引退しました(徳永)

お久しぶりです。前年度主将を務めました徳永です。

引退してから約4週間が経過しましたが、すっかり部活がない生活になりました。いまは引退して一区切りということもあり、これからの人生がとても楽しみです。

3年もの間、生活の軸になっていたバレーボールですが、終わると意外と気持ちは離れるものですね。大事にしていたものから簡単に気持ちを切り替えられるというのは、今や未来を向くという意味では人間の素晴らしい能力であると思います。同時に、簡単に手放せてしまうという意味では人間の残念な点でもあるなと、悲しくも感じます。

引退してからは運動する機会が減ってしまいました。普通に寂しいですね。運動は健康な生活を送っていく上でやはり大事でしょう。少し間が空いたら、柔道でもしようと思います。柔道の体型になってしまったら、赤門倶楽部の大会では使い物にならないかもしれませんが、2個上の先輩方と同期で余るほどのミドルがいるので大丈夫でしょう。

さて、連日更新されている引退ブログですが、後半になるほど書きやすいなと思いますね。分量も、内容も、他の人が書いたモノに合わせられるのですから。

途中まで同期のブログは短くまとまっていました。いい流れでした。実は僕自身もあまりしっかりと書く気は無かったのです。短く軽く書こうと思っていました。

ところがどっこい、昨日更新された我らが副将のブログがなんと6000字にもわたる大作でした。困りましたね。内容が良かったので許容しますが。。はぁ。

間をとってほどほどに書こうと思います。

では、暫しお付き合いください。

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振り返って見ると、バレー部は僕にとっての大きな居場所でした。

バレー部に入部した理由は『部活』という環境が好きだったからです。部活くらい深い人間関係を形成できるコミュニティってあまり無いと思います。

一緒にいる時間が長いこと、そして、共通の目標を目指すこと。これが部活における人間関係を良いものに仕立て上げているのではと強く感じます。

そんなわけで、当時の自粛型生活によって溜まっていたバレー欲にもつられたこともあり、見学もせずにバレー部に入部をしました。ちなみに悩んだのはレスリング部と柔道部です。

逆に言うとそれ以外の理由はあまりなかったですね。他に圧倒的にしたいスポーツもなかったですし、大学の外に気持ちを注ぎたいと思えるものもなかったです。

さて、そんな感じで見学もせずに入ったバレー部でしたが、入って見たらとても心地よい環境でした。

右も左もわからない1年生を、当時の主将はじめ先輩方がすごく気にかけてくださっていたように思います。

2年生の時もコーチや先輩方にも大切にされ、下級生として良い期間を過ごせました。楽しかったです。麻雀も教わりました。

先輩方に大切にしていただいたと思いますし、僕がこの部活を好きになる礎をくださりました。本当にありがとうございます。

そして、この時期に生まれた「この部活が好きである」という気持ちと「この部活をもっと良くしたい」という気持ちが、後々、主将を務める中での大きな原動力となりました。

そして、この時期に入った同期のみんなにも感謝です。(後からの入部ですが、もちろんミネヤも。笑)

コロナで見学もできなかったり、普通の大学生活が送れていない中で入った学年でしたが、当初は9人も入りました。少し曲者が揃ったように思いますが。。

下級生の頃になかなかモチベーションを保つことが難しいメンバーもいたと思うけど、ほんとうに長く続けてくれて嬉しいです。

2,3年生になるにつれ後輩も入ってきました。彼らは皆、バレーボールに対して熱心であり、バレーボールが上手でした。

そして、何かしらの点において素直さや誠実さ、人としての軸を持っていました。

そんな彼らとなら良いチームを作って、勝っていけると思っていました。

本当に多くの時間ともにバレーボールをし、部活以外でも多くの時間を共にしました。

良い時間を過ごさせてもらいました。ありがとう。

そして、最終学年では主将を務めました。僕のプレーレベルとバレーの知見で主将をするというのは、チャレンジングなことでした。

ただ、下級生の頃に醸成された「この部活をもっと良くしたい」という思いを軸に取り組みました。(1年間で良くなったかは分からないですが、色んな変化は起きました。)

さて、結果はというと、皆さんご存知の通り、なかなか勝ち星が挙げられない1年間になりました。

勝てるメンバーだと思っていましたし、今でもそう思います。

しかし、1年間負け続きの結果になっていましました。

結果を重視する派の人

過程を重視する派の人

どちらも大事なのは前提として、僕の好みは過程派です。かなりの過程派です。内容の悪いトップより内容の良いラスです。

そんな僕ですが、この1年間に関しては、やはりどこかで結果として、日々の取り組みが反映されるような、勝ちを作りたかったです。

申し訳ないですね。そして、そんな中、皆、部活動に精を出して取り組んでくれて、ありがたいです。

主将を務めた1年間で思ったことは多くありますが、申し訳なさと、感謝。ほんとうにこの2つに尽きます。

そして、後輩には、勝って良い時間を過ごして欲しいなと、とても思います。

それぞれの代持ちの1年が良いものになるように、切に願っています。

ほんとうに、善く過ごして欲しいなと思います。

さて、こうやってバレー部生活を振り返りましたが、自分としては率直に、入ってとてもラッキーだったなと思います。

さらに、少し嫌な話かもしれませんが、後から振り返ったときに、「〇〇で良かった」と思うのって、僕は結構当たり前の話だと思います。人間そういうようにできていると思います。(そう思えていることが幸せなのかもしれないですが。)

なので、それが本当に良かったのかと、真摯に向き合う姿勢をどこかで持つことが大事なのだと考えます。

その考えのもと、自分の気持ちを割り引いて客観的に見ても、この部活に入ったことはそれなりに幸運だったと感じます。良いことですね。それだけで十分です。

最高に幸運だったかは、今後の人生が決めることな気がします。

さて、バレー部での3年間、特に主将を務めた時期を振り返り、足りなかったものは多くあります。

基本的に自身の中で完結するものですし、決して多くの人の参考になるとは思っていませんしが、特筆すべき2つを書くことにします。

もしも参考になる人がいたら、読んで欲しい、くらいです。

(正直、書かなくてもよかったのですが、僕が思う”ほどほど”の字数に到達していなかったので。。。)

1つはバレーを追求する心と技術です。

バレー部に入る人はその時点である程度バレーボールが好きで、上手くなりたいと思っているはずです。

ですが、やはりそれにはいくらでも上がいます。

どれくらいバレーが好きか、どれくらい自分のバレーボールを追求できるか、はバレーの成長やバレー部にいることへの充実度にも繋がってきます。

高校から始めた僕ですが、この部分で中学から始めている上手な後輩との差を感じます。そして、彼らはバレーボールを根本的に好きであり、バレーを追求することも上手だとも思います。

やはりバレーが上手な人には、バレーをうまくなるための、心や考え方のOSが一定備わっているように見えます。

東大バレー部において、バレーに対する意識や好き度が異なるレベルが入ってくるのは当たり前だと思いますし、それが低いからといって決して悪いことだと思いません。

ただその前提のもと、(特に境遇が似ているような後輩達には、)学年が上がるにつれバレーを好きになれるように、そしてバレーを好きになることすらも、上手くなっていくように工夫していって欲しいなと思います。

もう1つは『信じる』ことです。

信じるというのは、実に深い概念だなと、最近つくづく感じます。

「どれだけチームメンバーを信じられていたか?」

「自分が打ち出す方針をどれだけ信じていたか?」

「自分達が勝つことをどれだけ信じていたか?」

という問いはどこまでいっても際限ないですし、これらのいずれも、もっといい形で持てればよかったと思います。

特にメンバーを信じるというところをもっと突き詰めたかったですね。

今後何かしらの壁にぶつかったり、あるいは悩むことがある人もいるかもしれません。

その時に、チームメイトなのか、自分自身のポテンシャルなのか、はたまた別のものなのか。

何かはわかりませんし、それは人によって違うと思いますが。時には何かを思い切って信じてみて欲しいなと思います。

信じるというのは、人間に与えられたかなりすごい力の1つですし、人は必ず常々何かしらを信じながら生きています。

(そして、その人が信じているものこそが、その人の性格や考え方に大いに出ているのだろうなと、言い換えればその人の根本なのではないかとも思っています。)

形は人それぞれですが、何かを信じることで開けるものがあるのではと、そう思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

なんとかトリを飾れるくらいのボリュームにはなったのかなと思います。

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最後になりますが…

仏教には縁起という概念があります。

(深く理解しているわけではないですが、)全てのものは他との関係によって成り立っているというその思想は、22歳の自分には真に見えます。

大学の大半を過ごした東大バレーボール部。その中で出会った多くの方々。

やはり僕は、バレーを通じて関わってくださった皆さんとの『縁』の中に生かされています。

そのことを再認識し、そして大きな感謝を持って本ブログを終えたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

20231125

引退しました(佐藤)

引退ブログ(2023.11/23

お久しぶりです。先日、男子部を引退しました、佐藤です。

初冬の風物詩とも言える引退ブログラッシュも気付けば終盤ですね。

ChatGPTを巧みに操ってくる同期のブログに見劣りしないように、質より量で書きました

の近況と言うと、ヘルニアのせいで文字通り重たくなってしまった腰を上げ、ほぼ手付かずであった卒論に追いかけられる日々を過ごしています。デスクワークが増えたので、相変わらず腰痛とのお付き合いです。齢22にして、腰痛と共に末永く生きていく覚悟ができている僕は、果たして生物として弱いのか、強いのか。なんて考えてしまう日が、ないではない訳ではないです。

てな感じで、この度は卒論を書く筆を一度休めて、引退ブログを執筆させて頂きます。

大方の予想通り長々としたブログになりましたが、最後まで読んで頂けますと幸いです。

まず初めに、感謝の挨拶からさせてください。

これまで4年間活動を支えてくださったOB・OGの皆様、ならびに監督・コーチの先輩方。

また東大バレー部で共に時間を過ごした先輩方、後輩たち。そして何より同期のみんな。

皆様に支えられて、東大バレー部で本当に充実した4年間を過ごすことができました。

から、感謝申し上げます。

心から感謝を申し上げた後に言うのもなんですが、僕の東大バレー部人生は、

コロナに始まり、コロナを挟んで、ヘルニアに終わる4年間でした。

言っても、決して退屈な4年間ではなく実際のところは、結構楽しかったです

コロナもヘルニアも経験して、なんなら主務(七大戦の主管付)も会計も、オマケの運動会総務部も感染症対策委員会も、部活外の仕事もかなりハードでしたが、それでも楽しかった言えてしまう自分がいます。不思議なものですね。いま僕がこう思えているのは、素敵な仲間に恵まれたからです。

僕と出会ってくれたみなさん、ありがとうございます。

さて、前置きはそこそこにして、僕のブログは部構成でまとめさせて頂きます。

長々と書きたいことを書き連ねることになりますがぜひ最後までゆるりとお付き合いください。

【第一部】佐藤陽の東大バレー部の思い出ベスト3!

まずはポップに書き始めようってことで、思い出の発表でもしてみます

第3位 「3年生時の秋リーグの一橋戦」

この試合は、同じセッターの能丸大先輩が、途中出場から大活躍した試合です。試合のか月前くらいに「最後の悪あがきしてるわ」とか唐突に言い出して、練習自主練して、最後の秋リーグで本当に出番が来て、先輩やでって見せつけてくる感じ。こんな事言いたくないですが、流石にかっこよかったです。ポンコツキャラな節があります(しかないです)が、本当に熱心でお世話になった先輩だったので、普通に嬉しすぎて泣きました。バレーの試合見て、二段トス泣くなんてこと、今後一切ないと思いますたくさんのエネルギーを貰いました。まあ素敵な思い出ですね。

この場を借りて、能丸さん、4年間本当にありがとうございました。

第2位 「最後の順位決定戦

最後の年はヘルニアとの闘いでした。引退試合の順位決定戦に出場することも、半ば諦めかけている時期もありました。それだけに、最後の秋リーグの順位決定戦で、1セット分コートに立つことができて、満足なプレーはいかずともユニフォームを着てトスを上げることができて、率直にとても嬉しかったです。同期のみんなと、やっと最後に同じコートに立てたのも嬉しかったです。3セット目の終盤も、これ以上ないお膳立ての状況を貰って、セッター後輩かじけんと我らがキャプテンにトスを上げることができて、自分にもこんな大役が回ってくるのかと感慨深いです。最後にトスを上げるのが、2人で良かったです結構まじめに。応援してくれたみんなも含めて、最後に最高の機会をありがとう。

第1位 「東大主管の七大戦

4年生時の七大戦は、ヘルニアでプレーができない自分にできる事は何かという自分が向き合ってきた問いの答え合わせの時間でした「呼応」などというテーマを自分の中に掲げてプレーはできなくても、自分の行動と態度と言葉で、少しでもチームのみんな支えになって、背中を押してやろうと、そんな信念で臨みました。準備の時期は、精神的にきついタイミングも何度かありました。七大戦の準備に追われる最中でも、就活やら院試やら自分の将来も考えなければならなかったり、バレーボールができないという現実と向き合ったり、本番の直前期には同じセッターの同期が1人辞めてしまったりと、なかなかに多難な日々でした。大会期間中に激デカ台風が来る予報に愕然としたのも、今となっては良い思い出です(笑)本番の5日間もかなり過酷で、みんなしんどい中、本当によく頑張ってくれたと思います。本当にありがとう。

七大戦を通して感じたのは、チームっていいなってことでした

まず、七大戦の主管運営にあたって尽力してくれたみんな、本当にありがとう僕の引退ブログなんぞ読んでくれているかわかりませんが、女子部のみなさんも、本当にありがとうございます。差し入れをしてくれたみなさんも、ありがとうございます。本当にいくらでも、ありがとう」が出てきます。言うなれば、この世に何種類か存在する感謝の内の1、「止め処ない感謝」です。みに淀みもないです。

このチームで良かったと、心から思える七大戦だったからこそ、試合に負けてしまったのは悔しかったです。いっぱい泣きました。慰めてくれた左利きコンビ、この場を借りて、一応謝罪しておきますごめんなさい。

来年は勝とう。再来年もその次も。絶対に応援に行きます。

それから、決して自慢ではないですが、

七大戦の期間中も終わってからも、僕には勿体ないくらい温かい言葉をたくさん頂きました。

恩返ししたい

「陽さんの分もかましてきます

「佐藤さんがいてくれて良かった」

陽さんから元気貰ってました

陽さんのおかげですね

陽さんみたいになりたいと思った

他にもたくさん、ありがとうございます。

今も思い出して全然泣けそうです。光栄です

色々思い返すと、本当によき仲間に恵まれて自分は幸せだなと感じます。入部したての頃は、「東京大学バレーボール部」とチームメイトに対して、ここまでの愛着を抱くようになるとは、想像していませんでした。それに、部員のみんなからこんなに温かい言葉の数々を貰えるとも、思っていませんでした。

バレー部に入って良かったと、今は心から思います。危うく、アカペラサークルでボイパを極める道を選ぶところでした

「このチームが好き」「このチームで良かった」と思える感覚って、心地よいものです。後輩のみんなも、せっかくバレーボール部で頑張っているのだから、最低でも3回くらい、「このチームで良かった」と心から言える経験をして欲しいなと、思っています。これは単なる僕の願望なので、初詣に行ったら絵馬にでも書いておきます

本当にたくさんの良い思い出をありがとうございました!!!

【第二部】佐藤陽:オリジン

みなさんは、どんな時にバレーボール好きだな!って気持ちになりますか

この10年間のバレー人生で、自分が一番バレーボールを心から好きだと思った瞬間は、自分のトスを打って決めて貰う快感を覚えた時でした。自分でスパイクを決めるよりも何倍か嬉しかったその瞬間に、「チームスポーツ」としてのバレーボールに目覚めたと思います。

そう。バレーボールは「チームスポーツ」です。

「チーム」という視点を欠いた状態で強いバレーボールはできないと思います。

「チーム」として洗練されていくことを目指すのが、チームスポーツだと思います。

じゃあ、この「チーム」って、何ですか?

チームのためにできることをしましょう

部活に入っていたら、一度は耳にしそうな言葉です僕も使ったことがあります。

でも時折、この言葉の言う「チーム」恐ろしさを感じる時があります。

それは、この言葉の言う「チーム」自分の考えている「チーム」と違うかもって感じる時です。

この言葉が使われる時、そこで言う「チーム」の意味付けはつまるところ、この言葉の使い手の解釈に依存しています。だからこそ使い手側は、それが「(使い手が頭の中に描いたチームの話であることに十分注意を払う必要があると思います肝心なのは、それぞれがそれぞれの中に、独自の「チーム」観を持っているという事実に自覚的になることでしょう「チームのため」を過剰に強調し、全体主義的な方向に導こうとすることは、今の時代だとチームハラスメント」だとか言われてしまう気がします。

とは言ったものの僕はチームの一体感とか大切だと思っている部類の人間です。

コートの中だけでなく、ベンチにいる人も、ギャラリーにいる人も、目の前のバレーボールにのめり込んで、応援まで含めて全員で闘えるチームが好きです。ただ、その手の一体感を作る方法は「チームのために」と連呼する以外にも、たくさんあるような気がします。例えば、仲間チームに対する愛着があればその愛着を自分の行動のモチベーションに変えることができると思います反対に、チームメイトに対して愛着湧かない関係性のチームでは、いくら「チームのため」と叫んでも誰も動かないと思います少なくとも、東大バレー部での最後の一年間、ヘルニアで満足にプレーができない僕の原動力は、チームと仲間に対する大きな愛着みんなが僕にくれるこれまた大きな愛着した

「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」

この「みんな」は、“Allではなく、Everyone”だと思います。

チームという全体をなす一人ひとりが、自分まで含めた“Everyone”を大切にしましょう

そういう意味の言葉な気がします。

改めて。やはり、バレーボールは、「チームスポーツ」です

僕がこの10年間バレーボールを通じて追いかけてきたのは、ボールではなく

本当は、ボールの先に転がっている仲間と熱くなれる瞬間とかだったような気がします

最後にもう一度。

みなさんは、どんな時にバレーボール好きだ!と思うでしょうか?

僕はやっぱり、自分のトスを決めて貰う瞬間です。ありがとう!と言って、「ナイストス!」と言われて、ハイタッチする時が一番好きです。でもこの経験は、チームがあって仲間がいてこそのものです。

チームがあって、仲間がいる。だからバレーボールは楽しい。

この世のスポーツで一番楽しいバレーボールと、

それを共に楽しめる仲間との出会いに、マジで感謝。

拝啓読者の皆様。イナイレ見てください。)

【第三部】後輩たちへ

新チームが始まって、まもなく1か月が過ぎようとしています。元気に頑張っていますか?

全員のびのびバレーボールを楽しめていたら、それが僕にとっては一番の吉報です。

みんなにとってこれからの1年間は、3部昇格と3部で勝つことが目標の1つなると思います。

そして、それが一筋縄ではいかない目標であることは、この1年間で痛感したと思います。

このことを踏まえて、みんなはこれから今よりも「強なる必要があります。

ここで僕がしたいのは、その「強さ」の意味をよく考えてほしいというです。

例えば、バレーの技術至上主義的な価値観で、チームは「強く」なるのか。

もちろん、バレーの技術面の強さは、試合の勝敗に最も直結するろう部分です

でも僕のこの10年間の経験、技術の差がひっくり返る試合は少なからず存在しています。

負けた理由を技術不足のせいにするのは簡単です。でもバレーボールの試合には、技術以外の要因も大なり小なり絡んでいると思います。特に、お互いのチームの技術レベルが拮抗している試合、技術以外の要因が勝敗を決定付けていると思います。では、その要因とは何なのか。「強く」なろうとしていく、みんななりに考えてみてほしいです。

一方で、技術が向上することは、「強く」なる上での前提条件ではあると思います

チーム内の技術の向上を、どのように実現していくか。これもまた多角的に考える必要があります。

練習を工夫すること、選手間でフィードバックし合う関係性を作ること、やれることはたくさんありますここで僕が大切だなと感じるのは、「好きこそものの上手なれ」という先人の教訓です楽しいと思えている時期だから上手くなるのか、上手くなっている時期だから楽しいのか。それは僕にもよくわかりません。でも仮に前者だとするならば、みんながバレーボールを楽しいと思えるような空気をチーム内でっていくことは、それなりの意味があると思います。ムードメーカーや精神的支柱と呼ばれる存在がその価値を認められているのは、こうした空気作りに長けているからなのでしょう。

きっと「強さ」にも色んな種類があってひとりひとりの「強さ」にちゃんと価値があります。

反対に、ひとりひとりが、それぞれに異なる種類の弱さを抱えています

特定の種類の「強さ」だけを絶対視し、特定の種類の「弱さ」だけを責め立てるチームには、あんまりなって欲しくありません。それぞれの「強さ」も「弱さ」も平等に理解して、平等に責めて、平等に尊重して、補い合える。ひとりひとりがこういうことを自然とできるチームが、僕は好きです。

ここに書いたのは、僕が思い描く理想のチーム像①の話です。

しかながら「今の時代を作れるのは今を生きている人間だけだよ」と、かの冥王レイリーも仰っていました。この言葉の通り、これからのチームを作っていくのは、他の誰でもなく、これから東大バレー部で過ごしていくみんなです。みんななりに考えて、時に柔軟に、時にこだわって、みんならしいチームを作ってください。

これから悩むことも少なからずあると思います

頑張っても結果が出なかったり、結果が出てもそれに気付いて貰えなかったり

チームに不満が湧いたり、部活の外に悩みが多すぎてバレーに集中し切れなかったり。

しんどい時は、自分を大切にすること。そして仲間を頼ること。

僕が見てきた限り、後輩たちは、仲間に頼るのが下手くそなやつばっかりですついでに、自分を大切にするのが下手くそなやつもちらほらいます。その辺は仲間を信じて、支え合って頑張ってください。

それから一日一日を大切にすること。

月並みな話ですが、最後の一年は特にこれを実感しました。

今日できなかった何かを、明日になって後悔することがないように

あっという間に過ぎてしまう日々の中で、継続と挑戦を欠かすことがないように頑張ってください。

普段ふざけすぎている反動で、お堅い長文になってしまいました。すいません。

試合はぜったいに見に行きます。勝とう。それから、今後とも仲良くしてください。

みんなのバレー部ライフが、より充実した楽しいものになることを祈っています。以上。

【おわりに】

気付けば、このブログも6,000字を越えました。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

書きたいことが多すぎて、なかなかコンパクトにできませんでしたが長々と文章を書くのは結構得意なので、今後はこの長所を論文の執筆にも生かしていこうと思います。

結びの挨拶として、最後に同期への言葉を添えておきます。

「同期」とは言いつつ、入るタイミングもバラバラで、出入りも多くて、同じコートにみんなで入る機会もほとんどなかったですね。4年間も一緒に居ながら、同期全員揃っている思い出がほとんどない、というか皆無なのが、少し寂しいような、自分たちらしいなと感じるような、そんな感じです。

「仲が良い」と大きい声で言えるような代ではないですが、みんなと同期なことが、凄くしっくりきています。

みんなと同期で良かったです。ありがとう。

後輩たちの試合、一緒に見に行きましょう。ぜったいに。

後輩たちの試合、一緒に見に行きましょう。ぜったいに。
東大バレー部、4年間ありがとう。
#10 佐藤 陽

引退しました(三田)

男子部マネージャーの三田晴花です。

このブログを開いて頂き、ありがとうございます。

私は、先月の秋リーグをもって引退しました。最近は、四六時中考えていた部活のことを考えなくて良くなり、解放された気分もありますが、寂しさも感じています。

この4年間を振り返って、とても充実した時間を過ごすことができたなと思っています。

東大男子バレー部は、選手たちが主体的に考えることができ、自分以外の人に気を配って活動することができるチームだと思います。ただ、そんなチームだからこそ、マネージャーがいなくても練習ができてしまいます。自分の存在価値って何だろうと考えたり、考えなかったり。みんなの為に何ができたかと聞かれると困ってしまいますが、自分なりに楽しく真剣に部活に取り組むことができてよかったです。

最後に、この場を借りて部活を通して関わった皆様に感謝申し上げます。

OB・OGの皆様、不自由なく部活動をできる環境を与えてくださりありがとうございました。応援に来た際に、私にも声をかけてくださる方がいて本当に嬉しかったです。

監督、コーチ、同期、先輩方、後輩達、皆さんが私を東大バレー部の仲間に入れてくれました。迷惑をかけることも多々ありましたが、本当ありがとうございました。

そして、部活に入ることを咎めず、応援し、支えてくれた親にも感謝の気持ちでいっぱいです。

改めて、東大バレー部を選んでよかったなと思っています。

4年間本当にお世話になりました。同期との写真で終わりにしたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

マネージャー 三田

引退しました(大井)

こんにちは、先日引退しました、大井です。

 

引退から数週間が経ち、部活に注いでいた時間は卒業論文のために使われています。卒業論文のテーマはずばり、「土砂災害と大規模言語モデル」です。大規模言語モデルとは、言語を単語の出現確率をもとにモデル化したもので、世界を席巻するChatGPTもその1つです。大規模言語モデルは多種多様なタスクに適用できることが期待されています。本題から逸れてしまうので、説明はここまでにします。卒論頑張ります。

 

さて、引退ブログを書くように言われましたが、引退ブログでは何を書けばいいのでしょうか?何も思いつかないので、研究でもお世話になるChatGPTに構成を考えてもらいました。

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タイトル: 「青春の彩り、部活動引退の日」

1. 序章: さよならの時が来ました

2. 第一章: 部活動との出会い

3. 第二章: 成長と挑戦

4. 第三章: 仲間たちとの絆

5. 第四章: 感謝の言葉

6. 第五章: これからの未来へ

7. エピローグ: 青春の贈り物

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なかなか良い構成ですね(笑)。大作の予感がします。でも、他にも色々作ってもらいましたが、どれもしっくり来なかったので自分で書くことにします。人間の意地を見せます。普段文章を書くことはあまりないので、冗長な文章になっていると思いますが、伸び代を感じながらお読みください。

 

僕のバレー部生活を振り返ると、人と大きく異なるところがあります。それは在籍期間が短いということです。僕は3年生になった時に入部しました。その上半年間留学もしていたので、実際に活動した時間はより短くなってしまいますね。それでもバレー部に入ってよかったと思っていますし、とても満足しています。正直なことを言うと、1年生のうちから入っていれば、現在とは違うことも多かっただろうな、と思うこともあります。でも「まだまだ続けたい!」と思いながら引退できることは幸せなことなのかもしれません。

 

僕が入部するまで何をしていたかというと、別の部活に入っていました。大学に入学した時、「サークルはチャラチャラした人しかいない」(完全に偏見です。)と思っていたので運動部に入部しました。コロナで半年間は大学に来られませんでしたが、少し落ち着いた1年生の秋に入部しました。それでもコロナ禍の真っ只中です。緊急事態宣言などで練習が断続的になり、もういいや、となってしまい2年生の夏に退部することにしました。それからはぼちぼち大学生活を送っていましたが、まだまだスポーツをしたいなと思ったので3年生になってバレー部に入りました。

 

バレー部に入るのはとても勇気のいることでした。続けられる自信はあまりありませんでしたが、やってみないと分からないなと思い入部しました。始めはとても楽しかった…訳ではありませんが、元々バレーが好きですし、話してくれる友達もいたので何とか続けられました。そんなこんなで留学の日が来ました。3年生の冬のことです。

 

留学先でもバレーは続けました。同じ大学のバレー部ですが、留学先と東大とでは中身は全く違います。まず、練習が週2回しかありません。週末はよく試合があったので実質週3や週4になることもありましたが、1回の練習時間は2時間です。東大は週4で1回4時間なので、練習時間に大きな差があります。レベルは東大のほうが高く、東大では見向きもされないようなプレーでも、留学先では周りの人に褒められます。そのせいか留学先の部活はとても楽しかったです。一方、留学先の部活に慣れれば慣れるほど、東大に戻ったときは練習についていけるかが不安でした。

 

4年生の夏、一抹の不安を抱えながら帰ってきましたが、すぐにそれは杞憂だったと分かります。自分の中で、留学に行く前と後とで明確に変わったことがあります。それは、みんなとよく話すようになったことです。海外の風に吹かれて性格が明るくなったのか、日本語で伝えたいことが100%伝えられる嬉しさからなのか、原因はよくわかりませんが、とにかく人と話すようになりました。

 

人と話してみると、それぞれの部活に対する思いを知ることができます。バレーが好きで、理想のプレーのために努力をしている。そんな部員たちの真摯な姿を見ると応援したくなりますし、何より自分も負けていられないなと思います。気づけば週4の練習にも楽しく参加していました。オフになった日でも自由参加の練習に参加している自分には驚きました。1年前では考えられません。こんな風に愛と勇気をもらっている間に気がつけば引退の時期になってしまいました。素晴らしい部員たちと出会い、一緒にバレーができたことは一生の財産です。

 

最後になってしまいましたが、お世話になった方々への感謝の言葉で締めさせていただきます。一緒にバレーをしてくれたバレー部のみなさん、活動を支援してくださるOBOGの皆様、見守ってくれた家族や友人、本当にありがとうございました。おかげさまで素晴らしい大学生活となりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

大井

引退しました(飯高)

こんにちは。

先日の秋リーグで引退しました4年生の飯高です。

最近はすっかり寒くなり布団から出るのがしんどい季節になってきたなぁと感じています。引退前は部活にあてていた時間でやりたいと考えていたことがたくさんあったと思うのですが、実際のところは研究室にいる時間が少し伸びたといった感じです。まぁそんな気は少なからずしていました。理系の宿命といったところでしょう。

引退ブログということですので、とにかくダラダラと思い出を振り返っていきたいと思います。読んでやってもいいという方はお付き合いください。

・1年10月

入部しました。僕たちの代が入学した年はちょうど某感染症の影響で授業や課外活動の制限がされており、夏ごろまで部活やサークルの活動はできていませんでした。バレー自体高校からなんとなくで始めたものだったので大学で部活に入ってまでバレーをするつもりは入学当初の僕には全くといっていいほどありませんでした。しかしながら、自粛生活を送っているうちに運動したいという欲が高まりに高まり、サークルもいくつか見学に行きましたが、迷った結果、安定して活動もでき、先に入部して部活の様子を報告してくれた後の同期の誘いもあって部活への入部を決めました。感染症がなければ部活には入っていなかったでしょう。そういう意味ではラッキーでしたね。

・1年11月〜

明本さんたちが引退され、河田さんの代になりました。頑張る気はすごくありましたが年明けすぐの練習から自粛期間に突入し、またバレーができない時期が続きました。

・2年4月〜

ほとんど1年としてバレーをしないまま2年になりました。この頃は活動も再開したばかりで、ゲーム練なんかは特に楽しかったです。新入生もたくさん入部してくれて安泰だなぁと思っていました。が、その1年生たちがちょっと上手すぎましたね。もはや感心していました。上手い後輩たちがとてもいい後輩ばかりで助かりました。はくやさんと淀川とわちゃわちゃ練習してた記憶があります。

・2年11月〜

河田さんたちが引退され、川辺さんの代になりました。この代が始まってすぐに足を捻って救急車で運ばれることになり、しばらくバレーができなくなりました。めちゃくちゃショックでした。やっとバレーができるようになったと思いきやコロナで活動停止になりました。

・3年4月〜

3年になると今度は大学がかなり忙しくなり、平日練習も送れるようになりました。1限から授業を受け、昼から実験、終わり次第部活に行き翌朝また1限といった感じのスケジュールで流石にしんどかったです。

・3年7月

ここが僕のバレー部での最大のターニングポイントでしょう。東商戦が駒場にて開催される日の朝、普通にアップをしていたら柳川さんに「飯高さん今日ミドルで使いますよ(わら)」と言われました。というのも同期のミドルのショーウがその直前に留学に行き、残ったミドルが膝の悪い徳永くんと入部したての上久保だけだったのです。ミドル大丈夫かなぁとは思っていましたがまさか自分がするとは思っていなかったので衝撃でした。振り返ってみるとここでミドルに転向したのは正解だったなと思います。もちろんレフトをやりたいという気持ちはかなり強かったので迷いはしましたが。

・3年8月〜

初の七大戦。楽しかったですね。ラッキーなことにブロック賞ももらえました。ここでかなりチームが勢いに乗ったのではないかと思います。個人的にもこの七大戦で成長できたと思います。そして秋リーグ。昇格できました。川辺さんが七大戦のときに「七大の雰囲気が秋リーグにつながる」と言っていたのがまさにという感じだったなと思います。

・3年11月〜

川辺さんたちが引退され、最高学年になりました。とはいえど最高学年になったからといって僕自身の何かが変わったわけでもなく割と伸び伸びとプレーしていました。年明けには突き指と思っていた指が実はヒビが入っていたことが判明し、少し休みました。こうして振り返ると無事に乗り越えることができた冬は一度もありませんでした。未熟です。

・3年3月〜

ここからは試合がいっぱいありました。東商戦は怪我もあり試合に出ることはできませんでしたが、その後の三大戦はとてもいい経験になりました。初めて他大の選手と飲みに行って仲良くなれました。このような繋がりは部活でないとなかなかできなかったと思います。ここで改めて部活入ってよかったなぁと思いましたね。三大戦の直後には福島合宿もありました。バレーを始めてから合宿を経験したことがなかったため、どんなものかと思いましたがひたすらゲームを回す会でしんどかったです。二日目には相手の足を踏んで捻挫しました。みんなボロボロになって東京に帰りました。

・4年4月

ついに4年生になりました。春リーグはもうかなりしんどかったです。場所も遠いし、朝も早いし、5セットマッチで相手は強いしでもう散々でした。後輩たちにはもう一度昇格して今度こそ3部で勝ってほしいなと思います。頑張ってください。

・4年7月〜

双青、(院試、)七大とあっという間に過ぎていきました。この頃は本当にしんどかったです。この頃というか最高学年になってからは、昇格したこともあり試合相手がどこも強く、なかなか勝てなかったので個人的にはずっとしんどいなぁと思っていました。双青は京大の同期と飲んで仲良くなれたのがよかったです。七大は1年生に混じって新人として頑張りました。七大でも他大の人と仲良くなれたことが嬉しかったです。ここも入部しよかったポイントですね。

・4年10月

秋リーグ。昇格ならず。悔しかったですね。最後の順位決定戦は新人戦も経験できなかったこの代で試合ができ、久々のサイドもできたのですごく楽しかったです。最高の引退試合の場を設けてくださりありがとうございました。

という感じでダラダラと振り返ってみましたがちょっと長くなり過ぎました。果たしてここまで読んでくれている方はいるのでしょうか。読んでくださっている心優しい方はもう少しだけお付き合いください。

振り返りでも出てきましたが、僕が部活での生活を通じて本当に良かったと思うことは、交友関係が広がったことです。バレーが多少は上手くなったことなどももちろんプラスですが、それ以上に他大の人や、先輩方、後輩、そして同期に本当に恵まれ、良い人たちと出会えたなぁと心から思います。綺麗事でちょっとしんどいですね。でも本当にそう思います。僕自身かなりのうのうと生きてきたのですが、これほどまでに大学生活が充実したものとなったのは偏に部活のおかげと言えるでしょう。何度かはやめようかと思いましたが引退した今となっては最後まで続けて本当に良かったなぁと思います。後輩たちには無理せずに楽しくバレーを続けて、たまには一緒に飲みにでも行ってほしいなと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

引退しました(溜)

こんにちは。先日の秋季リーグをもって東大バレー部を引退しました溜です。

近頃はバレーボールに代わって水泳に精を出すようになり、本郷のプールでバシャバシャと水沫を上げています。寝室の竹かごに押し込めたミカサ製のゴムまりは久しく空を飛ばず、ボールが指に張り付く感触が過去のものになりゆくのを感じます。

引退ブログの意義って何だろう? 定点観測かな? そんな考えから 今思うことをただ書き連ねます。 宜しければお付き合いください。

感謝

引退の日に伝えた通り、入部時よりも増してバレーボールを好きになれたのはチームメイトや監督, コーチのお蔭です。
先輩たち、根気強くレシーブを教えてくれてありがとう。
同期諸君、くだらないことで一緒に笑ってくれてありがとう。
後輩たち、頼りない我々を助けてくれてありがとう。

また上記の方々や赤門クラブの皆様は勿論のこと、我々の活動は多くの方の助けによって成立しています。入部した2020年には新型コロナ禍による活動休止を経験し、代持ちの2023年には晴れて例年通りの定例戦を経験した我々はそのありがたさが最も身に染みていると言っても過言ではないでしょう。重ねてお礼を申し上げます。 東大バレー部のユニフォームに袖を通せて幸せでした。

あっという間

あっという間、は言い過ぎですね。 それでも思ったより早く東大バレー部で過ごす時間は尽きたのです。もはや自分が4年生なのか疑問に思えてきます。
悔いはあるか? : 無い。
バレー上達のために全力を捧げたなんて口が裂けても言えませんが、駒場第2体育館で皆と過ごした時間は宝物です。

やっぱりバレーボールが好き

このサイトを見ている人は大体そうでしょう。 私もバレーボールが大好きです。東大バレー部に入って良かった。春リーグ見に行こうかな。 新しい東大バレー部の姿を、願わくば快勝する姿を見るのが楽しみです。

#12 タマリ