先日の順位決定戦をもって引退いたしました、4年の熊越です。
入部以来3年半にわたり、OBOGのみなさま、現役部員の保護者の方々のご支援や、首脳陣の方々からのご指導、尊敬する先輩方や愛すべき後輩たち、他大学の仲間、そして一生の付き合いになる同期たちの存在があって、私は東大バレー部を引退することができました。これまでお世話になったみなさまには深く感謝しております。ありがとうございました。
また、親元を離れて生活する子供に部活をする選択肢を与え、いつも応援してくれた家族にもこの場を借りて感謝の意を表したいと思います。いつもありがとう。
我々男子部6名女子部2名は引退いたしましたが、後輩たちはまだまだ東大バレー部の名を背負って戦って参ります。みなさま今後ともご支援ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

このブログに文章を載せてもらう機会もこれが最後なので、いろいろ書きたいことはあるのですが、内容は次の2点にします。(1)4年生までバレー部にいて感じ考えてきたこと、(2)自分の最近と将来について考えていること。

(1)バレー部で考えてきたこと
入学当初はサークルであれ部活であれテニスをするつもりでおり、バレーボールをするつもりなど毛頭なかったのですが色々な事情があり、縁あってバレー部に入部いたしました。大して考えずに入部してしまったのですが、今となっては「選択すれば絶対後悔はするのだから、選択するときは徹底的に考え抜くか、全然考えずに選ぶかどちらかにすべきだ」と誰かが言っていた言葉の正しさを痛感しています。色々な事情がなければその年の7月にどこかの河川敷で大変なことになっていたかもしれないので、その点では一ついい選択をしたと言えます。
1年生のころはただただ先輩方の大きな背中を追いかけて、自分が上手くなることに精いっぱいだった記憶しかありません。田内さん京さん栗岡さんたちと富士中に毎週通ったのは非常に思い出深く、時に課題などで大変なこともあり、たまに休んだりしていましたが、継続して練習できたのはとても自分のためになりました。特に、NHKのフランス語講座の時間とかぶるから富士中行けませんと言った僕のためにわざわざ録画してくださった田内さん、ありがとうございました。今思い出しましたがあれは常軌を逸していました。
1年の夏ごろからは、当時4年生だった正木さんからアナリストの仕事を竹田くんとともに引き継ぎ、秋のリーグ戦では一人データ入力デビューも果たし、帝京大学の選手にデータを取っている写真をツイッターに上げられたこともありました。今の藤原くんの仕事ぶりに比べればゴミわずかな貢献しかチームにできず、もっと積極的にチームに提言をしていけるような役回りであるべきだったなと反省しています。
2年の春リーグでは同期が次々といなくなってしまい自分も二塁を回りましたが、周りにいる人の存在は抑止力にも推進力にもなってしまうのだなと痛感しました。最後なので書きますが、あのとき一人が辞める理由として問題になった「部全体の仕事に対する個人の対応」は結局同期でも正しく理解できた人はおらず、僕自身も後輩たちに正しく伝えられずに終わってしまいました。バレーが上手くならなかったとかよりもこのことの方が自分にとっては大きい後悔です。
同じ年の秋リーグでは初めて試合に出させてもらいましたが、パフォーマンスを一定以上に保つことができず、チームに唯一の黒星を付けた戦犯となってしまいました。本当にすみませんでした。
次の年、3年になって春リーグを迎える直前に、練習試合の試合前練習で転がってきたボールの上に着地してしまい、剥離骨折と靭帯損傷をやってしまいました。この時に得た松葉杖で歩行するスキルは後々いとしゅんに伝承することができたので人間万事塞翁が馬ってやつですね。東大バレー部でヒトがボールの上に乗って足首を怪我する瞬間を生で見たのは今の3年生が最後の代だと思いますので、ぜひこの悲惨な事故が二度と起こらないように対策をしていってくれれば南日さんと僕は報われます。昇格だとか優勝だとかは言いませんがこれだけはお願いします。ボールが近くにあるときは跳ばない、跳ばせない。そもそもボールをしっかり管理する。
秋リーグはそんなに大きな貢献もできず、1セット差で入れ替え戦出場を逃してしまいました。バレーはコートの中の6人だけでやるスポーツじゃない、と強く感じたときでした。

自分たちの代になってからは、チームの運営をほぼいとしゅんに任せっきりでした。たいして使えない同期ですみません。情けないことに僕はバレーのことはいまだによくわかっていないので、バレーに関係ないところで、しかも若干しかチームに貢献できませんでしたが、森下監督がリーグ最終戦後に「全員違うからいいんだよ」というお話をしてくださり、少し救われました。僕たちの代は個人の性格がバラバラでしたが、なんとかバランスを保って1年間進んで来られたのかな、と思っています。自分が高校のころから思い描いていた理想の組織の形とは違いましたが、人数の問題ではなく一人ではできないことを達成するためにはこんな形も可能なんだな、と勉強になりました。少し感傷的ですが僕はこの6人でよかったと思っています。
今の1年生が入ってきてからは、ずっと「年功序列」や「上下関係」の必然性について考えていました。具体的には、後輩が率先して準備や片付け、ボール拾いをしたり、いただきものをしたときは年長者から取ったりする、など、中高の部活では当然と思っていたことには、そうでなければならない理由はあるのか、ということです。これを見て今の下級生が納得してくれるかはわかりませんが、現時点で僕が考えている理由というのは、「そうした方が組織が持続するから」です。極端な例として、逆に上級生が率先して準備や片付けをやる場合を考えると、彼らがいなくなった後はそうした仕事をする人がいなくなってしまいます。チームを運営するにはチームにいた経験が多少は必要ですからそれは上級生がやるものでしょうし、そうすると上級生に負担が集中してしまっています。下級生が仕事をすれば、新しい代が入ってくるたびの継承は容易ですし、のちにチームを運営する際に必要な、チーム全体に発生している仕事の把握をすることもできます。いただきものの分配はそうした累積仕事量への報酬と考えれば納得できますがおごりのメカニズムはいまいちわかりません。今度誰か一緒に考えましょう。
最後のミーティングでは、「自分の与えられた役割を理解して、自分がどうすればチームはいい方向に進むのかを考えて行動しよう」という話をしましたが、伝え損ねたことがあるので補足を。やや矛盾するようですが、自分の与えられた役割の外のことにもきちんと目を向けるべきだと僕は考えています。まずチームの目標に向かって自分がすべきことに全力を尽くすのは当たり前ですが、それだけでは個人の集まりに毛が生えた程度です。組織が個人の集合を超えられるのは、各人が自分の役割以外に対してもきちんと貢献をできるようになったときだと思います。試合終了後はなるべく早く身体を冷やさないうちにダウンをして、翌日以降への負担を少しでも軽くするのは選手の務めですし、チーム、関係者全員がその意識を持たねばならないと思いますが、普段の練習後は片付けもあることですし、ダウンを軽く終わらせて片付けがまだ終わっていないところを手伝う、などの融通があってもいいのかな、と、ここ半年はずっと思っていました。

(2)自分の最近と将来について
ソフトボールをしています。球速を上げたり打球の飛距離を伸ばしたりするためのトレーニングもしています。うすうす気づいてはいましたが僕はバレーボールより野球の方が向いていそうです。

進路についてですが、一時期就職を真剣に検討したものの、勉強不足を痛感したので、大学院に進学することにしました。4月からフランスに渡り、2年間グランゼコールという大学院みたいなところで修行してきます。そのために奨学金の選考に受かって卒論が審査を通らなければなりませんが、なんとか無事に留学できるよう日本にいる残り半年がんばります。
留学後は1年間東大の大学院で修士論文を書いた後、就職し、ゆくゆくは国際機関で働くことを考えていますが、どうなるかはそのときになってみないとわかりません。
部活という選択肢をとったことで、磨けば光る他の数多の選択肢を捨ててきました。この選択が自分にとって最善のものであったと胸を張って言えるよう、これからを一生懸命生きたいと思います。

長くなってしまいました。お目汚し失礼いたしました。追いコンでスピーチさせていただくときは短くするので許してください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
高校で野球をしているときからつけていた5番ともお別れです。

#5 熊越祐介