも何かが足りなくて、そこを埋められなかった自分の力不足を感じました。

後半暗い内容になってしまいましたが笑、執行代の1年、楽しいことも結構ありました。何より、バレーボールがめちゃくちゃ楽しかったです。主将のしんどさとバレーの楽しさは両立できるということを川辺さんが教えてくれましたが、実際本当にそうでした。純粋にバレーボールが楽しかったし、このチームで戦うのが楽しかったです。
秋リーグ前に私が「私、本気で昇格したいんです」と言った時、後輩のみんなが「昇格しましょう」「勝ちましょう」「私もです」と言ってくれたのも、とても嬉しかったです。
私は先頭に立って引っ張るというよりは、チームを支えつつみんなと一緒に走っていこうと思っていたので、なんだかすごく嬉しかったです。一緒に頑張ってくれて本当にありがとう。

主将としての一年は、ダメな自分、できない自分に直面させられる毎日でした。めちゃくちゃ頑張らないと普通のことができなくて、当たり前のことを当たり前にやるのが精一杯、普通の主将になるのが精一杯でした。
それすらも周りの人の支えがなければ無理で、特に、知識、経験、技術、性格、どれをとっても主将としては至らない点ばかりの私を1番に支えてくれたのが、同期の2人と川辺さんでした。心から感謝しています。たくさん迷惑をかけましたが、最後まで支えてくれてありがとうございました。3人には書こうと思ったらまだまだ感謝を書けますが、重いってまた言われそうなのでやめておきます。

【締めます。】
いろいろあった4年間でしたが、女バレに入って良かったです。尊敬できる人や大好きな人にたくさん出会うことができたし、周りの人の優しさや心に秘めてるもの、熱い部分にたくさん触れることができました。本当に素敵な人ばっかりで、人に恵まれた4年間を過ごさせてもらいました。
そして、4年間さわとけいと3人で支え合いながら頑張れて、肩を並べてコートに立てて、3人で引退できたことが何よりも幸せでした。女バレに入って1番良かったことは、最高の同期と出会えたことです。本当にありがとう。

私のバレー生活はここで終わりですが、これからも東大バレー部OGとして後輩のことをずっと応援しています。強くなって、たくさん勝ってくれたらもちろん嬉しいですが、何よりもみんなが女バレで過ごす日々を楽しんでくれたら嬉しいです。
私は私で、バーンってした文章をガッとまとめる力と、擬音を使わずに説明する力を身につけていけるよう、頑張りたいと思います。
改めて、関わってくれた全ての皆さん、ありがとうございました!

非常に長くなってしまいましたが、当初考えた内容より濃くなったので許してください、、、。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

2023年12月17日